はやいものでモーリス・センダックが亡くなって、もう5年が経ちます。好きな作家がいなくなってしまうのは、尾を引きます。そういう目に遭うことが、これから間違いなく増えるでしょうね。ため息ばかりついてはいられないですが、ある人生が終わるということは、ひとりの人間が長い時間をかけて種をまき育て収穫し、ため込んだ記憶が一瞬にして消えてなくなることを意味しているわけで、取り返しのつかない損失なのだと思います。今回は5年前に書いたセンダックについての日記です。


時は1948年。センダックはニューヨークのダウンタウンに住んでいました。かなり貧しかった。健康面でも問題があった。まだ20歳の若い身の上には辛い状況です。上昇志向真っ最中の米国から取り残されたような暮らしを送っていたセンダックが自宅の窓から眺めていたのは、街中で遊ぶ子どもたちの姿でした。日がな一日、彼らのスケッチをして過ごしていたのでした。そのスケッチブックに描かれていた子どもの中に、彼女がいたのでした。


ロージーは当時まだ10歳。元気一杯で遊ぶ女の子を、センダックは無我夢中になって描き続けました。約9ヶ月近くも、ロージーと彼女の友達、家族、近所の人々を、センダックは何冊も何冊もスケッチブックに写し取っていたのです。それだけではありません。ロージーの奇妙な話し言葉や魅力的な遊びの発想までもが、そこに書き綴られていました。きっとその頃のセンダックにとって、ロージーは唯一の絵の対象であり、慰めだったのかもしれません。


その3年後『あなはほるもの おっこちるとこ』が発表され、絵本画家として認められたセンダックは試行錯誤をしながら自作の絵本作家としての道を歩み始め、自作絵本3作目でついにロージーを絵本にしました。1960年の『ロージーちゃんのひみつ』は、ブルックリンの貧しいユダヤ人の絵描き青年がロージーと過ごした9ヶ月から生まれたといってもいいでしょう。そしてその時間は、センダックが予想しないほどの栄養を彼に与えていたのです。


1964年に『かいじゅうたちのいるところ』が出版されると、センダックは永遠の輝きを手に入れました。なにやら気味の悪い、でも人の良さそうなかいじゅうたちと、わんぱくでちょっと寂しがりやのマックスのダンスシーンは最高級の芸術品でした。(「食べたいくらい好きなんだ、食べてやるから行かないで」という名訳を施したじんぐうてるおさんにも感謝!)あのロージーと出会ってから、もう16年の時が経っていました。


それから10年後。とあるテレビ・アニメに取り組んでいたセンダック。その番組で流す曲を書いてもらうには誰が一番いいか、センダックはもう頭の中に決めていたのです。それはキャロル・キングでした。会って、センダックの書いた詞にキャロルが曲をつけ一節唄った途端に、きっとセンダックは思ったことでしょう。「ロージー、君にぴったりの歌手がここにいたぞ!」って。二人が作ったアルバムは翌1975年に発売されました。タイトルは『おしゃまなロージー』。あの街角の女の子が再び帰ってきたのです。センダックは47歳になっていました。


センダックの絵本を読むと、いつもロージーのことを思い出してしまう。たくさんの傑作絵本をこの世に送り出したこの作家の心に住み着いて離れなかったロージー。センダックもまた彼女の居場所を終生確保することで、クリエイティヴな人生を全うする事ができたのではないでしょうか。人は一生の中で、何人のロージーに出会う事ができるでしょうか。センダックはきっと幸せだったことでしょう。「食べたいくらい好き」だったロージーに3度も会えたのです。それどころか、彼の手から生まれ出た作品には、必ずといっていいほどロージーが宿っていたのですから。生きていれば彼女は今78歳のはず。センダックがあの世へ旅立ってしまったことを、彼女は知っているのだろうか。

(*日記No.487 2012年5月11日掲載のリメイクです。)    


f0201561_20123921.jpg



















[PR]

