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371 <私のお気に入り:アントニオ猪木(3)>

日本プロレス崩壊後にアントニオ猪木が立ち上げた新団体、その名は新日本プロレス。1973年中学校へ入った年に、ワールドプロレスリングの名前で、新日本プロレスのテレビ放送が始まったのです。これでまた猪木のリングで闘う姿が見れるのかと思うと、うれしかったなあ!人によって評価の違いはあるでしょうが、この新日本プロレスの最初の5〜6年がレスラーとしてのアントニオ猪木の最盛期だったと思う。ストロングスタイルを掲げて、後の異種格闘技路線やUWF、K−1、PRIDEなどに至るまで、日本に現れたガチンコスタイルの格闘技団体の源流は、猪木のプロレス哲学の表現の場であった当時の新日のリングにあったといっても過言ではありません。


とにかく腹にグッと残る食い応えのある勝負が多かった。試合終了寸前の鮮やかな卍固めが今も想い出されるビル・ロビンソンとの一戦、反則なしでも本気で強かったアジアの虎タイガー・ジェット・シンとの一連の抗争、日本人対決では3指に入るストロング小林との熱戦、全日では鳴かず飛ばずだったが新日で育てられ超一級品になった首折男スタン・ハンセンとの激闘、いち早く科学されたレスリングを志していた王者ボブ・バックランドとの一戦、フィギィア・フォ・エイト・ロックの切れ味も鋭かったジョニー・パワーズとのタイトルマッチ等々。シングルマッチ同様、坂口征二とのタッグ戦も見所充分、こうして書いているだけで頭の中が火照ってくる想いです!


アントニオ猪木という人はどこかプロレスの軌道から外れようとしているところがあり、そのスタイルが開花したのが格闘技世界一決定戦でした。76年のウィレム・ルスカ戦、モハメッド・アリ戦は本当に興奮しました。特に後者は世紀の凡戦などと呼ばれましたが、試合開始のゴングが鳴った瞬間に全神経を持っていかれた本物の闘いでした。白眉は80年の極真空手のウィリー・ウィリアムスとの一戦。あれほど濃密な殺気に満ちた闘いの場を私は知りません。リング上もセコンドも異様に張りつめていた。双方が骨折と脱臼で引き分けになりましたが、あそこまで真剣な仕留め合いがテレビ放映されたのは奇跡でした。あまりのもの凄さに、見終わった後しばらく呆然となったのを憶えています。

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猪木と言えば黒トランクス。鮮血を強調する補色としてリングのマットは水色。この黒と水色と血の赤は、同じ金曜日の22:00に放映があった時代劇の必殺シリーズに続いていた。
by ekakimushi | 2011-07-06 07:38 | 私のお気に入り | Trackback | Comments(0)