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本日は3年ぶりの自作自演本『ピオポのバスりょこう』の発売日です!
どうぞよろしくお願い申し上げます。

タイトル:『ピオポのバスりょこう』
さく  :中川洋典
出版社 :岩崎書店
価格  :1365円(税込み)

『ピオポのバスりょこう』は高い山間部に住む少年が、初めて街へ買い物に行く物語です。詳しい内容は買ってもらって読んでいただくとして(笑)、今回はこの本が生まれるに至った経緯を綴ってみたいと思います。

今から11年半前の2000年12月に、私は大阪で個展を開いていました。その時に描いた作品の中に『山ニ住ム古イ古イ友達ヘ』(だったかな…)という絵がありました。この絵を描いている最中におもしろい、しかし妙な現象が体に起こりました。胸の辺りがずっと温かいのです。なんだろう?と思っていたのですが、おぼろげながらこの絵の後ろに、なにか物語らしきものが隠れている兆候だということがわかってきました。それがどういうものかがはっきりして、絵本のダミー本を作ったのは1年半経った2002年の夏でした。喜び勇んで出版社さんへ売り込みにいったのですが…

クオリティの問題もあってか、売り込みは上手い具合にいかなくて3社ほどでダメ出しをいただきました。その後もマイナーチェンジをしながら描き直し~売り込みを続けていましたが連戦連敗!ついこの前までの阪神タイガースみたいな感じでした。時は経って、2009年12月。東京青山のオーパ・ギャラリーで個展をしたのですが、そこで岩崎書店さんの編集者Iさんと出会いました。ダメモトでIさんに「実は爆弾があるんですが…」と申し出ると、「じゃあ、爆弾、送って下さい」との返事。「ありがとうございます。では爆弾、送らせてもらいます」と、なったわけです(笑)。

Iさんから思ったよりも早くに連絡をいただき、めでたく爆弾を引き取っていただくことになりました。うれしかったのですが、その後にいろいろ手を入れつつも今ひとつ良くならない。そんな日々が続き、2011年4月にまたオーパ・ギャラリーで個展をすることに。そこで再びIさんと会って、交わした会話の最中に大きな転機が待っていました。私が善かれと思ってやっていたことが、実は作品の一番美味しいところを削いでいたのです。Iさんはそれを会話の中で発見してくださったのです。かくして、爆弾は、いやちがう、『ピオポのバスりょこう』は動き出しました。

半年ばかり細かい訂正をして、11月初旬から作画をスタートし、なんとのんびり3ヶ月もかけて絵を描いていました。文章の修理も各駅停車の速度で進み、装幀家さんに全ての素材をお渡したのはもう3月に差し掛かっていた頃でしょうか。正直言って、私はこんなにゆっくりと絵本の作業を進行した経験がありませんでした。牛丼の早食いばかりをしている人が、フレンチレストランのフルコースに迷い込んだようなものです。おかげで慌てることもなく、ひとつひとつの工程を噛み締めるようにこなすことができたと、密かに自負しているのですよ(笑)。

振り返ってみると、Iさんが爆弾を受け取ってくださったことから展開が始まりました。そして会話の中で、不発状態だった爆弾の導火線を発見し、思いっきり着火させてくれたのもIさんでした。10年の不燃状態を経た火薬は、Iさんの段取り通りに漏れなく引火してくれました。まさにIさんは爆発の仕掛人だったのです。もしIさんがいなかったら、おそらく爆弾は不発弾となって撤去、もしくは闇に葬り去られたと思う。Iさんのおかげで、爆弾は量産され本屋さんへ送り込まれました。あとは全国の本屋さんの店先で大爆発してくれるのを待つだけです(笑)。Iさん、本当にありがとうございました。心から感謝しています!