私は村上春樹の小説を読み始めて、まだ20年ぐらいです。話題になった『ノルウェーの森』だけはリアルタイムで読んだのですが、それ以外はほとんどが後追いです。彼の作品について語るには、まだまだ読み込みが足らないのですが、作品そのものから受けた影響の中で大きなものがひとつあって、それはパスタ料理を作ることです。


お世辞にも私は料理が上手いとは言えないし、そもそもあまり手を出しません。なのにパスタ、特にスパゲッティは頻繁に作ります。手軽な昼食になるのが一番の理由ですが、村上春樹の幾つかの作品の中で、登場人物(主に主人公)が一人でパスタを茹でるシーンが妙に頭の中にこびりついていて、自分が登場人物を演じているような気持ちで調理をしてしまうのです。


静まり返った台所で、男が一人、何の盛り上がりもなく、ただ淡々とパスタの一品を作る場面。その同じ設定が自分の実生活に訪れたときに、日常の光景から逆行して、村上春樹の作品の質感を感じました。子どもがアニメのヒーローの真似をして浸って遊ぶと機嫌がいいように、パスタを茹でていると何かしら心が穏やかに落ち着きます。


今日のお昼も、同じ調子で村上作品の主人公になりきって、私は1.4mmのスパゲッティを茹で、茹でたキャベツとエリンギを絡ませていただきました。外は雨降り後の静かな景色です。何の音もしません。ニンニクを炒めた香りがほのかに漂っています。不思議なことに、パスタ以外の料理のレパートリーはほとんど増えません。まだまだ浸り飽きていないのでしょう。    

f0201561_13434888.jpeg
添付されている画像の無断転用・使用を禁止いたします。





















[PR]

空梅雨です。朝夕の涼しさや、日中の湿度の低さ加減は、雨期とは到底思えません。6月半ばでこの気候とは。夏バテとは縁遠い快適さです。寝ている間に夏がすっかり終わらないかな。朝目が醒めたら秋になっていないかな。明日の早朝は雪が積もっていないかな。仕事も締め切りも全部、いい夢を見ている間に終わってくれないかな。そうしたらきっと肩の荷も軽いだろうな。せめて酷暑ぐらいは、荷から下ろして過ごさせてほしいな。


「還る道」

f0201561_10370617.jpg

「麦畑の少女」

f0201561_10373074.jpg

「海が見える一日」

f0201561_10374968.jpg

「キャラバンがゆく」

f0201561_10380818.jpg

「滴1」

f0201561_10382747.jpg

「舞い上がり」

f0201561_10384631.jpg

「雷雲」

f0201561_10391544.jpg

「草木も汗をかく」

f0201561_10400858.jpg

「山から何かがやっ来る」

f0201561_10403551.jpg

「K子の瞳」

f0201561_10405838.jpg

「ミネラル床」

f0201561_10411427.jpg

「蚊帳」

f0201561_10413780.jpg

「屋根がある風景」

f0201561_10415685.jpg

「sun goes down」

f0201561_10421781.jpg
「カラフルな鳥」
f0201561_10424101.jpg
 添付されている画像の無断転用・使用を禁止いたします。



















[PR]

2014年に文研出版から発売になった絵本『デデとひこうき』が、このたび韓国で出版となりました。私にとって初めての海外での翻訳本です。この前の土曜日に本が届いたばかりで、さっそく包みを開けてみると…

f0201561_12594329.jpg

当たり前ですが、タイトルや作者名はハングル文字!予想はしていたのですが、実際に印刷で文字が載ると、日本版とは感じが違うものですね。色味は若干マゼンタが強い感じで仕上がっています。この本は全編に書き文字が多いので、どういう具合に韓国語バージョンにするのか興味があったのですが、見事に書き文字がハングル語に代わっています。グラフィックデザイナーさんか、もしくはイラストレーターさんかの丁寧な仕事に、思わずにんまりしてしまいました。編集の方も含めて、ご苦労さまでした。さぞかし大変だったことでしょうね。どうもありがとうございます!

f0201561_13000134.jpg
これが日本版

f0201561_13001568.jpg
韓国語版だとこうなります

代理人の方と今回の翻訳本の契約を交わしたのは、随分前のことで、すっかり頭から消えていました。たぶん韓国の版元さんの都合かなにかで、順番待ちがあったのではないかと推測します。契約から時間があいていたこともあって、尽きせぬ喜びで眺め入っておる次第です。なんとも珍しい本だなあ!  



















