カテゴリ:音楽えかきむし( 92 )

以前、少しだけ書いたことがあったと思うのですが、ギルバート・オサリバンの音楽は、私が初めて出逢った洋楽でした。それまでにも洋楽を耳にしていたことはあったと思うのですが、邦楽にたいする洋楽の意識を持つ年齢になって、最初に聴いた曲が「アローン・アゲイン」だったのです。1972年のことです。それからというもの、ギルバート・オサリバンは私の中では絶対的なものになり、売れていた頃も、売れなくなってからも、彼の変わらぬ声のように、ずっと私の心の中にある指定席に座しています。


多くの人と同じで、私も「アローン・アゲイン」で一耳惚れしたくちです。例えばエルトン・ジョンにとっての「ユァ・ソング」、レオン・ラッセルにとっての「ソング・フォー・ユー」、ビリー・ジョエルにとっての「素顔のままで」が、なかなか越えられない自分自身のハードルだったように、オサリバンにとっての「アローン・アゲイン」もまた、宿命のような曲だと長い間思っていました。少なくとも1992年2月28日のコンサートを観るまでは、本気でそう思っていました。


コンサートの4曲目。彼は唐突に「アローン・アゲイン」を唄い出しました。持ち歌中最高のナンバーを、こんな中途半端なタイミングで唄うか?と思ったのですが、涙腺決壊に時間はかからず、2小節目にして人目もはばからず号泣(笑)。フルコーラスで唄い、余韻を味わう時間も充分に与えて、すぐさま次の曲へと展開してゆきました。おそらくオサリバンの中でも「アローン・アゲイン」は特別なのでしょう。転換の仕方に意志が感じられたからです。しかし、不思議と、曲に対峙するような印象はなかったのです。


私にとって大きな影響を受けた曲も、ステージ上の彼にとっては出し物のひとつであり、過去の名曲にすがるような真似をしないことで、曲の持つ憂愁感とお客さんが一対一で過ごせる時間を与えてくれました。あれこそ「アローン・アゲイン」の最高の演じ方だったと今も思っています。「クレア」や「ナシィング・ライムド」もそうでした。それは作品に捕われている演者の姿ではなく、自慢の料理をあたたかいまま食べれるように、できたてをお客さんに運んでくれるシェフのようでした。そして実際に、あたたかかった。


私が長いことギルバート・オサリバンの音楽を好きな理由は、そのあたたかさにあると思います。「アローン・アゲイン」で稼いだお金を、好きだった島を買う為に全部貯金していたという、小市民な男です(笑)。そういえば、あれくらい、メンバー紹介に心を配ったコンサートは観た事がありません。バックメンはもちろん、照明さんや道具係の人まで紹介していましたから。道理で想い出すたび、未だに胸のあたりがほんわかあたたかくなるはずですよ。


f0201561_20072108.jpg



















[PR]

久しぶりに音楽のことを。


ソウルミュージックに惹かれ始めた頃、持っているレコードのうち、黒人さんのものだけを手元に置いておこうと考え、整理をして驚いたことがあります。どのような経緯で買っていたのか、グラディス・ナイト&ザ・ピップスのものが思ったよりも多くあったのです。ほとんど知らないうちに増えていたと感じたぐらいです。きっと自分でも気づかないうちに、グラディスの魅力にのぼせていたのでしょう。もし貴方がグラディスを見たら、かわいいというかもしれない。濃いな、というかもしれない。年齢不詳に見える、というかもしれない。全部当っています。そして彼女を好きになったら、もう全部を好きになってしまう。今ものぼせている私が言うのですから、信憑性の欠片もないか(笑)。


ジョージア州アトランタ出身のグラディスがわずか8歳でコンテストに優勝し、従兄弟や兄らとグラディス・ナイト&ザ・ピップスを結成。マイナーなレコード会社を渡り歩きながらも、しぶとくヒット曲をものにし、大手モータウンへ入社するまでの約15年間ほどは、あまり詳しく語られていません。綿密な資料もあまりないのでしょうが、地べたを這うようなツアーをかなりやっていたようです。元々歌手としては実力のあったグラディスですが、業界の力関係を読む能力やステージマナーといった、なかなか身に付かないものをこの期間に習得したのだと思う。1966年に彼らがモータウンにやってきた時、ステージでの振り付け担当をやっていたニューヨーカーのチョーリー・エイトキンスは随分驚いたそうです。


というのも、南部出身の泥臭いR&Bグループを想像していたら、なんとも洗練されたステージをこなしたからで、他のグループにも「グラディス・ナイト&ザ・ピップスを見習え」とまで言ったそうです。そんな彼らにヒット曲が次々生まれ、一見モータウン時代は順調だったように見えますが、実はグラディスは入社には反対していたらしい。自分ら外様のミュージシャンに、ファミリー体質のモータウンがどれだけ力を入れてくれるかは疑わしいと。弱冠21~22才の女性らしからぬクールな考えです。しかも彼女の読みはズバリ当たっていたのです。


67年のビッグヒット「悲しい噂」が翌68年にマーヴィン・ゲイのヴァージョンで更なる大ヒットを記録した時、グラディスは激怒したといいます。そらそうでしょう。せっかく自分らの商品である持ち歌ができたのに、こともあろうに同じ会社のシンガーがカヴァーして上手をいってしまったのですから。後にグラディスはモータウンのことを「アーティストに対する尊敬の心を持たない会社」とまで言っています。しかしここで簡単にヘコタレないところが素晴らしい。男と女の三角関係を唄に託す路線を開拓し、次なるヒット曲を連発、好調を維持していたのですから、本当に見上げたプロ魂です。


70年代初頭に入って、グラディスにとって最も大きかったのは、ジム・ウェザリィという白人のカントリーのシンガーソングライターとの出逢いでした。ソウルはカントリーと意外に相性がよく、いろんな人の傑作がそれを証明していますが、何をおいてもグラディス・ナイト&ザ・ピップスの「さよならは悲しい言葉」が筆頭にくるべきでしょう。彼らの中で私が最も好きな曲です。歌詞の展開を物語のように聴かせてゆくグラディス、洗練されたコーラスマナーを保つピップス、コンテンポラリーなアレンジ。同時期の他のモータウンの曲と比べても、ゴージャスさやセンスの良さが数段上だと思う。


20代ながら既に妖艶な円熟味を醸し出していたグラディスは、この曲である種の表現方法を会得しました。しっかりものの彼女はジムを味方にし、レコード会社を移籍し、完全に時代の波に乗ります。70年代を通してコンスタントなヒットに恵まれ、映画にも出演、テレビのショー番組も持っていました。まさに芸能活動全般において絶好調だった時期です。そして80年代のコロンビア~MCAレコード、実はここが凄くいい!どんなベテランでも、このあたりで一端お休みをしているのですが、グラディスは違う。「ラブ・オーヴァーボード」の大ヒットを置き土産にして、芸能界30年を越えるキャリアにして、遂にソロに転向するのですから。


ソロ転向後、既に数多くのアルバムを発表。今も現役バリバリの超一流ソウルシンガー。何が彼女をここまで唄わせるのか?ファンの勝手な推測でしかなくて申し訳ないのですが、グラディスには強い自尊感情が備わっていると思います。ドサ廻り時代の流産や差別でも、簡単に自分を貶めたり才能を見限ったりしない安定感。浮ついた業界の誘惑に流されない強さ。職業に喜びを見つけられる才覚。彼女にとって最良の選択と結果を残してきた原動力は、自らを決して卑下しない自尊感情ではなかっただろうかと思います。手あかにまみれた高慢なプライドとは違う、与えられた天賦に忠実であろうとする純粋さを、私は彼女の歌唱に見ます。私がグラディスに感じるソウルとは、そういうものです。

f0201561_19232704.jpg
御歳73才、衰えの欠片もない唄声。
これを才能と言わずしてどう言い表せよう。
是非とも、もう一回来日してほしいディーヴァです。



















[PR]
   

オーティス・レディングは曲としてもアルバムとしても名作の多い人ですが、私は本作『ペイン・イン・マイ・ハート』で、涙腺が決壊しそうになる想いを何度も体験しました。後に不世出のソウルシンガーとなる野暮ったい南部の若造。その発車駅がこの作品です。さっそくCDをプレーヤーに乗っけると、スピーカーから流れてくるのはアルバムタイトル曲「ペイン・イン・マイ・ハート」。モコモコした演奏の音をバックに、かすれ気味に堂々と唄うオーティス。なんと味わい深い。とても21~22歳の唄だとは…。それは一角の政治家か宗教家みたいなオーティスの姿を写し取ったジャケットを見てもらえればわかると思う。それと同時に、誠に不思議な話しですが、劇場を改装して作ったというスタックスのスタジオ情景が、この一曲ではっきり浮かんできました。私は何の情報も知らなかったはずなのに…またそれが、妙に正確だったものですから、後に鳥肌がたったわけです。


