カテゴリ:絵のこと( 727 )

街中で根無し草のようなインバウンドの旅人に時々出会う。すれ違った後、必ず振り返ってしまう。旅をする人はかっこいいなと思う。団体さんとかお買い物ツアー客はそうは思わないが、わけあって旅に出ましたと背中のリュックが物語っているような人は、後ろ姿だけで痺れてしまう。同じ旅人でも匂わせるものは確実に違う。似たようなことが、旅をしているわけではないのに、旅を感じさせる人にも当てはまると思う。


いるのです、そういう人が。ずっと前から近くにいるのに、たぶんそのうち、ふらっとどこかへ消えていなくなるんだろうなと思える人。実際に旅をしていなくても、日頃から居場所を捜してトリップしているような人。どこへも行かず動かず、居場所の変化さえ好まない人(私だ!)とは明らかに違う、放浪者のような意識を醸し出す人。そんな類いの人もまた旅人だ。あてのない人生を旅するように生きている。


旅人はかっこいい。私も風来坊のような旅に出たい。
けど日帰りしてしまうだろうから、それではかっこわるいよな。

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人待ち、便り待ち、電話待ち、メール待ち、アイデア待ち、考えてみたら待つことが私の毎日ですというくらい、待つ機会ってよくあるものですね。待つことは時間がかかります。今の生活から待ち時間を消し去ったら、どうなるんだろう。待っている間、気にしながらも別なことをしようとして、知らず知らずに消耗します。待つことはストレスなんだろうか。待つことで失われるものがあるのだったら、待つことは無駄なのだろうか。何かがやってくるのを待つ。ただ待つ。他には何もしない。それはやってはいけないことかな。


「雨降りシトシト」

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「キラ星の群れ」

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「ビルビルビル」

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「彫る景色」

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「呑み仲間」

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「The Year Of The Snake」

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「きみは現地の人になった」

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「増殖工場」

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「防空壕からずっと」

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「ナマコは海の底で光っていた」

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「温かい雨」

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「入り江」

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「俺は好きな赤(後編)」 

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「タジさんのランチョンマット1」

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「噛みつく理由」
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先週初対面の方から趣味は何ですかと聞かれ、ひと呼吸置いて「読書です」と答えた私。先月このブログで読書に帰りたい心境を書いたからではないのですが、このところ一日の中で密度と純度が最も高い時間は読書をしているときだと感じます。集中力も想像力もなかなかのものだと思います。先月は大好きなサマセット・モームの短編集や、懐かしや松本清張・水上勉の作品に浸りましたよ。読んでいる最中に場面の絵が鮮明に浮かんでくると、私は物語の中に入っている状態で、それは小説を最高に楽しんでいる証だと思います。あ、本当はそれが絵を描いているときだといいのですが、現実にはそうもいかなくて(笑)。


文字を追いかけているときに、頭の中で様々な場面の映像が流れてくるのは、いったいどういうわけなんだろう。文字は形はあっても画としては弱い。文字が集まって表現された状況が、読者のなかに映像を呼び起こすのはわかるのですが、誰もどこにもそんなことをしろと書いていないのに、何も言われなくても自然と想像して住み込んでしまうのは、文字と脳の間に何か決まりきった関係性があるからなのでしょうね。落語や音楽、匂いや気配にも当てはまると思います。


与えられた触媒を元手にして、いい大人が自由気ままに空想する様はどこか危なっかしいです。一服やっていると思われたりして!読書体験が生む空想は、生々しい人物像や果てのない舞台美術となって、手のひらの上から外界へ大股で飛び出してゆき…これを娯楽と呼ばずして何と名付けられましょう。冒頭の、私に質問を投げかけた初対面の方と、「読書です」と答えた瞬間に目が合ったのです。この人、きっと読書が大好きなのだと直感しました。まるで遊びに誘う子どもの眼差しを感じましたから。あの人が本を読んでいるときの眼差しはどんなだろう?イマジネーションに後押しされる瞳には、どんな世界が映っているのだろう。    

