717 <ベイ・シティ・ローラーズ、ウィ・ラヴ・ユゥ (中)>

今回のB.C.R.特集のアクセス数に見られる反応の良さは、最近更新した当ブログの日記の中でも特筆すべきものがあります(笑)。にもかかわらず、時を経ても、相変わらず世間様の評価は著しく低いようで泣けてきますが、今どきB.C.R.の特集なんか一体誰がやるんでしょうね。そもそもスコットランドのエディンバラという、ロンドンからはかなり離れた街で活動していた彼ら。1971年のデビュー曲「キープ・オン・ダンシン」のもっちゃりしたノリと野太いチェロの音を聴くと、洗練とはかけ離れたイメージがあります。

当時のリードヴォーカルだったノビー・クラークが脱退して(というよりも、売れないことに嫌気がさして脱走したらしい)、レスリー・マッコーエンが入った1974年あたりから機運が上昇します。タータンチェック柄の衣装や売れ線作家との提携などを、悪名高いマネージャーのタム・ペイトンが大いに仕掛けたようで、ものの見事に的中!この時期はちょうどブリティッシュ・ロックが低迷期にあったと言われ、B.C.R.が打って出るタイミングも最高だったかもしれません。(ペイトンはB.C.R.との間で不当な契約を結んで大金をせしめ、それを元手にアメリカで小人プロレスの興行をやっていた。)

1974年~75年は「太陽の中の恋」「シャンガ・ラング」「明日に恋しよう」「想い出に口づけ」など出すシングルが軒並メロディメーカーのトップ10に入る勢いで、アルバムも好調と言うことなし状態でした。私が最も好きなサードアルバム『Wouldn't You Like It?』は一曲を除いて全てエリック・フォークナーとステュアート・ウッドの作品です。楽器演奏やアレンジなど、どこまでメンバーが噛んでいるのか怪しいところもあるのですが(苦笑)、ジャンルに捕われない伸び伸びした曲ばかりで、きっとシングルのB面でしか発表機会がなかった間に書き溜めていたのでしょう。

おかしいな?と感じたのは76年の『Dedication』。明らかにアメリカ進出でひとまず得た成功を持続させようとして、プロデューサーのジミー・イエナー主導の選曲ありきで作られたアルバムだと断言します。もっと言うと、大人の論理が支配した一枚。私はこのへんでちょっと引いてしまったかな…。同年熱狂の初来日も、相次ぐ脱退騒動で憑き物が落ちたような気がしました。77年の『It's a Game』はまだ戦えたアルバムでしたが、78年の『Strangers in the Wind』79年『Elevator』と一作ごとに地味になり、色褪せて魅力がなくなってゆきました。

B.C.R.がブリティッシュ・ロック暗黒時代に躍進して空洞地帯の穴埋め役となり、激しいパンクムーヴィメントが燃え盛る中で消えて行ったことは、今思えば理に叶っている気がします。また意外とB.C.R.の下積みが長かったり、火付けの前宣伝役のような立場で「シュガー・ベイビー・ラブ」のヒットで有名なルベッツがいたりと、大当たりを取る前の助走路も完備されていたのではないでしょうか。残念ながらメンバーのその後の活動は厳しいものばかりで、機を失うと全てが上手くゆかなくなる例をみるようです。


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「イエスタデイズ・ヒーロー」とは、今となればかなり皮肉なタイトルである。疑似ライブ仕立てのスタジオ録音だったが、レスリーの唄がかなり荒っぽい。これでO.K.を出したジミー・イエナーの見立てが正しいとは思えない。


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76年の初来日直前にイアン・ミッチェルが脱退したため、彼のリードヴォーカルをレスリーに差し替えて発売された。来日間際の駆け込み営業の感は拭えなかった。


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寺社仏閣前のジャケット写真はベンチャーズの頃からの定番か。趣ある本堂の前で派手派手しいタータンチェックとは是如何に。B面「ダンス・ダンス・ダンス」の実質的な作曲者はパット・マッグリンだったと言われている。


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B.C.R.脱退後イアン・ミッチェルが古巣ロゼッタ・ストーンへ戻って出した一発目がこれ。同級生のクラプトンのファンにレコードを貸したら、本気で怒っていたな(笑)。まあ、クリーム的なのを期待する方が間違っているのだが。


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B.C.R.初来日後にあっさり脱退したパットが即リリースしたシングル。でっち上げのグループとわかっていても、売り時を外さぬ商魂は逞しい。ライトなポップスがパットの個性によく合っていた。


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売れた後のB.C.R.から最初に脱退したアラン・ロングミュアーの1stシングル。三十路前のおやじが唄うにはなかなか厳しいティーンエイジ・ポップスだった。唄もリズム感もちょいとばかり勘弁してほしい…。


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売れる前にB.C.R.を脱走したノビー・クラークのソロ・シングル。鼻声を通り越して蓄膿に近い彼が精一杯弾んで唄うが、買って後悔は避けられなかった。ノビー、君が逃がした獲物は大きかった。


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1978年にB.C.R.を脱退し、ソロ歌手として活動したレスリーの80年のシングルは、なんとあのタイガースのカヴァー曲。日本にのみ営業フォーカスを絞った外タレに成り下がったか。トホホ…


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レスリーの兄ブライアン・マッコーエン改めジャミー・ワイルドのシングル盤。バリー・メイスン&アルバート・ハモンド作の曲はとてもナイス。弟の成功を後追いしたが、深追いしていなければ良いのだが。


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78年『Strangers in the Wind』からの1stシングル。う〜ん。。。地味だ。クライヴ・デイビスのアリスタだから出た気がする。本人たちも作品の力を信用できなかったのではないだろうか。


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出て行ったメンバーが大勢戻ってきて、人生にもう一花を咲かせようとしたが、時は既に1985年夏。栄華からもう10年が経っていた。巷では「We Are The World」の洪水で、誰も見向きもしなかった…
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by ekakimushi | 2014-06-10 20:12 | 音楽えかきむし | Trackback | Comments(0)
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