「ペイン・イン・マイ・ハート」を唄えたのが偶然ではなく、オーティスに当たり前みたいに備わっていた表現能力だとわかるのが、前半の「ザ・ドッグ」「スタンド・バイ・ミィ」「ユゥ・センド・ミィ」といった超有名曲のカバーです。オリジナルに全く埋もれることなく、唄だけで充分カバー・アレンジになっている。後に<オリジナル殺し>と言われたアリサ・フランクリンの出現で少し陰に隠れた感はありますが、どれもタイトでシンプルに咀嚼している。いなたい唄と演奏に、どうしてこんなに惹かれるんだろうか。(当時のノーザンソウルは、もっとおしゃれでモダン。このアルバムはそんな評価はおそらく受けなかったでしょうが。)しかし本当に凄いのはアルバム後半で、少なくとも6曲中3曲は後世に残る名曲です。


ジェニー・ジェンキンスという歌手の付き人をしていたオーティスが、彼の余ったレコーディング時間を使わせてほしいと申し出て、スタジオのミュージシャンらに同意をもらって初めて唄ったのが「ジィーズ・アームズ・オブ・マイン」。たぶん、スタックスのミュージシャン連中は、瞬時にして嗅ぎ取ったと思う。サム・クックやソロモン・バークとは全く違う唄のセンスと才能を。それぐらい素晴らしいオーティス節が、この1962年のデビュー自作曲には込められています。何度聴いても、サビのかすれた唄声に胸がグッと熱くなる!正真正銘の名唱、完成品だと思う。叶わぬと知りながらも、この曲を生で聴いてみたかった!


それ以上に素晴らしいのが「我が心の糧」です。私は「ドック・オブ・ザ・ベイ」でも「お前を離さない」でも「リスペクト」でもなく、この曲でオーティスに溺れました。とにかく唄い出しからどんどん聴き手を引きずり込む。バラードなのに、リズムものに負けないテンポの凄い吸引力。最後のあがくようなシャウトの痛みが、耳にこびりついて離れない。なぜこんな風に哀しく寂しく唄うのだろう。ホーンも含めたバックの演奏も文句なし。特にスティーブ・クロッパーのギターは、オーティスの唄との相性が抜群で、こんなコンビは何処を捜してもそうはいないと思う。


「セキュリティ」もコクがある。持ち味の一つなってゆくミディアム・バラードのプロトタイプの曲でしょう。(これが他の人ではなかなか唄えない!カバーが少ないのも頷けます。)いろんなヒストリーものを読むと、黒人ミュージシャンの進行形ポピュラー音楽の通称が、このアルバムを境に<R&B>から<ソウル>に呼び名が切り替わり始めたという説があります。もしそれが本当なら、『ペイン・イン・マイ・ハート』というアルバムのタイトルは、あまりに真実の的を突き過ぎています。なぜならオーティス・レディングとは、生涯心に籠った痛みを唄い続けて死んでいった男だからです。


f0201561_20584023.jpg



















[PR]

『サムシング・エルス・バイ・キンクス』が名盤紹介本に取り上げられているのを、私はたぶん見たことがないと思う。パイ時代なら次作『ヴィレッジ・グリーン・プリザヴェイション・ソサエティ』か、その次の『アーサー、もしくは大英帝国の衰退ならびに滅亡』が、RCA時代なら『マスウェル・ヒルビリーズ』が、アリスタ時代なら『ステイト・オブ・コンフュージョン』が、ロンドン時代なら『UKジャイヴ』が傑作として挙げられることが多いキンクス。『サムシング~』はあくまでも、私的名盤止まりなのか?そうは思わないのですが。


『サムシング~』は今から50年前の1967年発表です。ビートルズの『サージェント・ペパーズ~』が発売になったり、ドアーズやヴァニラ・ファッジがデビューした年で、誰もが一服やって、金門橋へサイケなトリップを試みていた時代です。キンクスのリーダー、レイ・デイヴィスがおもしろいのは、流行りでそれがヒップなことであっても、その気がなければ全く無視して世間様と同調するそぶりも見せないところです。しかし、彼によくよくつきあってみると、しっかり浮き世を見てアンテナを立てている、情報通の文句言いに違いないのです。だからおもしろいのです。


f0201561_22374589.jpg


出だしは「デイヴィッド・ワッツ」。ジャムのカヴァーばかりが有名ですが、汗をかかないどこか冷ややかなビートナンバー。デイヴィッド・ワッツというのは、おそらくいいい家柄の子なのでしょう。<ファファファファーファ>というコーラスは、レイのデイヴィッド・ワッツに対する憧れをため息で表現しているのだと思う。イギリスでヒットした「デス・オブ・ア・クラウン」はデイヴ・デイヴィスがリードヴォーカル。夢見心地感いっぱいの曲で、フラワー・ムーヴィメントのテイストを意識したのでは。「トゥ・シスター」もメランコリックなメロディで、終わり際のキャズーの音色に流行への色気を感じる私です。


「ノー・リターン」はボサノバ。アントニオ・カルロス・ジョビンというより、ピエール・バルー風。もしかしたら、前年大ヒットした映画『男と女』のサントラからヒントを得たか?どこかコミカルで東欧香に満ちたメロディの『ハリー・ラグ』は、デキシーランド調をレイ・デイヴィスの裏必殺技ツー・ビートに置き換えたような作品。続く「ティン・ソルジャー」って、スモール・フェイセスにも同名異曲がなかったっけ?ブラスをヴォーカルに裏合わせしてビートを強調しています。


旧A面ラストの「シテゥエイション・ヴェイカント」は前作『フェイス・トゥ・フェイス』の残りものではないかと推測。景気の悪い歌詞に最高の毒が盛られていて、個人的に滅茶苦茶好きな一曲です。根拠はないのですが、1961年にアメリカで大ヒットした「マザー・イン・ロウ」の猛毒歌詞にヒントを得たのではないでしょうか。かように遊ばせてくれるこのアルバムを、私は心底愛しています。何度引っ越しをしても必ず連れて暮らしています。理由はただひとつ、この塩ビニの溝には、私を安らかにさせてくれる慰めが記されているからです。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

『サムシング・エルス・バイ・キンクス』を何回か聴いてみて、いつも音の良さに感心しています。私が持っているのはアメリカ盤(リプリーズ)のアナログレコードですが、奥行きのある時代モンのエコーが適度に効いていて、和む和む。CDでは楽器間にスカスカの隙間あったり、重低音や高音に無神経な強調があったりで、少々攻撃的過ぎるのでは?と思うこともあります。『サムシング~』がお気に入りの理由のひとつに、持っているレコードの音質も関与しているのは間違いないところです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


B面はデイヴ・デイヴィスの「ラヴ・ミー・ティル・ザ・サン・シャインズ」でスタート。同面には4曲目にもデイヴの「ファニー・フェイス」が収録されています。「デス・オブ・ア・クラウン」が全英3位のヒットになったのを機会に、当時デイヴには独立~ソロの話がマネージャー先行で持ち上がっていたそうです。結局計画は頓挫し、ソロアルバム収録予定だったこの3曲が『サムシング~』収めとなったわけです。後に発売された幻のソロアルバムのタイトルは『ジ・アルバム・ザット・ネヴァー・ウォズ(アルバムにならなかったアルバム!)』キツいシャレです(笑)。


アルバム中最大の問題昨は「レイジー・オールド・サン」。もろにシド・バレット在籍時のピンク・フロイド!発売時期も近く、どちらが先かは定かではないものの、わずか3分程度の中で曲の展開が恐ろしくプログレッシヴです。レイ・デイヴィスの才気が漲った一品だと思います。かと思えば次に出て来るのが「アフタヌーン・ティー」。純正英国調ほのぼの趣味満開でガクッときます(笑)。デイヴの「ファニー・フェイス」の後にはこれまた微妙な「エンド・オブ・ザ・シーズン」。フランク・シナトラやアンディ・ウィリアムスら、当時の売れっ子クルーナー歌手を意識したか。鼻声歌手のレイにしてみたら、ヴォーカル・スタイルを真似易い人達なわけですな。


しかし「エンド~」の曲自体はちょいサイケ風で、小鳥の鳴き声がコラージュされていて、SE好きの趣味も前作『フェイス・トゥ・フェイス』ほど直接的でないのがグッドです。そしてアルバムラストは、今もキンクスの名曲中の名曲と誉れも高い「ウォータール・サンセット」。当時流行のご当地ソングですが、さすが偏屈者のレイ・デイヴィスらしく、テムズ河沿いの病院に入院した時に見た景色の美しさを唄っています。私のローカル体験ですが、夕暮れ時の阪神電車で淀川を渡るタイミングにこの曲を聴くと最高です。是非一度試して下さい(笑)。


