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627 <つぶやく日々 6月>

このところ描き作業でなかなか外に出られない毎日です。天候も曇っては降りの繰り返しで、梅雨とはわかっていても分厚い雲が恨めしい日々が続いています。そんな生活の中で手頃な気分転換として、読書がなかなかいい塩梅です。さほど暑くもなく湿度も気にならない気候、室内の灯りを控えめにして、秋の夜長のようなムードで物語に浸るというわけです。読書の一番いいところは、浮き世の煩悩を瞬時に忘れさせてくれることですかね。それだけ物語の力は強いのでしょう。それに娯楽なのに、何故か読書には能動的な達成感もあって、一方的に薄い情報を受け流すだけの他のメディアにはない文字・言葉の底力や余裕を感じる昨今です。

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【6月1日】
故崔福姫さんのポジャギを久しぶりにまじまじと眺めた。10数年前に初めて見たときの感嘆が蘇った…。超絶精巧な手縫い作業と、キルトやパッチワークの概念を軽々と越える豊穣なイマジネーション。プリミティヴ・アートのようであり抽象画のようでありモダン・クラフト・ワークでもある作品群。高い品性知性に満ちているのに、芸術臭がほとんどしない。この人の手仕事は本当に凄い。


【6月2日】
怒っている人、憤っている人、感情が逆巻いている人からメールをもらう。これが案外多い。ボヤキを読ませてもらって返信をする。おしなべて、そう興奮せずに落ち着いて下さい、と常温で文字を送る。一拍置いて、なんでこんな当たり障りのない水みたいなコミュニケーションが必要なのだろうかと疑問が湧く。

私もよく怒り狂うことがあるが、あまりメールでことのあらましを語ったりすることはないな。関係のない第三者にボヤいて某かのことが解決するなら、こんな楽なことはないだろうし、そう簡単に解決する程度のトラブルなら誰もいちいちキーボードに向かわないだろうに。

吐き出すことが目的ならそれも仕方がない。しかしまた溜まることを忘れてはいけない。分別ある大人なら何度もそんな無様な反復をしてはいけない。対処を見つけて独り立ちしてゆく。それぐらいのことは自分で自分に施してほしい。自分に対してご褒美をあげてばかりではなく。

かようなメールをもらうと、つくづく携帯電話を持っていなくてよかったと思う。電話で悩み事相談に付き合うなど、私は絶対嫌だ。あたかも丁寧にメールを読んだフリをして、どこにでもあるあり体の文言を返しておく。何も語っていないのと同じメールが届く相手に、私は人でなしに見えるのだろうか。


【6月5日】
話さなくともメールでわかる。メールでなくて話してほしい。この二つの間の隔たりがどんどん失われている。このところ大事なことはメールでの通達がほとんど。電話は暇だらけといったところ。メールなら文字が残されることで言った言わないの争いにならないし。ただ、交渉力は間違いなく落ちてゆくな…


【6月6日】
申し込んどった大阪マラソン、また外れやないか、しかし。まだ神戸マラソンが残っとるっちゅうても、秋のレースを確保せなあかんさかいに、別のレースにもエントリーしてんや。大阪に住んどって大阪のレースに出れへんて、なんや理不尽やなあ。腹立つさかいに昨日は八つ当たりで思いっきりランニングしてきてん。おかげさんでメチャクチャしんどいええ練習になってやな、今日は身体中がボコボコに痛いわ(笑)。俺、いったい、誰に八つ当たりしてんやろ?


【6月9日】
朝刊を一枚一枚めくる。

見出しにつられて目が移ってゆく。

ローカルニュースが段を埋めて、

いつしかグローバルな紙面に変わってゆく。

プライベートな出来事が文字になり、

大衆の関心を呼び起こす。

四角い紙のあちこちに、

どこかで自分に繋がる日常が、

今朝も深く波立っている。


朝刊を一枚一枚めくる。


【6月17日】
映画『アラビアのロレンス』を見た。以前と変わらず感激があってよかった。4時間の上映が終わった後に、もののサイズが妙に大きく目に映る現象に遭遇。矛盾や不合理を乗り越える無限の可能性を持った人間と、歴史に翻弄され枯葉のように舞い飛ぶ存在でしかない人間がスクリーンに同居していたな。


【6月19日】
久しぶりの雨。喜び勇んで走りに出かけたら、正真正銘のスブ濡れランに。濡れたというより、池にでも落ちたかのような姿だった。それでも今の季節には得難い涼しさで、20kmがあっという間だった。身体が冷えたようで、帰ってからの熱いシャワーがまた気持ちよかった。ずっと泳いでいたに等しいもんな。


【6月21日】
とある写真の人を眺めていたら、ふと知り合いにダブって見えてきた。こんな誤視がまかり通るともうダメだ。完全に人物がすり替わってしまい、写真の中でありもしない物語が始まって、それだけで午前中が終わってしまった…。こういうのがある一定のサイクルでやってくる。時間がもったいない気もするし、なにか妙にありがたい気もしたりして、我が輩は今も摩訶不思議である。


【6月27日】
ニュースとスポーツ実況中継とあまちゃんがなければ、ほぼテレビは要らない生活の毎日。そのぶんネットでいろいろと遊んでいるのかも。そしてテレビやネットを見終わった後の眠気、身体を蝕むような徒労感たるや、まるで生気を吸われたかのように感じることがある。利便性の先には感受性の浸食があるのか?

その対極にあるのが読書ではないだろうか。モニター疲労に似た読後感というものがまるでないことをいつも不思議に思う。接する際のいろんな回路が違うのだ、きっと。だから生まれてくる疲労にあれほどの手応えの落差が潜んでいるんだろう。

読書って肩が凝らないもの。たぶん全身で遊んでいるんだ。

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by ekakimushi | 2013-06-28 12:36 | 絵のこと | Trackback | Comments(0)