              添付されている画像の無断転用・使用を禁止いたします。

この絵を描いている最中に胸の周辺が暖かくなった。同じような経験をしている人は多いと思う。兆候の知覚に体温が関わるなんて、思いもよらなかった。絵を描いていると、知らないことや知らない自分にいっぱい出会う。やっぱり絵は描くもんだなあ。










    
明後日の5月25日に新刊絵本が出ます。『ピオポのバスりょこう』というタイトルで、岩崎書店さんより税込み1365円にて発売になります。自作自演本としては実に3年振り(インターバルが長い!…笑)。ネットでの予約受付は既に始まっておりますので、皆様、どうぞよろしくお願いいたします!

せっかくなので、この機会に『ピオポのバスりょこう』について、4回に分けていろいろ綴ってみたいと思います。とはいっても、まだ発売前じゃないか!絵本は見て読んで触ってなんぼですから、詳しい事は次に回して、カバー画像だけでも自分でしっかりスキャンして作りましたので、楽しんでくださいませ。

というのも、先行の予約受付でネット上に流れ出した画像は、おそらく最初の色校正時のもので、モニターで見ても色が悪い!実物は全然違いますからどうぞご安心を。ましてや原画とは非なる色合いです。ああ、色校正時の苦労が蘇るな…。次回はそのあたりも書いてみたいものです。たまには宣伝もしないと、ね。

タイトル:『ピオポのバスりょこう』
さく  :中川洋典
出版社 :岩崎書店
価格  :1365円(税込み)

自分が関わった本には最近この手の色合いの表紙が多い。イエロー〜オレンジ〜茶系の色が混ざった感じが大好きなので。それとやっぱりタイトル文字の配色に脱帽。こんな冒険は私には絶対できない。








数あるベイ・エイリアのバンドやミュージシャンの中でも、愛すべき地元出身バンドの筆頭に挙げるべきはヒューイ・ルイス&ザ・ニューズだろう。80年代半ばにはワールドワイドな人気を持っていたにもかかわらず、オークランドオウンの気質を失わなかったのだから、今で言うグローカル(グローバル+ローカルの意)バンドを地でいった人たちだった。実際にアメリカのスタジアムクラスのツアーを敢行した後で、地元のクラブ回りをするという普通では考えられないローテーションを続けていた。

来日の際に雑誌でヒューイの普段着をみたら、帽子はMLBのサンフランシス・ジャイアンツ(オークランド・アスレチックスではなかった)、ジャンパーはNFLのサンフランシスコ49ersのオフィシャルものだった。徹底した地元意識はその活動にも注がれ、ツアーには地元の先輩バンドであるタワー・オブ・パワーのホーンセクションチームを借り出し、80年代後半にそのタワーが絶不調に陥ると、マネージャーのミッシェル・ザーリンと組んでタワーの救済プロジェクトやアルバム制作にまで関わった。こうなるとやっていることがほとんどNPO法人だな(笑)。

ベイ・エイリアのバンドには、不思議とバンド間のメンバー移動や客演に拘りや敷居がない。ライバルバンドの間で平気でメンバーが行き来したり、ゲスト出演したりする。風土的なものか、ビジネス一辺倒でない内輪の自由闊達な気質が見受けられる。サウンドにしてもロックありファンクありラテンありカントリーありブルーズありフォークあり。それらが普段から自在にセッションやジャムで行き交っているから、作品に思いもよらない人選を発見できる。人種的にもヒスパニック系や日系ミュージシャンが混同してメジャーフィールドで活躍した珍しい地域だと思う。

ベイ・エイリアという磁場にいろんなミュージシャンが吸い寄せられるように集まってきたのは、きっとそんな生身の音楽の交流が可能な場所だったからだろう。もちろん様々な偏見や差別はあったに違いない。ただ、新しいものを柔軟に受け入れる気風と、肌の色に拘らない音楽性が育まれやすい土壌があった。だから人種も性別も混合したバンドが数多く生まれたのだと思う。結局ベイ・エイリアは音楽的な化学反応が極めて起きやすい土地柄だったのだろう。そんな中から地元意識の高いミュージシャンを多数派出し、独自の美意識を持った名バラードが数多く生まれた。