『サムシング・エルス・バイ・キンクス』がここまで心に残るのは、もちろん曲が素晴らしいのですが、カウンター・メロディーを奏でるコーラスハーモニーの美しさが尋常ではないです。本当なら弦楽器で装飾するところを全部ハモッている。たぶん弱小パイレコードには、豪勢なストリングスを付けるほどの潤沢な資金が無かったこともあるでしょうが、レイ・デイヴィスなりの多重録音によるコーラスワークを試みている気がしてなりません。音の奥行きや複雑なコーラス、アルバム全体のインドアでダウナーな印象など、当時のビーチボーイズと同種の鬱状態が感じられてなりません。名盤本には決して載らない名盤、それがこのアルバムに相応しい冠なのでしょう。





















[PR]

久しぶりのつぶやき音楽録です。なんと昨年の3月5日以来のようで(笑)、ぼんやりしている間に、時間だけがどんどん進んで行ってますね。いつものことですが。今回もアルバム単位で、偏りに満ちた?音楽の感想をドサッと行ってみましょう!

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

f0201561_18271946.jpgジョー・コッカー『With A Little Help From My Friends』

歌手、作曲者、選曲者、編曲者として、ジョー・コッカーの充実振りが伝わる作品。彼の表現欲が根幹にあって、それを周りの仲間が過不足なく手助けをして、当時の世の要求に合った形で作品化することができた、幸福な一枚だと思う。A Little Helpどころではないバッキングと共作を担っているのはクリス・ステイントン。彼の貢献の度合いは大きい。ゼップ始動直前?のジミー・ペイジもギターで全面的に参加、いい仕事をしている。オープニング「Feeling Alright」のみ、米国西海岸腕利きクルーがバックを固め、グルーヴがちょいと別物に。



f0201561_23153173.jpgO.V.ライト『The Soul of O.V. Wright』

今日久しぶりに聴いて、腹にグッと堪えた。バック・ビート時代のベスト盤で、選曲にはひとこと言いたいところもある。当時のO.V.はまだ健康体だったことだろう、どの曲も歌唱が強く響いてくる。体幹の強い唄というか。曲の中で波のような押し引きを表現させたら、この人は絶品だと思う。バックの演奏も実に黒っぽい。タフなチトリン・サーキットで培われたであろう粘りとコクが全18曲に込められている。ハイレコード移籍前夜の充実した一枚。



f0201561_18282564.jpg


ウンサン『i love you』

2年ほど前にライブを見た。ジャズシンガーの触れ込みだが、ラテンやフォーク、ボッサ、ブルーズなど何でもこいの実力。のど以上に、この人、きっと耳がいいのだと思う。唄は上手いわ、作曲の才大ありだわ、語学力抜群だわ、スタイル最高だわ、客席で心が燃えた。CDを聴くと解読要素が多くて、ジャンルにこだわる向き(私?)を迷わせるかも。ライブの後、握手をしてもらった時、手のひらに汗をかいていた。それがなんとも可愛らしくて。



f0201561_18285415.jpgアズワド『Too Wicked』

コアなファンに言わせると「もうレゲエじゃない」アルバム。1990年の発売すぐにタワーレコードで試聴して、エラくポップな内容に驚いた。本作を起点に前後数枚を聴いた後に初期の作品に接すると、コーラスやメロディの磨きのかかり方に驚く。確かにメッセージはラディカルではなくなったかもしれないが、これはこれでレゲエの進化したあり方を示していたアルバムだと思う。





f0201561_18291745.jpg

サンタナ『キャラバンサライ』

大好きなアルバム。冒頭、フリージャズのようなサックスが静かに唸るところから、もうワクワクする。美味しいところは概ねサンタナのギターが持っていくが(笑)、バンド名ほどにワンマンではないのがおもしろいところ。デビューアルバムからメンバー全員が作曲や演奏に同等の貢献をして、ハイレベルの作品を連発してきた。ただボーカルだけはどうにもショボいが…。誰が唄っても大差がない!「風邪は歌う」(←「君に捧げるサンバ」パート2!)と、アントニオ・カルロス・ジョビンのカバー「ストーン・フラワー」がお気に入り。秋が始まるこれからの季節にピッタリ。



f0201561_18293747.jpgモーガンズ・バー『おきぐすり』

00年の2ndアルバム。97年1stもそうだったが、アルバム全体で、ヴォーカルの音質放置だけが、どうしても気になる。なぜもっときちんと磨かなかったのか。予算か時間の問題なのか。曲がいいだけにもったいない。アルバムジャケットもアタリ画像のまま印刷してしまったようで、なんともトホホな状態ネットでも本作は検索に引っかかって来ず…。もう出ていないのかな。

90年代後半に頻繁に彼らのライブに通った。オリジナル曲だけで勝負がする質量があったし、ライブアクトもなかなかの芸達者ぶりだった。ステージの上で、おしゃれとお笑いを行きつ戻りつする様が思い出される。



f0201561_18295291.jpg

フィフス・ディメンション『Portrait』

1970年作。ベルレコード移籍後の第一弾。あくまでヴォーカルグループとしての姿を維持はしているが、ソロ志向は強くなった。ただよくアルバム紹介などで書かれているほど、マリリン・マックーのみが全面に出ているわけではない。「ワン・レス・ベル・トゥ・アンサー」を筆頭に、曲は相変わらずどれも素晴らしい。カヴァー曲の選び方も時代に呼応しており、軟弱なポップスの域に留まっていない。裏方はプロデューサーのボーンズ・ハウを筆頭に仕事のできるスタッフ揃い、これぞまさにプロフェッショナル集団。



f0201561_18300853.jpg

スモーキー・ロビンソン『クワイエット・ストーム』

随分と久しぶりに聴いた。今なんでまた、この作品なんだろう。もしかしたら穏やかさを求めているのだろうか。

アルバム名でありシングルヒットした曲名でもある<クワイエット・ストーム>は、後に有名なラジオ番組のタイトルとなり、また音楽ジャンルのひとつとして認知された。70年代中期のスモーキーの影響力の大きさを物語っていると思う。

バラエティに富んだ7曲全てが、遠くでそよぐ風のような効果音で繋げたトータルアルバム然とした作りの中を、ファルセット・ヴォイスが吹き抜けてゆく。充実感・安定感に満ちたスモーキーフレイバーに心が落ち着き、日々の疲れがとれるようだ。この後彼は、敢えて正反対の、緊張を伴うフュージョン・サウンドに接近してゆくことになる。


f0201561_18302920.jpg

ドアーズ『ライブ・イン・デトロイト』

00年に出たライブアルバム。内容は1970年5月8日のフル・コンサートを収録。当時でCD2枚組分の長さを演っていたのか…。初聴きの時にいろいろ発見したことを思い出した。どう聴いてもギターをダビングしたような形跡の曲、モリソンが軽く歌詞を間違えている曲、2本(2台?)のベースが聴こえてくる曲、別アルバムで聴いたバージョンとそっくりの曲等々、ドアーズファンならいろいろ楽しめる捜しどころがあるし、客演のジョン・セバスチャンも新鮮。なによりもモリソンとマンザネラが割と好調で、脱線しないドアーズを味わえる。昔から思っていたが、会場になっているコボホールはとても音がいい。今もあるのかなあ。



f0201561_18304667.jpg

ボニー・レイット『the glow』

79年作。タイトルはなぜか小文字。私はここから彼女についてゆけなくなった。アコースティック・ギターが使われておらず、耳に沁み入るような手作り感が後退したせいだと思う。端正に音を紡いだ今までと違って、達者なバンドサウンドで一気に寄り切るアルバム作りを目指していたのだと思う。(たぶんプロデューサーのピーター・アッシャーの入れ知恵ではないだろうか。)選曲は相変わらず渋いのだが…私にとっては喰い足らないアルバムになってしまった。



f0201561_18310569.jpg

フォートップス『リーチ・アウト』

フォートップス&H-D-Hの作品中で、最高点に達したアルバム。ファンク・ブラザーズの演奏もまさに絶頂期で(曲作りやアレンジにちょっとした変化があるからこそ)、モータウンでしか表現できない音楽性に満ちている。限界キーすれすれでシャウトし続けるリヴァイ・スタッブスの熱さを冷やすような管楽器の使い方が目新しい。当時の白人ポップスの大ヒット曲のカバーが5曲納められているが、一枚通して聴いた後では、H-D-Hの曲のみが印象に残る。オリジナルナンバーがいかに強力かを物語っている。



