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054 <私に絵をかかせるもの:熱狂(上)>

例えばディズニーランドに代表されるような娯楽施設は、いつも同じボルテージの興奮をお客さんに与えることができ、それによってお客さんを虜にしてゆく。そういう画一に律された環境から得られる喜びから少々遠い位置にあるのが、その時その場限りの熱狂である。大多数の胸を焦がすことはなくとも、私一人の情けを焼き燃えさかる。そうかあ、絵の素材って、私的なものばっかりなんだな。


素朴で極日常的な淡々とした時間が、絵にとってよい材料になるように、弾けきった非日常の一瞬も絵にとっては不可欠だと思う。予定されたお決まりのお祭りではない、想定の枠の向こうから突然飛び込んで来る驚きこそ、我々の心を躍らせ絵心をかき立てるものだ。これは出会いといってもいい。求心力や感応力の違いから、掴みには甚だ個人差があると思われるが。


同じ本を読んでも、胸の内に入って来る情感は人によって違う。目に浮かぶ情景も異なる。同じように、なんということのない目の前の一場面が、その人の感情の導火線に引火するか否かは、まったくもって予想出出来ない。そして、出会う力も人それぞれでバラバラのものだ。私が熱狂の渦に巻き込まれているその隣で、誰かが退屈な毎日に飽き飽きしていても、それは当然あることだ。


そして私は熱狂にそそのかされる。熱狂は虜になった者だけが、さらわれる権利を持つ津波のようなものだ。熱狂にゆとりなどない。他者にその理由を説明している間に、熱狂は消えてしまうか、膨張してしまう。共有が稀なのだ。あくまで私有感情。後付けで体のいい説明は幾らでもつけられる。しかし、熱狂の底に至る必然はただひとつ。私が生きているかどうか。ただそれだけだ。

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by ekakimushi | 2009-08-10 13:13 | 絵のこと | Trackback | Comments(0)