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827 <法案が成立すれば国民は忘れる>

安保法案可決を巡る、一連の抗議運動について、私はネットやテレビ、新聞で情報を得た。温度差や強弱はあれど、ひとまず目を通すべき報道はあった。反対派抗議派の多くの人が、デモやネットでの反論活動を行っていた。ところで賛成派は?というと、これといって何も報道を目にしなかった。それもそのはずだ。

安倍政権による今回の国政暴挙は、選挙による結果を受けて可能になり、数の原理で可決されたわけで、そこに至る手法自体に手落ちがあったかといわれたら、なにもない。以前の衆参のねじれ国会が、ある意味で法案通過を拒んでいた図式があったとしたら(それが国政停滞の原因になっていたとしても)、与党政権が両院で多数を取った時点で、今回の安保法案の回避は絶望的だったことになる。それなら、選挙で今回の国会前デモの熱意が感じられたのか?といえば、答えはNOになる。直接の議題として取り上げられていたにもかかわらず、少なくとも投票率を見る限り、国民の側には実に醒めた頼りない政治観があった印象だ。

私は与党に投票したものではない。だから今回の誤憲(違憲ではなく)解釈を含む強行裁定は納得など出来るはずがない。しかし事を成す国会議員さんと政党さんは、間違いなく選挙で選ばれたのだ。軍国への道を選ぶ政治家と政党を、自ら選んだ人がいたからこうなったのだ。そこだけをみれば、某氏が言うように、総理大臣と彼に投票した人から戦場へ向かいなさい、ということになるが、もっと由々しき事は、投票権を持った有権者の過半数以上が参加していなかった選挙結果が、今の事態を招いていることだ。

政治に対して無知蒙昧なまま大人になって、何をどう選んだらよいのかわからないまま選挙の日を迎えて、挙げ句の果てに投票を放棄して、いつまで経っても実のない虚無主義を気取ってきた大人たち。彼らがドブに捨てた一票が、今どれだけの無責任な政治屋をのさばらせていることか。今回のデモで声高に訴えられた民主主義の生き死には、実は選挙結果が出たときには、毎度毎度死んでいたわけだ。なにも首尾一貫した参政権論者になれというわけではない。少なくとも主権在民を訴えるなら、強権者を潰す機会がいつどこであるのか、それが選挙であることぐらいは痛い思いで感じておくべきだ。

「国民は時間が経てば今法案が成立したことなど忘れる」と言い放った参議院議員がいたそうだが、皮肉ではなく、全くその通りである。怒りも喉もとを過ぎれば、どこ吹く風となってきた風土が、この国にはずっと昔からあったから。怒りを持続させることはそのくらいに難しい。(辺野古デモの持続力をみよ!)怒りが渦巻く今こそ、有権者は次の選挙まで憤怒を持ち続けるべきである。これでもし投票率がさほど変わらず低かったら、今回の日本各地での抗議活動は一体何だったのだろうか?ということになりはしないだろうか。そしてそれをみて、安倍総理に続く国民を舐め切った劣悪な政治家が増殖しそうな、嫌な予感すら今はある。

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by ekakimushi | 2015-07-16 15:05 | 野次争論 | Trackback | Comments(0)