f0201561_18312408.jpg

タジ・マハール『Hidden Treasures』

この冬のヘヴィ・ローテーションCD。2012年に出た編集もので、1969~73年の未発表スタジオ録音と、70年の英国はロイヤル・アルバート・ホールでのライブの二敗組。特に前者がすごく良い。この時代のタジ師匠を好きな人なら、あれこれ想像して目一杯遊べること請け合いです。こんないい材料をボツにせにゃあならなんだとは、コロンビアレコードは本気でタジ師匠の売り方がわからなかったんだな。失格だし失礼だね。それを隠された秘宝だなんて、今になってよく言うよ、本当に。




f0201561_18314381.jpg

ネビル・ブラザーズ『Treacherous Too!』

91年に発売された編集もの第二弾。前年に出た『Treacherous』がめちゃくちゃに素晴らしい内容だったので(ネビルズ自体も活動が上げ潮状態だった)、当時は期待も相当に大きかったが…。やはり音源が無限にあるわけではなく、55年のホーケッツのシングル(B面!)〜各自ソロ作〜ネビルズのアルバムからの抜粋曲という似た構成も二番煎じに感じた。その中でシリルの69年の激レアシングル「Tell Me What's On Your Mind」に、ぶっ飛んだファンは多かったと思う。またネビルズ『Uptown』からの3曲には、華というか目立つものがある。アルバムとしてはあまり魅力を感じなかったのに。不思議だ。


f0201561_18320102.jpgMASA『Stars Falling』

とある筋から入手。作者はドラムにギター、ベースにピアノ、作曲編曲プログラミングまで何でも来いのマルチミュージシャン。グラミー賞にも二度のノミネート歴ありとのこと。日米のメジャー所でキャリアを積んだ後に、昨年末に念願のアルバムデビューを飾ったのが本作。

全編インストアルバムで、メロディが泣きのツボという人もいるだろうな。アマゾンを覗いたら、ヒーリングミュージックと分類されていた。随分映像的な音楽だなと思ったら、サントラも手がけていた。音楽で風景を描ける人なんだろうね。




f0201561_18323440.jpg

ビーチボーイズ『トゥデイ!』

私にとってビーチボーイズの最高の愛聴盤。苦心惨憺の跡が伺える後の名作に比べて、本作は試行錯誤のぬかるみにはまることなく、限られた時間の中でさっと切り上げ、加減のいい仕上げで完成した印象がある。ステレオバージョンが出た時に、演奏のテンションの高さ、恐ろしく高度でプログレッシヴなコーラスワークに腰を抜かした。

ジャンプする旧A面もいいが、旧B面のバラード群の切なさには胸が締め付けられる。「She Knows Me Too Well」は何度聴いても未だに泣きそうになり、たまに本当に泣いてしまう。





















[PR]
私は音楽は好きでも聴くばかり。自分で演奏したり歌ったりしない人である。楽器はなにもできないし、歌といえば風呂でがなるぐらい。知り合いにミュージシャンが多く、彼ら彼女らが音楽で会話する様を目にすると、羨ましいのを通り越して不思議な光景を見ている気になる。よくもまあ、人前であんな難しい意思疎通ができるものだ。そしていつも思う。音楽家が音楽を奏でるように絵を描きたいと。どうやったらいいのかもわからない。とりあえず、まずは鼻歌かな(笑)。久々のつぶやき音楽録はVol.5です。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
f0201561_19494330.jpgシリータ『シリータ』
先日見たフランス映画『サンバ』での「トゥ・ノウ・ユー・イズ・トゥ・ラヴ・ユー」に心が燃えて、思わずCDを引っ張り出した。全編スティーヴィー・ワンダー主導で、1972年作『心の詩』と表裏をなす内容。初婚の相手シリータの、小鳥のようなか細い声はいかにもスティーヴィー好みで(デニス・ラサールしかり、ミリー・リパートンしかり)、スモーキーやビートルズのカヴァーもいいが、やはりソウルフルな「トゥ・ノウ~」のイントロのエレピが最も痺れる。彼は何故この曲を自分のアルバムで演らなかったのか?おそらく『インナーヴィジョンズ』の「神の子供たち」に姿を変えたのではないかと思われる。


f0201561_19502633.jpgバッドフィンガー『WISH YOU WERE HERE 』
マネージャーやレコード会社との不幸なトラブルや、リリース後のピート・ハムの自殺と共に語られることが多いアルバムだが、最高級の音楽が目一杯詰まっている傑作。どの曲もメロディラインが芳醇で美しく、何度聴いても胸に突き刺さってくる。いい状態で創作をさせてあげたかったバンドの筆頭。あれからもう40年も経ったのか…






f0201561_1950431.jpg島田歌穂『MALACCA』
誘う力が相当に強いトータルアルバム。その理由は、プロデューサーの久保田麻琴が、精通したアジアン&ブラジリアン・テイストの世界を丁寧にこしらえているからだと思う。島田歌穂も余裕を持って唄い遊んでいる。彼女の歌唱表現には、迷いとか逃げるような小細工が一切ない。長いキャリアからくる自信なのだろう。どの曲も高水準で安定感があって、とても落ち着く。ライナーを読まなかったら、18年前の作品だとは到底思えない。





f0201561_19505959.jpgディー・ディー・シャープ『ハッピー・アバウト・ザ・ホール・シング』
この人は唄が滅茶苦茶に上手い。曲は旦那のケニー・ギャンブルの肝入りだけに、コクがあって聴き応え充分。編曲といえば全盛期のフィリーに外れはない。まさにゴージャスなムードに包まれたベストな一品。ここまで売れる要素の揃った作品が大衆に受け入れられなかったのは、一体どこに計算違いがあったのだろうか。ポピュラー音楽の難しさ、不可思議さを感ぜずにはいられない。





f0201561_19511527.jpgネヴィル・ブラザーズ『ブラザーズ・キーパー』
1990年作。リアルタイムで聴いた時も今も、変わることのない出来映えに唸る。次作からシリルの露出が増え始め、アートは年齢的に大人しくなってゆくだけに、兄弟四頭体制の好バランスがもたらす安定感が心地いい。ゲストの好演も素晴らしい。「サンズ・アンド・ドーターズ」はリプライズとともに、ソウルフルで鳥肌もの。当時「バード・オン・ワイヤー」を売れ線狙いと書いた評論家がいたが、誰だったかも忘れた。生きてゆくのは作品であって、冷やかし言葉ではない。




f0201561_19512634.jpgリトル・フィート『アズ・タイム・ゴーズ・バイ』
ベスト盤。無視されがちな1stからも2曲のみしっかり収められていて好印象。ただ、半数以上の選曲が重なるライブ盤『ウェイティング・フォー・コロンバス』との聴き比べで、スタジオ録音ではいかに曲の魅力が伝わっていなかったかが、どうしてもはっきりと出てしまう。曲はいいのだが、演奏のダイナミズムがこじんまりと小さくまとまった印象がしてもったいない。逆にライブになると、音の活きの良さとか、ノリ、曲のスケールが豹変してしまい、全く別物になってしまうバンドだった。お客を前にすることが、それだけの劇薬になっていた証だと思う。



f0201561_19514267.jpgジェイムズ・ブラウン『Get on the Good Foot』
先月今月と、ほんまによぉ聴いたわ、このCD。今年の夏のヘヴィローテNo.1やで。72年のJB初のスタ録オンリーの2枚組アルバム。構成が練りに練られとる。JB’Sも面子演奏ともに脂のノリが凄いし、ゲストもバーナード・パーディやらブレッカー・ブラザーズやら豪華やで。ええ曲多いし、バラード最高やわ、再録ナイスやわ、ユーモア抜群やわ、JB流の娯楽が一杯詰まっとる。そこにJBのあの声と唄や。ギターのカッティングだけであんだけ唄えるシンガーて、他におるんかな。こんなよおでけた作品を「2枚組LPの意味ない」とか言うてた評論家が昔おったけど、あいつ何聴いてたんやろか?