タワー・オブ・パワーのエミリオ・カスティーオ(通称ミミ)が以前インタビューで語っていた。彼は元々はデトロイトの厳しい土地に住んでいたそうで、思春期に差し掛かる直前にベイ・エイリアへ引っ越してきたらしい。そこで彼が初めて目にしたのは、いろんな人種の子どもたちが一緒に公園で遊ぶ光景だった。それを見たミミは、なんて素晴らしい土地なんだろうと思って感動したらしい。ベイ・エイリアにはある種の理想郷があったと結論付けをしたら、言い過ぎだろうか。しかし彼らの音楽を聴けば、あながちそうでもない気がするんだな、これが。

ヒューイ達が最も売れていた頃のアルバム。ラストの「シンプル・アズ・ザット」は純正ベイ・エイリア・バラード。それもそのはず、作曲はタワーのミミとドク!しかもジャケに映るバックの壁は、ヒューイ他メンバー達の卒業したミル・バレーにあるタマルペイス高校!どこまでも地元で生きる奴らである(笑)。







地図でベイ・エイリアを拾ってみると、外海に面した二つの半島がちょうど門のように閉じてサンフランシスコ湾を形成している。その湾の周囲をぐるりといろんな街が取り囲んでベイ・エイリアとなっている。歌のタイトルや歌詞によく出ている街が多いので、地図を眺めているだけで鼻歌がいくらでも唄える。サンフランシスコ、サンノゼ、オークランド、サクラメント、バークレーなど、行ったこともないのに馴染みの街のような錯覚に陥ってしまう。いったい私は誰に教わったのだろうか?

それはたぶんクリント・イーストウッドが主演した映画『ダーティ・ハリー』に違いない。車を飛ばし44マグナムをぶっ放すイーストウッドには最高に痺れたが、それ以上に街の映像にガツン!とやられた覚えがある。こんな坂の多い不便な、しかし極めて美しいところがあるんだと憧れを持った。その数年後に決定打となったのがボズ・スキャッグス76年の快作『シルク・ディグリーズ』で、最高にシスコっぽいアルバムだった。あれでロンドンもN.Y.もL.A.も、もうどうでもよくなった(笑)。当時シスコの伊達男と称されたボズが、実はテキサス出身だったとは知る由もなかったが。

『シルク・ディグリーズ』には『ダーティ・ハリー』で見た街並みを感じさせる曲・アレンジが詰まっていた。海を見下ろす小高い丘、対岸の夜景、陽光溢れるハイウェイ、そして金門橋。ポップでオシャレ、適度に黒っぽい。私がボズから感じたベイ・エイリア感覚は意外に的中していた。フラワー・ムーヴメントの発信地となったサンフランシスコ、戦前から多くの黒人が居住し、音楽的なブラックネス・フィーリングが横溢するオークランド、今やシリコンバレーの中心地で、やらかす事がいちいち自由で小回りが利くサンノゼなどなど。

これで味をしめた私は、その後ボズを追っかけた。おもしろいことに、『シルク・ディグリーズ』で爆発的に売れるまでも、彼は必ずと言っていいほどアルバムに一曲は最高のベイ・エイリア・バラードを盛り込んでいた。それは彼が同郷のスティーヴ・ミラーと組んだ1968年に既に登場している要素である(「ベイビーズ・コーリング・ホーム」!)。その後袂を分けた二人が、同じ1976年にベイ・エイリアを舞台にして、それぞれ『鷲の爪』と『シルク〜』でシーンの最前線に浮上してきたのは奇遇どころではない気がするのだが。

ボズがバカ売れする2年前の大傑作。プロデューサーにジョニー・ブリストルを迎え、熟れた果実の如き芳醇な味わいを醸し出す。晩年のジェームズ・ジェマーソンも参加。トゥーサンの渋いミディアム・ファンクのカバーもナイス。もちろん絶品ベイ・エイリア・バラードも満載で、気分は今夜もロウソク&ワインか?