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G.W.の間はいつものようにネットと接触していなくて、当ブログも一昨日まではお休みのようなものでした。常々思うのですが、更新されていないブログというのは、人の住んでいない蜘蛛の巣が張った家みたいな気がします。バーチャルな世界であるにもかかわらず、定期的に更新されていないと人や生活の気配が消えてしまうものなのですね。不思議だ。


現実の家は人が住まないと傷みが早いといいますが、案外ブログやHPも同じようなことが感じられるのではないでしょうか。ネットをウロウロしていると、時々、誰も書かなくなった難破船のようなブログに出会うことがあります。画面がどこか埃っぽく、息の出入りや体温が失せている。場に生気が感じられないのです。


私は日記を更新することで自分の血や汗の入れ替えをしていたい。日光や雨風を受けていたい。今回のような5年も昔の日記のリメイクであったとしても、です。閉め切った押し入れや、日の差し込まないジメリした畳のようなブログは勘弁願いたいです。たぶんその欲求こそが、私の気分転換の本質だと考えます。やっぱり家には住む人がいないと。ああ、そうか、ここは我が家だったんだ!


(*日記No.477 2012年4月11日掲載のリメイクです。)  


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報告が遅くなりました。

4月21日(金)から始まっていた雑貨店おやつさんでの展示が、先日5月3日をもって無事終了しました。お越しいただいたみなさん、どうもありがとうございました。なお「読んで作って遊ぶ 本と紙」は5月5日(金)より後半に入っており、イラストレーターの石田敦子さんの展示が5月17日(水)まで続きますので、是非足を運んでいただけるとうれしいです。(5月11日はお休みです。)


店主トノイケミキさんとは20年ほど前からの知り合いで、今回初めて展示やトークイベントという形で御一緒させてもらいました。搬入搬出の折には、久しぶりにいろいろお喋りができて楽しかったです。彼女の新しい本『雑貨店おやつへようこそ』は、この10年ほどの間にどんなことに心砕いてお店を立ち上げてきたのかが、克明に記されています。成長すること、学ぶことが本当に好きな人です。読んでいて感心しました。みなさんも是非読んでみて下さいね。


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『雑貨店おやつへようこそ』¥1,400+税
著・トノイケ ミキ
西日本出版社





















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声には、自分に聞かせる声と、他人に聞かせる声とがあると思ったのでした。

北摂のあるギャラリーへ展示を見に行き、その帰り道で透き通った声で鼻歌を唄う女性に会いました。いい声なので聞き惚れてしまって、信号待ちのときも耳を傾けていたら、彼女と目が合ってしまいました。恥ずかしかったのか、彼女は鼻歌をやめてしまった。ああ、もったいない。たぶんその人は自分に聞かせる歌を唄っていたのでしょう。それを他人の私が聞くなんて、もってのほかだったのです(笑)。

そのすぐ後のこと。別な横断歩道で信号待ちをしていたら、横に立っていた女性が深く重いため息をついたのです。演技じみた気もする、長いため息でした。彼女はそんな気分を含めて、周囲の誰かの耳に入れたかったのではないでしょうか。本人よりも私の方が先に聞いたにちがいない(笑)。

声には、自分に聞かせる声と、他人に聞かせる声とがあると思ったのでした。

今月のf.b.版つぶやきです。

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【4月1日】

偶数月の第一土曜日夜は、大阪環状線寺田町にあるオーティスブルーでFUNKY PAPAのライブ。もう何回見ただろうか。昨日は今までで一番おとなしかった(笑)。お客さんの入りも、いつもみたいに鈴生りというわけではなかった。スピーカーからの音もちょい抑えめで。ベースの安井さん曰く「こういう日もありますよ」。うん、私もそう思います。絵を描くには人がごった返していなくて、いつもよりもいい環境でした(笑)。


