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707 <G.W.の帰省>

G.W.が終わりました。会社勤めの方は、概ね今日から通常業務が再開といったところでしょうね。私も実家へ帰省していました。それだけで終わってしまったG.W.でした。

私の実家があるのは舞鶴です。高校を卒業すると同時に家を離れたので、もう三十数年が経ちます。日本全国の地方都市や農村はどこもそうなのかもしれませんが、かつては華やかだった目抜き通りが、今やうらぶれた寂しいシャッター商店街に変わり果てています。昔の夜祭りで、行き交う人でごった返した面影は全く消えてしまって、私が足繁く通い詰めた本屋やレコード屋も、いつ店をたたんでもおかしくない様子です。それを哀しいなどというのは、自分の都合で街を出て行った人間の一方的な思い込みかもしれません。

2006年に公開された映画で『ニワトリはハダシだ』という作品がありました。ベテラン森崎東が監督をつとめ、故原田芳雄、倍賞美津子、余貴美子、石橋蓮司、加瀬亮、岸部一徳、柄本明といったそうそうたる顔ぶれのキャストでした。この映画の舞台が舞鶴でした。しかもロケシーンの7割は、私の実家から半径1km以内でした。舞鶴という土地の持つ複雑な過去と、とりあえずの今、そして変わらざるを得ない未来が下敷きになって描かれていました。映画館やDVDで観られた方もいらっしゃるかもしれませんね。

作中のラストシーンで、私が慣れ親しんだ海と山が出てきます。高校を出るまで、毎日毎日飽きるほど見ていた景色です。画面にその景色が映し出されたとき、私の胸中にこみ上げてくるものがありました。あの海と山のある場所に私はいたんだ。18年間、ずっとあそこにいたんだ。そう思うと、涙が止まりませんでした。たまに帰省して眺める景色を、映画の画面で見て何故泣けるのかがわかりませんでした。ただ、故郷が映画になるというのは、なんと切ないのだろうと感じたものです。

G.W.に寂れた商店街を眺めながら、私の故郷は、記憶の中の街とは随分離れてしまった気がしました。私が舞鶴と書くとき、それはおそらく三十数年の風情を持った港街を意味しているのです。本屋には欲しい本があって、レコード屋には欲しいレコードがあって、映画館では見たい映画が公開されていて、若かった両親と元気いっぱいだった友達らが闊歩していた舞鶴。それらは時間が経って、すっかり失われてしまった。今の舞鶴に、私がいる場所はあるだろうかと思う。そして港へ…

私が出てゆこうと残ろうと、山と海だけは昔と全く同じです。映画のラストで何かを訴えていたあの景色だけは変わらずに残っています。舞鶴の海と山を絵に描かなければならない。そう感じたG.W.の帰省でした。

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by ekakimushi | 2014-05-07 21:07 | 絵のこと | Trackback | Comments(0)