328 <音楽えかきむし〜ワーナー・ブラザーズ欧州ツアー>
正式名称はワーナー・ブラザーズ・ミュージック・ショーで、1975年の1月から2月にかけて当時ワーナー・ブラザーズに所属したドゥービー・ブラザーズ、リトル・フィート、タワー・オブ・パワー、グラハム・セントラル・ステイション、モントローズ、ボナルーの6バンドが、ヨーロッパ各地でアメリカン・バンドの底力を発揮した一大イベントだったそうです。音源や映像も残されており、通販などで手に入れることも可能です。私は一度も触れたことがなく想像するのみなのですが、だからこそ私にとってのタイムマシンであり続けるのかもしれません。
今となってはこのラインナップ以上に重要なのは1975年初頭というタイミング。おそらくその一年前でも一年後でも駄目でしょう。そのくらいこの時期にピークを迎えたバンドばかりなのです。ドゥービー・ブラザーズはトミー・ジョンストン政権真っただ中。ツインドラムを後方に3本のギター+ベースが、スモークの中乱舞する図は『ワット・ワー・ワンス・ヴァイセズ・アー・ナウ・ハビッツ』のジャケットそのままです。凄腕ジェフ・スカンク・バクスターが参加しており、おそらく迫力満点だったことでしょう。『スタンピード』発表前の最高の人気を誇った高速片側6車線サウンド時代のドゥービー!観たかった…
リトル・フィートも前年にメンバーチェンジ後の傑作『ディキシー・チキン』を発表、脂がのりにのった時期です。「オー・アトランタ」を演目にしており、次作『フィーツ・ドント・フェイル・ミィ・ナウ』がすでに仕込まれているわけで、全盛期のローウェル・ジョージのスライドと唄が聴けたわけです。日本へ来た時はもう落ち目だっただけに、この時のフィートに遭遇できた欧州のファンはなんとラッキーなのだと、羨むことしきりです。なんでもトリのドゥービーを食ってしまうほどウケたそうで、ライブバンドの実力のほどが伺えるエピソードです。
そしてなんといってもタワー・オブ・パワー!1974年に最高傑作の『バック・トゥ・オークランド』を発表し、鉄壁のベイ・エリア・ファンクを誇っていた当時のタワーです。もしかしたらドラムのディヴィッド・ガリバルディが抜けていたかもしれないですが、他はタワー史上最高の面子。あのホーン・セクションとリズム隊の切れ味に唖然とする欧州人の様が浮かびます。あまりに鋭すぎて踊れない人も多かっただろうな(笑)。5人のホーン隊はおそらくフィートやドゥービーのステージにも応援で駆り出されていたのでは?ワーナー所属バンドの長屋みたいな近所付き合いは、本当に心がほのぼのします。
グラハム・セントラル・ステイションもまたしかり。アルバムでいえばセカンドの『リリース・ユァセルフ』とサードの『エイント・ノー・バウト・ア・ダウト・イット』の間に相当します。つまり一番売れていた時期です。ゴリゴリのチョッパー・ベースを聴いた白いお客はどんな顔をしていたのか?座が最高に盛り上がるエンディングで唄われたのが「エイント・ナッシン・バット・ア・ワーナー・ブラザーズ・パーティ」という曲で、ファミリーストーン在籍時にグラハムが作った「エイント・ナッシン・バット・ア・ハウスパーティ」の改作。6バンドの名前を盛り込んだビッグセッション用のナンバーですわ。はぁ〜…
モントローズはセカンド『ペイパー・マネー』リリース後のツアーも兼ねていたのでは。後にヴァン・ヘイレンに加入することになるサミー・ヘイガーの在籍時最後のツアーだったはずです。ベースは後年ナイトレンジャーに参加するアラン・フィッツジェラルド、ドラマーはデニー・カーマッシで確かハートに加入した男。ロニー・モントローズのアメリカンなギターが湿気気味の冬のヨーロッパでどういう風に受け止められたのか知りたいなあ。ボバルーはどんなバンドなのか全然知らないのでドロン!ポップな音を得意としたバンドだったようで、このツアーでは前座専門バンドだったのでないかと推測します。
ステージ同様客席も豪華だったようで、ストーンズやゼップ、ロッド、エルトンなどの面々が大挙として押し寄せた模様です。私が持っているフィートの『セイリン・シューズ』の封盤ライナーの裏にはこのツアーの楽屋裏写真が載っていて、アムステルダムのホテルでのジャムセッションの様子や、ミック、ロッド、キースをはさんで、トミー・ジョンストンとキース・ヌードセンの写真、ローウエルとエルトンの一枚など、カメラマンが卒倒しそうな被写体達が勢揃いです。クルーを合わせると総勢110名の大所帯。はりこんだねえ、ワーナーも(笑)。
ここまで書いて言うのもなんですが、どのバンドも当時アメリカ西海岸ではトップライナーを張れたでしょうが、単体での欧州ツアーは難しかったからこのような企画になったと推測します。これは60年代にモータウンやスタックスが会社を挙げて自社アーティストで欧州ツアーを組んだビジネスモデルが70年代にも生きていたことの証しではないでしょうか。このあとレコード会社主導での大所帯ツアーがすっかり姿を消してしまったことを考えると、ワーナー・ブラザーズの欧州ツアーは古き良き宴会ツアーの最後のパーティになったのだと思うのです。
そう言えば若い頃はウッドストック・フェスティバルに凄く憧れてました。あの時代に青春期を迎えたかったなぁ、とかよく思ったものでした。それから、B.スプリングスティーンの75-78年頃のライヴとか本拠地ニュージャージー辺りで一度体験してみたかった。日本で見逃したのでいえばザ・ジャムのライヴ。今タイムマシンにお願い出来るなら、そうですね、英国の田舎町で観るロニー・レーンのパッシング・ショーなんか、いいなぁ。
そうそう、いちレコード会社が所属タレントをパッケージした興行といえば、なんちゅうても、これが是非観たい私です。http://www.amazon.co.jp/product-reviews/B00005IGEW/ref=dp_top_cm_cr_acr_txt?ie=UTF8&showViewpoints=1