【4月7日】

苦いな 苦いな 人生は

古い置き薬みたいな 味がする

自分から進んで 口にしない味がする

辛いな 辛いな 人生は

舌や喉が 焼けるぐらいに 辛いことがある

いつも突然辛いから そのたび脂汗が出る

酸っぱいな 酸っぱいな 人生は

顔中が 皺で埋まるくらいに酸っぱい

堪えても堪えても いつまで経っても酸っぱい

甘くないな 人生は

噛んでも噛んでも 甘くならない

一度ぐらい甘いと感じたいけれど どうしたらいいのかわかならない

こんな食べ物 他に知らないよ


【4月14日】

このところ毎日、夜眠りに就くのが楽しみです。特に疲れているわけでもないのですが、眠りが深くて濃い気がする。そして布団がまろやかでやさしいと感じる。冬の間はこんな風には布団と接していなかったです。それでいて、朝目が覚めたときの寝床離れは簡単にできるのです。そうか、春が来たんだなあ。

顔を洗っているとき、起きたばかりなのに、早く夜になって眠らせてほしいなと思ってしまう自分がいます。

春眠とはいいものですね。


【4月21日】

昨夜は江坂のTwin Reverbでアミタメさんのライブを。うちから近いので自転車で駆けつけました。江坂でのライブは、もしかしたら、今や影も形も無くなったブーミンホールで、1995年にハッシン・シッシン・ブルーズ・バンドを観たとき以来かも。あれが今のファンキー・パパや夕べのエガッシンズへと、延々に繋がっているんだなあ。凄いなあ。継続というポテンシャルは計り知れないものだ。

いい音楽と、あちこちの知り合いに出会ったこと。それでうれしかったのか、帰宅してからも興奮して昨日はよく眠れなかったです。


【4月24日】

カレンダーによると、今週末辺りからG.W.が始まるようですね。私の愛用手帳によると、G.W.も普通の月末月初という感じがします。予定らしきものが何も書かれていないのです。それならいっそ、毎日寝っころがって暮らしますか(笑)。お休みが増えるからって、予定をビシバシ詰め込んで暮らすのが当たり前だと思ってはいけないと、手帳が黙して示しているのです。そういうことなら、啓示に甘えて、のんびり長編小説の読書でもしたいね。


【4月28日】

ううっ…これが世に言うぎっくり腰という奴か?今までなったことがないのだが、もしかしたこれがそうなのか?という症状に初めて出会った。

昨日のお昼前にトイレでしゃがんでいたら、何かの拍子に上半身と腰の間に妙な隙間ができて、そこへ空気が入り込んできたような気がしたと思ったら、背中のすぐ下のポイントで射すような痛みが一瞬走った。痛っ!昔半慢性化していたときの腰痛と全然違うぞ。けだるい痛みではなく、なんか痛み方がエラく新鮮じゃないか。ぎっくり腰ってこういう症状なんだろうか?

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もどかしさを最も感じる瞬間はいつだろう。これは人によって、大いに違ってくるでしょうね。私の場合は、絵が脳内にやんわり灯ったときかもしれません。「そうそう、これこれ!これを描きたいのだよ」と思うのは本当に一瞬なのですが、現実に視覚化された作品として手に取れるようになるまでには時間がかかります。思いついてから現物になるまでの距離を、ひとりコツコツ手を動かしながら走ってゆかなければならない。それがなんとももどかしい!浮かんだイメージがそのまま瞬時に作品化されたなら、どんなに楽でしょうか。鮮度も高そうで、結構いいものが生みだされるような気がします。デジタルツールが進歩して止まない21世紀だから、もしかしたら生きている間に、ちょっとした取っ掛かりぐらいはあるかもしれません。そのときが来るまで、技術の進歩に期待しながら、ぽつりぽつり走りますか(笑)。


「しあわせに暮らした土地」

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「感じる下敷4」

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「スィート・ポテト」

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「1981年の大阪西成鶴見橋商店街」

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「箱庭が崩れた」

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「虫日和」

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「光ある回廊」

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「ロジェ似」

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「服を脱ぎ散らかしてはいけない」

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「肉光る」

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「隠れ蓑がもつ絶大なる力」

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「偏屈者」

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「フクニワ」

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「性的の瀧」

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「みんぱくのエントランスにどうぞ」

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現在絵の展示をさせてもらっている京都は桂にある雑貨屋おやつさんで、昨日トークイベントがありました。店主と私の二人で約2時間、本のあれこれをお話したのですが、普段から場慣れしておられる店主と違って、慣れない私はしどろもどろでお恥ずかしい限りでした。人前で話しをする機会がないわけではないのですが、いつも難しいなあと感じます。