幼稚園か小学校低学年の頃だったと思う。テレビの中で、奇妙な人たちが楽しげに踊っていた。男も女も長い髪で、着物のような上着にヨレヨレのジーンズを履いて、宇宙遊泳のようにユル~く踊っていた。白黒テレビだったので色などわかるはずもないのに、画面全体がレモンイエローからオレンジに変わるグラデーションにような発色をしていた印象がある。あれは何の番組で何を言いたかったのか、今もよくわからない。しかし間違いないのは、彼らがヒッピーで、ドラッグでラリっていて、その様子を収めたものを私が見たこと、そしてその画面に金門橋が映っていたことだ。

幼児体験とは怖いもので、あのテレビ画像がきっかけになったか、地図帳や映画などでベイ・エイリア付近に出くわすと心が途端に落ち着かなくなる。洋楽を聴くようになってからは、更に症状は進行した。ラジオで聞いたベイ・エイリア・サウンドという言葉に頭ではなく体が反応、以来今に至るまでベイ・エイリア周辺の音楽にはお世話になりっぱなしの人生を送る羽目になってしまった。これはもう運命だろう。人によってはそれが横浜だったり博多だったり、リオであったりバリであったりコザであったりするわけだ。

いったいベイ・エイリア・サウンドとは何なんだ?どういうものを指していうのか?と聞かれても上手く説明できないので困る。この地域出身のミュージシャンもいれば、他の場所から引っ越してきた移住組もいる。音楽性もバラバラ。とても統一感があるとはいえない。しかし不思議と共通する要素はある、と思う。そのあたりを上手い具合に吐露したくて、今回取り上げたわけだが、果たしてそう上手くゆくかどうか…。かの地を未だに訪れた事はなく、しかし自分の心の中でずっと引っ掛かりがあるこの想い、わかってもらえます?

と、懇願しても仕方ないので、思いつくままにベイ・エイリア・サウンドの範疇に強引に入れてしまっているミュージシャンやグループを羅列してみよう。

タワー・オブ・パワー
コールド・ブラッド
スライ&ザ・ファミリー・ストーン
サンタナ
スティーヴ・ミラー・バンド
クレイジー・ホース
ボズ・スキャッグス
カントリー・ジョー&ザ・フィッシュ
グラハム・セントラル・ステイション
ホット・ツナ
クイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス
ジェファーソン・エプレーン
ヒューイ・ルイス&ザ・ニューズ
シャーラタンズ
ボー・ブランメルズ
クリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァル
グラスルーツ
ポインター・シスターズ
ダン・ヒックス&ヒズ・ホット・リックス
ハーパーズ・ビザール
ステッペン・ウルフ
グレイトフル・デッド
アステカ
イッツ・ア・ビューティフル・デイ
マロ
モビィ・グレイプ
ヤングブラッズ
ビッグ・ブラザー&ホールディング・カンパニー
クローヴァー
モジョ・メン

う~ん、まだまだありそうだが、キリがない。それにここで名前だけ書いても、聴いたことがないのも多い多い!とにかくこの地域が音楽性豊かな土地であることだけ事は明らかで、そんなベイ・エイリアに、曲を聴きもしないのに目をつけた私は大したものだと、一度くらい態度を大きくしたい気分である(笑)。

タイトルといい、曲の持つ風味といい、ファンキーな隠語が混じった歌詞といい、完璧な曲順配置といい、素晴らしすぎるジャケットといい、極めつけのベイ・エイリア・サウンドのアルバム。聴いたことがない人がいたら、嘘は申しません、必ず手に入れなさい!裏ジャケを眺めながら聴き終える頃には、あなたも立派なベイ・エイリア・ジャンキー!