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721 <発信する人としない人>

私がパソコンを手にしたのは、2003年初頭のことです。一般的な会社では、その頃にはもうオンラインでデータを共有するパソコン業務は普通に行われていましたから、個人としてはかなり遅い方だったかもしれません。その後十年少々経ちますが、とにかくワープロ(!)的な利用ばかりをしています。パソコンが生活に入ってきて以来、文字を打つ、文章を書く、という用途が突出して多く、考えてみればかなりもったいないパソコンの使い方だなと思わないでもありません。ま、何をやっても、一本調子です、私は。

文字を打つ行為が嫌いではないことを知ったのは、キーボードに向かっていると時間がどんどん経ってしまうことに気付いたときです。それがメルマガであったり、ブログであったり、メールでの連絡であったり、仕事の文章であったりするのですが、どれも一様に<何かを整理し終えた感覚>がするのはどうしてなのか?頭にあるものを文章にして目に見えるようにすることは、あたかも乱雑な部屋の中を整理整頓し終えた気持ちにとても似ているのです。現実の部屋がブラックホール状態のままなのには目を閉じて(笑)。

インターネットの世界が生活に入り込んでからは、ありとあらゆる人が情報の発信元になりました。例えばツイッターやフェイスブックで、食卓の画像を連日公開したり、どこかへ移動途中であることを逐一アップしたりする利用が見受けられますが、それらも確かに情報であり内容なのです。同じことをしても人によって違うのは、発信する人としない人がいることです。その違いはどこに源流があるのだろう。どこで発信する人としない人は分かれてゆくのだろう。私にとっては、それがとても興味深いのです。

新しい情報を、他の人よりもいち早く世の中に知らしめたい。この欲求は理解できます。しかし食卓の料理や、通勤途中のありきたりな情景を、わざわざ文章や画像で提供する心理は、また別なものではないかと考えます。その「わざわざ」が有ると無いの違いは、発信する人としない人の違いにどう関連しているのか。この日記を読んで下さる方に、是非ともご自身の考察をお聞かせ願いたいです。どうぞよろしくお願いします。といって人頼みをする前に、まずは自分の見立てをしないと。

前述の、文章を書くことによって得られる整理感覚、これがキーポイントなのではないでしょうか。はっきりしなかった事象が明文化されてクリアになる。整った考えは訴えを持つ。それを自己内評価としてではなく、公開することで対外的な評価のある目に晒してみたい。これが発信者の根源にある発信願望の心理のひとつとは考えられないでしょうか。人が自分の文章が発信に及ばないと考えるケースは、文字は並べたがまだ整理がなされていないと判断した結果ではないでしょうか。妙な例えですが、部屋の整理整頓が行き届いていたら、人を招き入れようという気持ちも湧きます。私のようなブラックホール部屋には、誰かを呼ぼうなどとは考えもしません。違うかなあ…。


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by ekakimushi | 2014-06-27 13:26 | 絵のこと | Trackback | Comments(0)