昨日は出版にフォーカスを絞ったお題だったので、本当なら話し易いはずなのに、途中から自分の話題が迷子になったり、持って行った資料を充分に活用できていなかったり。なかなかうまくできないものですね。お越しいただいたお客さんがどんな感想を持たれたのか、知りたいような知りたくないような複雑な心境ですよ。


反省点はある程度明確なので、次に同じような事をするときにはもう少し良くなると思います。それにしてもお客さん一人一人から入場料をいただいてお話をするというのが、こんなに圧を感じるとは思いませんでした。何事も経験&勉強ですね。お越し下さったたくさんのお客さま、どうもありがとうございました。変な表現ですが、いい冷や汗をかかせていただきました💦

雑貨屋おやつ <中川洋典の小さな個展>は4/21〜5/3までです。(4/27はお休みです。)
http://www.o-ya-tsu.com/
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紙って大切だ。紙がなかったら、私はどんな仕事をしたらいいんだろう。

紙を触る時、手袋をはめる人はあまりいない。紙と素手とは恋愛関係にあるんだ。

紙の話をすると、相手の気持ちが緩む。幼い頃、紙おむつをしていたのかな。

紙飛行機が空を飛ぶ。どんなに大きな旅客機よりも軽々と飛んでゆく。

紙を破ると音がする。紙に絵を描くと音がする。紙は楽器だったのか!

紙が雨にぬれてしょんぼりしているのを見ると、こちらまで頭を足れてしまう…

紙にペンで宛名を書いた。今の私の痕跡が運ばれてゆく。紙が手紙になる瞬間だ。

紙を丸めてポイ!ゴミ箱がいらないといってはじき出す。転がる紙に苔はむさず?

紙はジャンケンのパア。石を包むし、はさみで切れる。手のひらが紙だなんて!

紙がそばにある。紙の匂いをかぐ。紙の目に引きつけられる。紙と一緒に暮らしている。


(*日記No.463 2012年3月2日掲載のリメイクです。)  


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ネットの世界に出入りするようになってから、私の読書の量は明らかに減りました。減った分、私が目にしているのは、ネット上の些末な記事なのでしょう。そのことをわかっているのに、なかなかやめようとしない。これは明らかに依存に近い症状です。自覚があるのは、まだ症状が軽いからかもしれません。


話しは変わりますが、何事にもせっかちな私は、食事をしてすぐにバタバタ動こうとするので、ときどき消化不良の兆しを感じることがあります。そんな胃袋の反乱に気付いてからは、せめて食後の30~40分は大人しくしていようと思い、たまたま手に取ったのが推理小説でした。それが滅法面白くて、食事のあとは読書の図式のきっかけになったわけです。


そして夜寝る前に、安堵の心持ちを味わうべく、読書に浸るひととき。この時間は格別です。不思議なことですが、就寝前にパソコンのモニターをいくら眺めてみても、安らかな気持ちになれたことなど、ただの一度もありません。ところが寝る直前にほんの30分ほどお気に入りの本を読むと、なぜか胸の内に膨らみを感じるのです。太古の海のような、栄養のある環境に浸った気分になるのです。


ネットのない時代に、当たり前のように本を読み散らかす生活を送っていたのが、いつの間にやら情報世界の囚われの身に成り下がって、今さら読書の効用を語っているなんて。本箱に並ぶ本の背表紙と目が合って、ちょっと気まずい気分になる私。自分でもなんとあさましいものだと感じます。本音はやっぱり、読書と共にあった、あの生活へ帰りたいのです。本に抱かれて心地よく眠った、あの生活へ。    

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