054 <私に絵をかかせるもの:熱狂(上)>
素朴で極日常的な淡々とした時間が、絵にとってよい材料になるように、弾けきった非日常の一瞬も絵にとっては不可欠だと思う。予定されたお決まりのお祭りではない、想定の枠の向こうから突然飛び込んで来る驚きこそ、我々の心を躍らせ絵心をかき立てるものだ。これは出会いといってもいい。求心力や感応力の違いから、掴みには甚だ個人差があると思われるが。
同じ本を読んでも、胸の内に入って来る情感は人によって違う。目に浮かぶ情景も異なる。同じように、なんということのない目の前の一場面が、その人の感情の導火線に引火するか否かは、まったくもって予想出出来ない。そして、出会う力も人それぞれでバラバラのものだ。私が熱狂の渦に巻き込まれているその隣で、誰かが退屈な毎日に飽き飽きしていても、それは当然あることだ。
そして私は熱狂にそそのかされる。熱狂は虜になった者だけが、さらわれる権利を持つ津波のようなものだ。熱狂にゆとりなどない。他者にその理由を説明している間に、熱狂は消えてしまうか、膨張してしまう。共有が稀なのだ。あくまで私有感情。後付けで体のいい説明は幾らでもつけられる。しかし、熱狂の底に至る必然はただひとつ。私が生きているかどうか。ただそれだけだ。