437 <年の瀬の思い出>
その頃はいわゆるバブル期の上昇階段をのぼっていた時期に当たります。確かに土地の値段や株価は上がり続け、景気の良い業界はボーナスもポ~ンと弾んだとかいって、羨ましい限りでした。現在から当時を振り返ってみた時には、狂乱のバブル時代と一括りにされがちです。しかしさなかで働いていたものの実感としては、駆け出し社会人はそれほどの良い目に出会わなかったこともあって、世間で言われるような浮かれ騒ぎは余所の世界のことだったという気がします。今の若い人たちから、当時の社会人はお金を湯水のように使って遊び呆けていたかのように言われた時は、えらいフィクションだなあと思いましたよ(笑)。
今思い出しても、たとえバブル経済の下であっても、社会に出て働くことは決して楽ちんなことではなかったです。たった3日間のお正月休み。普段の休日は日祝以外は、月一回だけ土曜日がお休みでした。それがどんなにうれしかったことか!お盆休みは日曜日を噛ませて3連休を二回もらいました。(今の会社勤めの方と比べたらどうでしょうね。)お給料こそ当たり前にもらっていましたが、ボーナスはありがたかったし、業務における奨励金はやったぞという感じでいただいていました。毎日の残業は多かったですし、お客さんの都合で日曜日に出勤したこともありましたが、もちろん手当などほとんど出ませんでした。業務形態や人間関係にも不満は多々ありました。つまり今とさして変わらなかったと思うのです。豊かでもなんでもなかったのです。
バブルの時期には誰もが浮かれてディスコで馬鹿騒ぎしていた印象があるのは、誤ったイメージでちょっとした勘違いです。全うに勤めることが当たり前で、そのなかで世間の人の顔色を見ながら働いて。そこで何かしら、得たものがあったような気がするのです。ふとした折に、取引先だった大将の紺色の前掛けが浮かんできたり、頑固一徹の軍人だったというご隠居の懐かしい詩吟の一節が、耳元に蘇ってくるのです。新米社会人だった私を叱ってくれた人がたくさんいて、既にこの世にいなくなった方も多いことでしょう。そんな人たちが、今の私の中で温かい思い出になって、今日も絵の中に現れては消えてゆきます。あの時と同じように、今年も年末までしっかり楽しんで絵を描こうと思います。
ジュリアナで熱狂していた世間は子育て組には無縁のモノでした。その頃の流行歌は記憶にもおぼろで・・口ずさむのは中学生や高校生の時に聞いたフォークソングですね。今、この歳になるとほんとうに十代の頃が懐かしく感じます。
かつての自分を大切にしたい気持ちは確かにありますが、
今描いている絵が一番大事なように、日々生活してゆきたいものです。まるで青年の主張みたいですな!