f0201561_19515758.jpgイ・プー『ARESSANDRA』  
CBSシュガー移籍後2枚目のアルバム。前作録音終了後に、ドラムス担当のヴァレリオ・ネグリーニが作詞に専念するために、グループを脱退しました。後任はステファーノ・ドラッツォ。彼の加入がもたらしたドラミングはプ-の歌を核とするサウンドに大きく寄与しており、本作が前作から一段高いところへ到達できた要因になっています。その他のメンバーやスタッフに変化はなくリード・ヴォーカル&ベースがリッカルド・フォッリ、ヴォーカル&キーボードがロビー・ファッキネッティ、ヴォーカル&ギターがドディ・バッタリア、プロデューサーにジャンカルロ・ルカリエッロ、アレンジャーにジャン・フランコ・モナルディ、エンジニアがグァルティエロ・ベルレンティーニ、アシスタント・エンジニアにフランコ・サンタマリア、といったところです。アルバム・タイトルにもなっている、ロビーの愛娘アレッサンドラを配した有名なジャケット・フォトはエギズィーオ・ファブリッチ。メンバー・チェンジに負けないくらい大きな変化に、ム-グ・シンセサイザーの導入が挙げられます。当時のポップ・ミュージック・シーンの革新的な楽器だったム-グをいち早く取り込んだことで、本作のプ-の(特にロビーの)表現力が飛躍的に向上したことは、2曲目の「愛のルネッサンス」を聴けばよくわかります。ここではまだ小手先程度でしかないこの楽器ですが、後のプ-にとって最大の武器となっていきます。ム-グがデジタル系につながる新生面だとすれば、アナログ系の新生面は32人編成のオーケストラの起用だと言えるでしょう。前作でもオーケストレーションはふんだんに盛り込まれてはいましたが、今回のアルバムの裏ジャケットや見開きに写った大編成の弦楽器隊+管楽器隊は、「オペラ・プリマ」以上の質が明らかで、プ-とオーケストラ・メンバーとの共演作といっても間違っていないのでは。そのブリッジにフランコ・モナルディの存在価値があったのでしょう。録音は1972年春~夏~秋で、11月に発売され、その発表コンサートが12月11日ミラノのマンゾーニ劇場で40人の大編成オーケストラをバックに華々しく行われました。翌73年1月からなんと11月までアルバム・チャートにランクされ最終的に20万枚を超える大ヒット・アルバムになって、投資からしっかり元をとったわけです!またこの間、コンサート・ツアーとしては異例のミラノのスカラ座やリリーコ、バリのペトルテェリ、ローマのシスティーナ礼拝堂!、ナポリのメディテラネオなどでオーケストラとの共演をして話題を呼んでいます。
LATO A
1.ロマンの世代/LA NOSTRA ETA’DIFFICILE
まずは耳に入ってくる弦楽器の柔軟性、ピアノのクリアーな音が前作の比ではない!このイントロだけで本作の音品質はISO基準を十分満たしていると言えるでしょう。前作「オペラ・プリマ」のドサッと段ボール箱に音を詰め込んだような未整理感が消えて、 楽器と楽器の音間が適正に整理された印象を受けます。これはたぶん、前作の音質に不満を持っていた現場のレコーディング関係者が意識的に改善したものだと考えられます(レコーディング場所、エンジニア等は前作と変わっていない)。ステファーノの控えめながら歌を活かしたドラミングが素晴らしく、リッカルドを含めたリズム・セクションの向上が伺えます。ヴォーカルはいきなりリッカルド&ロビーのツイン・リードで、ロビーの発声が彼本来のものになっています。個人的に大好きなオープニングで、初めてイタリア語の歌詞を憶えた曲です(今もソラで歌える!)。
2.愛のルネッサンス/NOI DUE NEL MONDO E NELL'ANIMA
このアルバムの邦題には、ほとんど叶姉妹!みたいなのが多くて昔友達に笑われた記憶がありますが、この曲も凄いな。アルバム先行シングルでチャート2位(年間チャート8位)を記録した大ヒット曲です。ミニ・ム-グがこれでもかと使われていて、オーケストラと対をハッていますが、フランコ・モナルディのアレンジ力がなんといっても卓越しおり、素材としてのメロディーのパワーを飛躍的に拡大させています。録音は72年4月~5月。日本の全てのプー・ラヴァーにとって最も重要な作品といってもよいかもしれません。74年にCBSからプーの日本での初めてのシングルとして発売されたからです(「ミラノの映像」とのカップリング)。その頃のポップス・ファンはどう思っていたのでしょうか?今聴いてもさほど古いとは感じさせない、一種の普遍性がこの曲には宿っています。
3.青春の哀しみ/MIO PADRE UNA SERA
イントロのアコースティク・ギタ-の使い方が前作にはなかったパターンで、75年のアルバム「ロマン組曲」に収められている「地中海の伝説」はこの曲から発想を得たのではないでしょうか?そのくらい酷似しています。と同時にロビーの独壇場と言える仕上がりになっています。ム-グの遊び具合や伸びやかに舞い上がってゆく彼のリード・ヴォーカルは、本アルバムではバンドとしての新生面ですが、のちのプ-本来のプロトタイプになっていく要素です。リズムのパンチもやはり「オペラ・プリマ」とはかなり差がありますね。
4.初めての恋人/NASCERO CON TE
このアルバム中最もお気に入りかなぁ。72年4月の録音でステファーノが加わって初めて録音された曲です(「愛のルネッサンス」のB面に収録)。第二小節へ向かう際のハイハットはどう考えてもヴァレリオにはなかったもので、ドラミングのキレの良さがクリアーな音質と相まって実に効果的。テナーをリッカルド、ソプラノ~ハイ・トーンはコーラスというヴォーカル編成ですが、メロディーが素晴らしい!(凝ったことはそんなにやっていないのに密度の濃いこと!)またアルバム全編に言えることですが、ストリングスによるフェイド・アウトで閉めるエンディングがほとんどで、まるで映画の余韻を一曲ずつ味わうかのような錯覚に陥ります。曲の終わりまでを惜しむように聴いたものです。アレンジャーというより音楽監督というほうがモナルディには合っています。そうそう、82年のライブ・アルバム「パラスポルト」のD面での懐かしのメドレーでこの曲を演ってくれた時は本当にうれしかった!あの感激は今も忘れられません。
5.大人の遊び/IO IN UNA STORIA
また出た!叶姉妹的邦題(笑)。ドディが作曲を手がけた初めての作品(作詞はもちろんヴァレリオ・ネグリーニ)。ヴォーカルもドディがとっています。派手さはありませんが、2台のアコースティック・ギターと1台のエレクトリック・ギターのコンビネーションは安定感があり、たぶんドディがレコーディングの主導権を握っていたとおもわれます。ドディの作品はロビーとはまた違ったポップなメロディーを持っていて、大作よりも小品で力を発揮する傾向が後々明らかになりますが、ここでの佇まいもひっそり収められているといった印象ですね。当時のイタリアで流行していたカンタウトーレたちに影響力があったであろうCSN&Yの音作りが垣間見える曲で、ニュー・トロルスなんかにも似たようなギター・アレンジメントをしたナンバーありました。
6.風のコンチェルト/COL TEMPO,CON L'ETA'E NEL VENTO
重厚なイントロですがリッカルドの表現に抑制が効いているうえ、フルートが曲の体温を下げているので暑苦しくならない、前作と本作との違いが顕著にわかる曲です。陽光を表現したホーンとフルート、ピアノの一音一音の艶やかさ、控えめながら歌を生かすサポートに徹したリズム・セクション、全てが上手いの一言です。「オペラ・プリマ」でもそうでしたが、アナログ・レコードのA面ラストということでB面へのつなぎを十分配慮したエンディングも素晴らしい!リッカルドのビブラート唱法から続く力強いコーラス(ステファーノもきっと歌っている)、そして4人の声と重なりながら引き継ぐようにオーケストラのスケールの大きいサウンドがどんどん高みに上ってゆくこの終わり方はジャン・フランコ・モナルディのアレンジの傑作と言えます。
LATO B
7.季節の終わり/SIGNORA
歌詞の内容が結構意味深いロビー、ドディー、ヴァレリオによる初めての3者共作品。この曲に限らず、アルバム全体に過ちに対する後悔の念が支配する精神状態をテーマにした詩が目立つヴァレリオ・ネグリーニでした。何かあったのでしょうか!?イントロのフルートはアナログB面の新しい展開を予感させ、冴え渡るコーラスが決めを作るところはもうイ・プーの定番の趣さえあります。定型のロック・バンドなんかの場合、ギター・ソロがクライマックスでよく割り込んできてブレイクさせることがありますが、このアルバムのプーの場合それがコーラスで代用されています。自信あったんだろうなぁ、ユニゾンなんて軽い軽いとか…。
8.青春に目覚めた頃/COSA SI PUO'DIRE DI TE?
先行シングル第2弾でチャート7位まで上がりました。ロビーがリード・ヴォーカルをとる曲がやっとシングルで出てきました。やっぱりヴァレリオの歌詞に実際に曲をつける(もしくはその逆)人が歌うだけに、メロディにのる歌詞の表現が絶妙ですね、ホントに。これにステファーノのゆるやかで撫でるような太鼓と、モナルディ的なロマンティシズム解釈が加わるわけで、この公式を誰より早く見抜いていたであろうプロデューサー、ルカリエッロはさぞかしご満悦だったことでしょう。余談ですが、同年にツアーした南米で買った4本のギターがここでは使われているとか。ふ~ん。(また御多分に洩れずこの曲もスペイン語ヴァージョンが制作されています。)
9.夜を終わらせないで/VIA LEI,VIA
「オペラ・プリマ」に少しだけあったビート・グループの匂いがこの曲にも少々残っています。ドディが本当は弾きたかったであろうロック然としたギターも顔をのぞかせています。ピアノ+アコースティック・ギターのコラボレーションがお見事です。また楽器でいえばリッカルドのベース・プレイはこの曲がベストではないでしょうか?ベースの音がよく拾えているので彼も弾きがいがありますよね。ベーシストとしてだけでも十分やっていけるような気がしますが、どんなもんでしょう?
10.愛の後に美しく燃える君/DONNA AL BUIO,BAMBINA AL SOLE
叶姉妹風邦題第三弾!しっかしいったいどこの誰がこんなタイトルを付けたんでしょうな?曲風から感じ取れるイマジネーションの貧困さを露呈していますよね。イ・プーにまつわる偏見の一端を業界関係者が演出していたとしか考えらない犯罪的な邦題だと僕は思います(激怒)。オペラ・プリマ的誇張アレンジが少し耳につきますが、そこはなんといってもリッカルド十八番の囁きヴォーカル・ナンバー。彼の持つアイドル性を生かすような起伏のある構成が曲のアクセントになっています。実に自然な転調とリズム・チェンジ、ムードといいドラマ性といい、前作の流れを丁重に洗練させた作品です。リッカルドを中心とした、グループとしての声が武器であることをモナルディーも十分わかっていたのでしょう、ここで聴かれる高音のハーモニーとピアノそれにストリングスが奏でる柔らかさとやさしさ。こんなサビは何分聴いても飽きが来ないものです。人をどこかへ連れていってしまう力、どこかで見た情景を引っ張りだしてくる力が曲にあるからでしょう。もしリッカルドが脱退せずにいたら、こういったリッカルド色の強い曲をいつまでも演り続けていたかどうか?と問われたらあなたはどう答えますか?
11.想い出の部屋/QUANDO UNA LEI VA VIA
87年に出たライブ・アルバム「good-bye」での再演で改めてこの曲の良さ、特に不滅のメロディー・ラインの底力に感服した人も多かったのではないでしょうか?プ-としては珍しい構成とリズム・パターンを持った作品で、再びリッカルドのTU~という囁くような一音で始まります。コーラスが前作と比べ格段に洗練されて上手くなっていますね。やはりどこかアメリカナイズされた印象が大。エンディングはオーケストラの洪水でフェイド・アウト。こんな曲ってどうやって作るのでしょう?どうやってリズムの落し所をバンドとオーケストラとで合わせるのでしょうか?たぶん凄く手の込んだ作業だったのではないでしょうか。それだけの成果は、今なおこの曲が生き続けているという事実に証明されていると思います。後のベスト・アルバムにも収録された隠れた名曲です。
12.ミラノの映像(愛のイマージュ)/ARESSANDRA
こちらは表だった名曲です。7分弱の長尺バラード・ナンバーですが、聴かせ所が多く長さを少しも感じさせません。流れとテンポにおおらかさというか余裕があって、聴いていてとても落ち着きます。娘の名前をタイトルにしたまでの愛情が全編に憎いまでに溢れかえっていて、その上から豊穣なアレンジが施されている、ある意味で完成型の作品でしょう。こういった美意識を茶化す人もいるんだろうけれど、本当にいいものはいいのだから仕方ないのです。「オペラ・プリマ」の場合もそうでしたがアルバム・タイトルにしてラスト・ナンバーという締め方と、ドラマチックな幕の降ろし方はもうイ・プ-の専売特許。レコードを買って得した気分になったものでした。この演出がファンにとってはたまらないのでは。ホーンの絡みも美しいサビが繰り返され、残念ながらアルバム終了となります。


