041 <私に絵をかかせるもの:景色(上)>
絵を描いていて思うのは、景色や風景は、解釈の自由度が高く、それが現実であろうと架空のものであろうと、絵の中で容易に了解されてしまう。そんな風に思っている私だから、描いている景色のほとんどは、実際にあるのかないのかの分け目がない。簡単にいえばいい加減なのだ。
このいい加減というのが大事で(写実狂主義者や、二言目には「必然性」と言いたがる評論家風情の人達には、実に評判が悪いが)、瞬時にして満たされる場所や気持ちがしっくり来る光景は、実は心の中にしか存在しないのではないだろうか。
また、いつも見る街並みや木立ちが違って見える時、それは目に映った現実世界ではなく、それを描いて自分に説く心象風景そのものが魅力的なのだと思う。同じ山ばかり描いていた有名画家がいたが、彼にとっては、毎日違った山に見えたことだろう。きっとそれが素敵だったのだ。
そうゆうイメージをもてるからこそ、絵を描けるのだと思います。
それは一つの大変恵まれた才能だと思います!
<ontwerpさんへ>
そういうもんなんすか…誰にでもあるように思えるのですが…。自分のことしか察知できない私は、それが他の人にも共通するもんだとばっかり思っていて、案外間違っていることがポロポロあるし。そういうもんなんかな…
< freebirdさんへ>
そうですか。それは難儀な宿題になりましたね。浮かぶというのは、肉体的にどういう状態なのだろう。感覚的にはよくわかりますが。きっと、体のどこかに隠れているんですよ、それって。例えば足の裏とか脇の下とかに(笑)。