  


[PR]

ちょっと前に当ブログで、待つことについて少しだけ書いたことがありました。そのせいかどうかわかりませんが、6月に入って長々と待つ機会が二回あったのですよ。


今月初旬に野暮用で東京へ行きました。朝10時過ぎから3時ぐらいまでで用を全て終わらせたのをいいことに、足を国立新美術館へ向けました。終了間際のミュシャ展を見に行ったのです。が、なんと80分待ち!ウィークデーなのに、この人出とはどういうこと?尋ねるまでもなく、そういうことだったのしょう(笑)。帰りの新幹線が7時だったので、それに間に合えばいいやと考えて、ひたすら並びました。待つとはいっても、ゆるゆるながら列が前に動くので、比較的ストレスのない時間でした。いいお天気だったので熱中症の可能性もあり、列の途中で飲料水の提供もあったのがなかなか効果的な配慮でした。


1980年代中頃に一世を風靡したテニスプレーヤーのイワン・レンドルは、熱心なミュシャのリトグラフの収集家として有名でした。プラハの春を経てアメリカへ亡命したチェコ人としては、祖国の世紀末芸術家に特別な想いがあったのでしょうか。そのレンドルがミュシャの連作『スラブ叙事詩』の素晴らしさについて説いたインタビューを読んだことがありました(確かテニス雑誌でしたが…)。若造の私はまるでピンと来ていなかったのですが、今回の展示でレンドルが伝えようとしたことはこれだったのか!と、納得できる気がしました。ミュシャは売れっ子の複製芸術作家だとばかり思っていたので、自身のあらゆる根っこを網羅したかのような渾身の大作に囲まれて、私は内心恥ずかしかったわけです。大方のお客さんたちが一番生き生きしていたのは、撮影O.K.の部屋に入ってスマートフォンを掲げてパシパシ映しているときでした。お手軽な獲物捕獲を鑑賞よりも優先してしまう、とても21世紀的な光景でしたね(笑)。何はともあれ、80分間しっかり待っただけのことはある展示でした。


もう一は、つい先日行ったUSJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)でのこと。いただきもののチケットが期限切れになる前に、間際の駆け込みで訪れたのですが、なにせ前回行ったのが開園当初だったので(笑)、その落差に驚くばかり。何が違うって、お客さんの6〜7割はインバウンド。ここは国内か?と思うぐらいに、あらゆる言葉が飛び交う園内でした。海外からの観光客の経済効果を目の当たりにしましたね。もちろんアトラクションも10数年前と比べて大きく様変わりしていました。お目当てはハリー・ポッターのエリアです。入園して一目散に走ったのですが…掲示板には待ち時間は70分とのこと。


ミュシャ展よりも10分短いから、なんてことないと思っていましたが、やっぱり長かったです。長蛇の列の待ち客がガックリしないように、できるだけ待っている人の全貌が見えないような配列の工夫がされていました。しかし進めど進めどいつになったらあの学校の中へ入れてくれるのか。ようやく入ったと思ったら、肝心の乗り物は10分足らずで終了。おまけに少々乗り物酔いもして残念でした。大きな期待はしていなかったのですが、待ち時間を過ごした労苦を打ち消してくれるだけの魅力が、あのアトラクションにあったかどうかは疑問です。あくまで私の感想なので、そこはひとつ、みなさんご自身で長時間並んで体験してみて下さい。それが待つことの対価としての正しい情報だと思いますから。

f0201561_17343853.jpeg
 添付されている画像の無断転用・使用を禁止いたします。





















[PR]