f0201561_19522581.jpgマーヴィン・ゲイ『M.P.G.』
1969年作。ソロ&デュエットで、大ヒットシングルを量産していた時期の作品。前年のメガヒット「悲しい噂」で知れ渡った三種類の声を駆使した歌唱法が、ここでは完成形になっている。アルバムとしては典型的な60年代ソウルの作りで、ヒットした3曲以外はちょっと苦しい。マーヴィン・ゲイにとって、モータウンのベルトコンベア式生産体制の乗っかった最後のアルバム。その後しばしの隠遁を経て、二年後に『What's Going On』で帰還することに。この二枚の落差たるや、なんと大きいことか。




f0201561_19523785.jpgV.A 『 ニュー・オーリンズR&Bヒット・パレード  ガンボ・ヤ・ヤ』
アラン・トゥーサン旅先にて死す。昨日のニュースは世界中を駆け巡り、多くのニューオーリンズR&Bファンを悲しませたことだろう。1987年だったか88年に、こいつを手に入れて、繰り返し聴いたなあ。盤のライティング・クレジットを見たら、片っ端からアラン・トウサンと書いてある。なんていい曲を書く人なんだと痺れたものだ。トウサンではなく、トゥーサンと呼ぶのだと、中古レコード屋のオヤジに教えてもらった、阿呆な私だった。よき伝統を受け継いで、新しい時代への扉を開いてみせた音楽家よ、貴方の人生は長かったのか、それとも短かったのか?、最高の夢を見させてくれて、ありがとよ。少しだけ 寂しいぜよ。



f0201561_2053714.jpgキンクス『did ya』
1993年の来日記念5曲入りシングルCD。タイトル曲は91年作で、かつての大ヒット作「サニー・アフタヌーン」をなぞるコーラスが、ファンの間でだけほんのちょっと話題になった。レイ・デイヴィスの表情豊かなヴォーカル七変化が味わえる一曲。三曲目は68年のシングル「Days」のリメイク。新曲ありきのキンクスにしては珍しい。96年のレイのソロ来日時にはステージ進行の流れから「Daze」と皮肉って表現されていた。五曲目の「Look Through Any Doorway」はデイヴ・デイヴィス久々のナイスなメロディが詰まった一品で、抑圧感や閉塞感が満載だった93年作『フォビア』に収められなかった理由が知りたい。作風が違うからだろうか。問題は四曲目「New World」。たぶん89年「U.K. ジャイヴ」の「アグリヴェーション」を膨らませた曲で、キンクスでは初めて聴く打ち込みサウンド。パソコンで作ったのではないだろうか。驚くのは歌詞内容だ。
朝目をさまし、通りを見下ろすと
重大な事態が起こっていた
決して偶然じゃない
戦争は終わった
だが戦いは始まったばかり
これからも続いていくだろう
なぜなんだ
大量の移民の群れ
リトアニア、アストニア、チェコスロヴァキア
ポーランド、欧州大陸の各地から難民が流出する
すべてが自由の地アメリカへと向かう
すべてがアメリカの大都市へと向かう
都会の暮らしが僕を圧迫し始めた
みんなが押し合いへし合い
そこらじゅうで事態は悪くなるばかり
酷くなるばかり
見てみなよ
ああベイビー
どこまでいくんだ
どこまで悪くなるんだ
それは50年前に
 50年前のある時
 この事態は始まった
 そして今も続いている
1993年(もしくは1989年)時点での難民問題を取り上げ、EUへの懸念を歌っている。社会の閉塞感は今と酷似する。レイ・デイヴィスのジャーナリスティックな視点はそれまでにも評価・指摘をされていたが、2015年の今となっては、彼の想像を遥かに越えて世界の政情不安が悪化していると言わざるを得ない。曲中のカウンドダウンがドイツ語という段になると、あまりの読みの鋭さに呆気にとられる。5曲で18分26秒とお手軽でも、的は外さず毒抜かず。つまらん大手新聞以上に中味の濃いキンクス版号外。


f0201561_19532535.jpgV.A.『チャンプルー・シングルズVol.2~平和の願い(戦争と移民)』
バラエティに富んだ内容で娯楽色の強かったVol.1に対し、本作は沖縄の大戦と社会事情を直視した選曲で占められている。16曲を通しで聴くとかなりヘヴィだが当然だろう。沖縄芸能の唄者たちが歴史の語り部となって、悲劇を後世に伝えようとしたドーナツ盤のオムニバス集なのだから。特に金城実の「PW無情」の物悲しさには言葉を失う。発売当時はまだ現役バリバリだった唄者たちの多くが鬼籍に入ってしまった。辺野古闘争が燃え盛る今、耳を傾ける意味と重さを持つ一枚だと思う。




