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673 <夢みる歌謡曲1971(下)>

年末恒例の<夢みる歌謡曲>を楽しみにしてくださる方が、思いの外たくさんいらっしゃって、私、結構プレッシャーを感じています(笑)。単なる個人的な想い出話なんですが、それがいとも簡単に共有されてしまうところに、歌謡曲文化の力があるのだと思う。作り物とわかっていながら、私たち子どもらは歌謡曲を聞くことで、大人に近い世界を覗き見することができました。テレビとラジオしかない世の中でしたが、好きな歌が一曲あれば、充分な娯楽に等しかった。今もときどき、あの日のテレビの前へ帰りたくなることがあります。


673 <夢みる歌謡曲1971(下)>_f0201561_7222383.jpg◯「花嫁」:はしだのりひこ&クライマックス
テレビでこのグループを見たとき、私はそれが大好きだった「風」を唄っていたシューベルツの人であり、あの「帰ってきたヨッパライ」の3人組の一人だとすぐにわかり、彼らに対して期待が大きく高まったのを憶えています。1971年は私の小学4年生~5年生にあたります。年齢で10歳。「帰ってきたヨッパライ」は1968年に大ヒットしています。ということは、小学1年生~2年生でフォーク・クルセダーズに接した体験が、3年後の10歳の体内に留まっていたことを示しています。10歳の子どもにとって3年前というのは、かなり遠い昔の記憶なのでは?それほど「帰ってきたヨッパライ」の衝撃は大きかったのでしょう。そして期待に違わず、「花嫁」はいい曲でした。この曲も作詞は北山修でした。歌詞の主人公は大人であっても、子どもが共感を持ち易い健気さ一途さが込められていたと、私には思えます。唄われている内容は駆け落ちなんですが(笑)。作曲は端田宣彦と、今から10年前に惜しくも亡くなった坂庭省悟。(坂庭さんと言えば、私にはナターシャセブンでの「フォギー・マウンテン・ブレイク・ダウン」の超絶なノリのマンドリン!)ベタな歌謡曲とは違う、粋で前向きなポップスに仕上がっていました。


673 <夢みる歌謡曲1971(下)>_f0201561_7224920.jpg◯「傷だらけの人生」:鶴田浩二
困ったことにウチの母親が、映画時代以来の鶴田さんの大ファンで…。私にとって演歌は息苦しい音楽でした。アメリカのブルーズの重苦しさが今もさほど好きでないのは、どうも演歌嫌いにその源流がある気がします。ただこの曲は、出だしの語りがキーポイントで、子どもにも耳に手を当てる物真似ができるとあって、繰り返し母親の前でやらされたことを思い出します。渡世人の悲哀を子どもに唄わせるなって!(笑)何度も聴き何度も唄ううちに、「今の若い奴は…」と大人が連呼する気持ちを代弁した曲なんだと合点がいったものです。安酒が似合いそうな湿っぽ〜い曲調に冷水を浴びせたのが、この年に始まったアニメ「天才バカボン」でした。なんとバカボンのパパが作中でこの曲を唄うのです。それも無茶苦茶に上手い!もう、私ら子どもは拍手喝采でした。つまり、大人が支持する価値観をこき下ろす行為だったわけです。きっと鶴田さんは怒っただろうな。ウチの母親はもうカンカンで、思いっきり八つ当たりされましたから!(笑)


673 <夢みる歌謡曲1971(下)>_f0201561_723258.jpg◯「また逢う日まで」:尾崎紀世彦
作詞は阿久悠、作曲・編曲は筒美京平。1971年の一曲を選べと言われたら、おそらく誰が答えてもこの曲になるでしょう。尾崎紀世彦という不世出の歌手のインパクト、それは本当にもの凄かった!歌唱スケールはでかいし、汗はかきっぱなし、声量は底なし、マイクの握りは親指と小指が一直線に伸びて残りの三本指で握っているし、もみあげは黒い折り紙を切って顔に張り付けて真似たし、まあ子どもを存分に遊ばせてくれた人でした。イントロから一緒に唄える曲の良さも、半端ではない高揚感がありました。学校でサビを一人が唄い出したら、周りの奴らも勝手に参加してくる!ゴスペルみたいなとんでもない求心力がある曲でした。あるとき鉄棒をしに体育館へいったら、6〜7人の上級生が「二人でドアを締めてぇ〜」の大合唱をしながら、グルグルと前回りをやっていて絶句したことがありました。きっと唄うことでエネルギーが湧いきたのでしょう。尾崎紀世彦が表現した情熱は、子どもにとっては間違いなくヒップで魅力的だったのです。彼のヴォーカル・ポテンシャルに匹敵する曲は「また逢う日まで」以外にはないと思う。あの光輝くような歌唱姿は、1971年以来永遠に続いています。そしてこの先もずっと。
by ekakimushi | 2013-12-27 07:34 | 音楽えかきむし | Trackback | Comments(0)