f0201561_19535915.jpgスティーブン・スティルス『マナサス』
このアルバム、大好きで素晴らしいのだが、更に良くなっていたはずだという気がしてならない。これまでのグループやトリオ、カルテットでの、曲数などの制限付きの制作とは違い、やりたいことをやりたいメンバーで思いっきりやってしまった結果、妙に解放され過ぎて、本来はコンパクトにまとまっていたはずの曲の魅力が、冗長に流れ真空パックされ損なった感がある。もったいない…。当時の彼は、自分の持ち味を、徹底的に吐き出さなければならなかったのだろう。そう考えると、スティーブン・スティルスの音楽性にどっぷり浸れる作品であることには間違いない。
[PR]
60年代~70年代~80年代と進むに連れて、モータウンのレーベル色は薄まっていった。70年代半ばに、私が初めて接したモータウンのミュージシャンだったスティーヴィー・ワンダーや、テンプテーションズ、ジャクスン5、マーヴィン・ゲイ、コモドアーズ、ダイアナ・ロスは、創作においては、60年代に比べればある意味で縛られるものがない活動をしていた。にもかかわらず、長い実働期間があったにせよ、瑞々しさや輝きは格段に落ちていた(当時はそんなことには気付きもしなかったが)。ライオネル・リッチーやディバージ、リック・ジェイムズが気張っていた80年代となれば、もうキラピカドンシャリのバブルやヤッピーの価値観が反映されていて、とてもではないがついてゆく気がしなかった。


規制とか足かせのような不自由さがあると、創作者はそれをイマジネーションで乗り越えようとして、ある種の団結も加わり、作品はより豊かな膨らみや、思いもよらないパワーを持つことがある。社会や会社自体に大きな枠組みで制御されていた60年代モータウンがまさにそれだった。70年代に入って個々のミュージシャンが権利主張をし実現し始めると、モータウンというレコード会社自体の色気はひとたまりもなく分散していった。まさにレコード会社としての魅力を喪失している最中に、私はモータウンと出会ったのだろう。80年に入って相次いで出された二枚組L.P.のベストもので、過去のモータウンサウンドがいかに素晴らしいかを知り始めたのだが、とき既に遅しを直感したものだった。


80年代初頭は、往年のモータウンサウンドのリバイバルヒットや、影響というよりも全くのコピーのような曲が数多く出回っていた。特に英国では当時の時流だったようだ。そういうのを聴いて、本家の良さと比べて、ただただ軽薄さを感じた私が、流行の音楽からどんどん取り残され、80年代の終わりにはレコード棚の中には古いブラックミュージックのものしかなかったのは、今思うと当然だった気がする。モータウンに代表されるようなソウルミュージックに心を惹かれたと書けば聞こえはいいが、その実、私は同時代性を失い路頭に迷う哀れなリスナーでしかなかった。そんな男にとって、古き良きモータウンサウンドが大いに慰めになったのは間違いない。


89年だったか、来日していたテンプテーションズの故メルヴィン・フランクリンはインタビューでこんなことを語っていた。「60年代初頭に、デトロイトで大規模な暴動が起きて、あの街は犯罪都市に傾いていった。それまでは、夜寝るときでも鍵をしなくてもよかった。網戸だけで充分だった。」ビジネス上の理由があったかもしれないが、失業が増え、貧困地区が広がり、街に犯罪が多発していったことと、モータウンがL.A.へ移転したことは無関係ではなかっただろう。破産したデトロイトが手に入れた何かがあったとすれば、失った何かもあったのだろう。モータウンレコードはそのひとつだったのかもしれない。


f0201561_143251.jpg
移転するまでの13年間のレーベルの経営本部と録音スタジオのあったヒッツヴィルU.S.A.。現在はモータウン歴史博物館となっているそうな。当の会社に見捨てられた建物が、デトロイトで最も観光客が訪れる観光名所となっているのは、なかなかキツい皮肉だ。
[PR]
モータウンがレコード会社として、どの辺りまでクリエイティヴに機能していたのかは、人によって意見が異なるだろうが、1980年代初頭にはもう役目は終わっていたと思う。今世間でいうところのモータウンサウンドとは、1962年~67年あたりのヒット曲を指している。同時期のスタックスやアトランティックのサザンソウルと比べると、軟弱でソウルとポップミュージックの重なった味がする音楽を得意としていた。作家/歌手/演奏者/プロデューサーといったレコード製造ラインが人的に確立され、画一的な音楽を大量に販売する手法は、いかにもアメリカ的であり、低コストの品を量販し消費欲を煽るところなどは、現在のマクドナルドのような企業とよく似たことをやっていた。


この会社のおもしろいところは、実体がほぼ消えた頃から絶えず話題を提供していることだ。1983年にはモータウン25周年でのコンサートがあり、1985年には名手ネルスン・ジョージが60年代のモータウンヒストリーの決定版『WHERE DID OUR LOVE GO?』を書いた。(モータウンから全く協力も得られなかったからこそ、最高に面白いドキュメンタリーになっている。)1989年出版のジェームズ・ジェマーソンの謎を追ったアラン・シュラツキー著『STANDING IN THE SHADOWS OF MOTOWN』はその後、2002年にデトロイトとファンクブラザーズの視点から見たモータウンを描いた映画『永遠のモータウン』となったことは記憶に新しい。


モータウンの内実がはほとんど明かされないまま、1988年にベリー・ゴーディ・ジュニアは会社を身売りして隠遁し、表に出てくるのは主に弁護士だけになった。だから人々は推測するしかなかった。当事者だったミュージシャンたちにもよくわからないことだらけだったようで、スティーヴィー・ワンダーでさえ1971~2年の契約時の出来事の回想インタビューを読むと、一体どこまで事情をわかって行動していたのか疑問に思うぐらいだ。裁判沙汰も多い。H-D-Hとの印税に関する裁判は、始まってからもう40年からなるのに、まだ結審がついていない。(彼らのモータウンでの実働はわずか5年であるにもかかわらず。)人の一生を考えたときに、時間切れは目の前に迫っているだろうに。


f0201561_20175680.jpg
確かに映画『永遠のモータウン』は得心のゆく内容だった。映画館最前列で見て、最初っから最後まで泣きっ放しだった。しかし本心を言えば、「1980年に制作が着手されていたら」と思ってしまう。それだけ80年代には、モータウンを音楽的に支えた要人の逝去が続いたわけだ。
[PR]
去年の夏、アメリカのミシガン州デトロイトが財政破綻した。私が小学校の頃、家にあった百科事典には、デトロイトは世界の自動車産業の都であり、米国の工業力のシンボルだと書かれていた。破産した折にリック・スナイダー・ミシガン州知事は「60年にわたる衰退を食い止めるときが来た」と語った。60年前と言えば、1950年代半ば。デトロイトの人口は180万人(1950年の統計)を数え、自動車産業が多くの労働人口を受け入れており、米国有数の大都市だった頃のことだ。要するにこの街は60年間衰退し続けて、2014年7月18日に息の根が止まったのだ。市は連邦破産法9条の適用を申請した。負債総額はおよそ180億ドル(約1兆8000億円)。米国の自治体としては史上最大規模の財政破綻だった。
 

このニュースを知ったとき、レコード会社のモータウンのことを思い出した人は多かったのではないだろうか。モータウン社は1971年にL.A.に移転するまではデトロイトに本社があり、数多くのタレントや裏方の雇用を作り出していた。社名がモーター・タウンを語源としていることや、社長だったベリー・ゴーディ・ジュニアが若い頃に、実際にG.M.の下請けで働いていたことなど、モータウンとデトロイトには浅からぬ関係がある。何より音楽や自動車といった若いアメリカの夢を売りにした産業を育む土地柄が、デトロイトにはあったのだろう(それと同じだけの繁栄の闇も)。市が破綻したことで、モータウンが栄華を極めた1960年代は、一層人々の間で美しく語られたことだろう。


モータウンは今も実在する企業だが、大手のエンタテイメント・カンパニーの傘下に入っている子会社の一つでしかない。音楽ファンにとっては、1960年代~70年代のソウルミュージックを連想させる。1961年生まれの私が、1960年代の黒人音楽を知るはずもなく、モータウンという個性の企業を知ったのは1974〜5年のことで、その時分にはモータウンは極普通のレコード会社の印象だった。黒人経営による会社といっても、60年代のような特徴的なモータウンサウンドといったものは70年代には失われており、マーヴィン・ゲイやスティーヴィー・ワンダーといった個々のタレントが独自の音楽を作っている、その発売元といった感じだった。

f0201561_12124846.jpg
デトロイトのとある倉庫。こんなのに似た建物を、日本全国で見ることが出来る。無頓着に建てられて、無責任に捨て去られて。そのうち普通の一軒家で、この手の幽霊屋敷がごまんと出現するだろう。人口の減少とは、廃墟の増加と同義語だ。
[PR]
つい先日B.B.キングが亡くなりました。少し前にはベン・E・キングが、そのちょいと前にはパーシー・スレッジが、加瀬邦彦が、シーナが、イアン・マクレガンが…馴染みのミュージシャンたちが、もうどんどんいなくなってゆきます。だからといって私に何ができるでしょう。残ってゆくのは作品だけで、生身の人間は消えてゆく。それをわかって繰り返し聴いては、何かしらをつぶやくのでしょう。人によってはアルコールを片手に、人によってはため息を伴って。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

f0201561_12382449.jpgトム・ウェイツ『娼婦たちの晩餐』
前作に引き続きボーンズ・ハウのプロデュース。評価されることの少ないアルバムだが、聴き応えが大いにある。正真正銘のライブだとばかり思っていたが、実は関係者を呼んで、レコーディングスタジオを酒と煙草と喧噪の安酒場に仕立てて録音したらしい。どうりで新曲ばかりなのに進行がスムーズだし、妙な野次も聞こえないはずだ。後にトム・ウェイツが全く飲めない男だと知ったとき、なにか納得できるものがあった。




f0201561_123842100.jpg鈴木亜紀『Blue Black』
顎に一発食らった感じのライブを体験して好きになった。基盤は唄とピアノの確かさ、それにジャンルをものともしない個性が乗っかっている。根付くことを良しとしない旅人の視点をテーマに据え、聴き手の安住にじんわりヒビを入れてくれるアルバムである。どうやらボディにも、かなり効果的なのを入れられたようだ…






f0201561_1239923.jpgサム・クック・ウィズ・ザ・ソウル・スターラーズ『ゴスペル・トゥ・マイ・ソウル』
ほぼ年代順に曲を配置したコンピもので、ベスト盤ではない。初聴きのテイク違いもあれば、L.A.シュライン公会堂での有名な長尺ライブ「ニアラー・トゥ・ジー」も挿入!1950年代の熱きコスペル最前線が味わえる。日本最強の黒人音楽アナリストと評判も高い鈴木啓志氏の手によるコンピレーションも、ジャケが相当ショボいよ〜??




f0201561_12393645.jpgポール・バターフィールド・ブルーズ・バンド『ザ・リジュアレクション・オブ・ピグポーイ・クラブショウ』
前作の『イースト・ウエスト』は一度聴いたら耳から離れなかったが、本作は何回聴いても曲が憶わらない。1967年にして、ホーンを備えたバンドアイデアは斬新だっただろうが、如何せんオリジナル曲が今二つ。ブルームフィールドがいなくなった途端、カバー曲もインパクトが消えた。内容は下り坂と見るが、チャート的には彼らのベストだった。音楽は数字では表わせない。




f0201561_12395873.jpgザ・バンド『ムーンドッグ・マティーニ』
何を隠そう、ザ・バンドで最初に好きになったレコード。ここで初めて聴いた曲のオリジナルを追いかけて、R&RやR&Bの世界と接点を持ったようなものだ。まさしくカヴァー・アルバムの思惑のとおりに動かされた初心なファンでした(笑)。特にニューオリーンズものなんて、本作が完全な出発点だった。チターなしの「第三の男」だけはピンと来なかったが。素晴らしいアートワークのジャケットにも大いに心を動かされた。久しぶりに完コピしたくなったぞ!




f0201561_12401964.jpgジュニア・ウォーカー&ジ・オールスターズ『グルーヴィン・ウィズ・ジュニア』
バチもんCDなので、たぶん探しても売っていないと思う(笑)。モータウン後期のヒット曲は未収録だが、初期のガットバケット・ホンキー・サックスが目一杯聴けるし、なんといってもソウルフルなあの声!スティーヴ・ウィンウッドのVoって、レイ・チャールズ似というよりも、ジュニア・ウォーカーそのまんまという気がする。モータウンには珍しいバンド編成のグループで、ファンク・ブラーズがあまり介入していない。そのせいか、ノーザンソウルなのに泥臭くて心がざわめく。特にヴィック・トーマスの教会風のオルガンはとてもいい。

f0201561_12403371.jpgフォー・シーズンズ『SHERRY & 11 OTHERS』
映画『ジャージー・ボーイズ』を見てからよく聴いている。デビューアルバムだが、今は売っていないようで、映画や舞台が良い機会になってほしいが、やっぱりフォー・シーズンズの扱いは昔と何も変わっていない気がして、寂しい限りだ…。ヴァリを筆頭に、プロのキャリアが10年弱はあるメンバーらだけに、デビューアルバムとはいっても、もう完成品である。カヴァー曲に顕著なヴァリ節が素晴らしい。唄の品格がもう別物です。




f0201561_12404973.jpgあがた森魚 『俺の知らない内田裕也は俺の知ってる宇宙の夕焼け』
曲が時空間を自在に移動して、聴き手のイメージを止めどもなく喚起させる、あがた森魚60歳のアルバム。夥しい地名や固有名詞が散りばめられ、聞いたこともないライムが頻発する。引き出しの多い音楽性と強力なイントロ、そしてVo.の力。老いと無縁の人とは、まさに彼のことだ。遊べる人にはとことん楽しい、創作力の勝利のようなアルバムだと思う。





f0201561_1241568.jpgブッカー・T&ザ・MG's『Hip Hug-Her』
文句無しのファンキーインストが少なくとも4曲はある。メンバーが出しゃばらず、引いたセンスの良さには脱帽する。当然ブッカー・Tの鍵盤が主役で、曲によってはアル・ジャクスンのどっしりドラムがメインになっている。スティーヴ・クロッパーの出番は驚くほど少ないにもかかわらず、決して埋もれない。カッティング・レベルの低さだけが難だな。あ、それとジャケがまるでフレンチポップスみたい(笑)。




f0201561_124119100.jpgアイズレー・ブラザーズ『3+3』
オリジナルもカヴァーも全てアイズレー節で塗込まれておる。マーゴレフ&セシル初参加で、CBSでの一発目とくれば、気合いが入らないわけがない。今回聴いて思ったのは、アルバム一枚を繋ぐように聴かせてゆく曲間の微妙な間合い。当時のスティーヴィー・ワンダーのアルバムから着想を得たかな。タイトルとは裏腹に、演奏陣にブッダ時代からの助っ人が加わり、アルバム全体のふくよかさに大きく貢献している。私見ながら、75年に真の3+3体制になってからのアイズレーズは、意図的に懐を浅くして、奥行きを消しにかかった。セールスは上がったが、音楽は痩せてしまった。


f0201561_12413551.jpgロビー・ファッキネッティ『Fai Col Cuore』
昨年21年振りにソロアルバムを出したロビー。彼の93年のセカンド・ソロ・アルバムで、イ・プーの音楽性をよりドラマチックに、より重厚長大に、よりクドく。私がドディ・バッターリア派だからだろう、曲調にしろアレンジにしろ、もう少し抜きやバリエーションがほしいと感じる。しかしだ、それをやると、たぶんイ・プーそのものになってしまうかも(作詞も故ヴァレリオ・ネグリーニだし)。




f0201561_12415380.jpgビューティフルハミングバード 『HIBIKI』
繊細かつ真摯、強引さを排除した訴えは痛くて儚げで、好き嫌いが大きく別れそうだが、絶大な支持があるとみた。どの曲も目の前の景色が大きく広がってゆく印象があるのに、品の良い小品の佇まいをしている。不思議だ。か細くもしぶとさを感じる声に、『Ladys Of Canyon』の頃のジョーニ・ミッチェルを連想した。






f0201561_12421071.jpgクラレンス・カーター『This Is Clarenca Carter』
ドクターCCことクラレンス・カーター32歳にして、長年のドサ回り生活の後の、ようやくのデビューアルバム。収録12曲のうち、持ち味の明るく哀愁漂うミディアムナンバーが抜きん出ている。1967〜8年マッスルショールズはフェイムスタジオという環境で、若いが腕は達者なホワイトボーイばかりのスタジオミュージシャンに囲まれ、カーターの唄は若干荒っぽいが、おそらく納得のゆくレコーディングだったことだろう。




f0201561_12422358.jpgオリジナル・サウンドトラック『小さな恋のメロディ』
先日映画を見に行って、堪らなくなって聴いてしまった。懐かしさに思い存分に浸りましたよ。全曲の歌詞がストーリーと密接にリンクして、登場人物の心情や、あらすじの俯瞰へと誘導してくれる。ビージーズのバリー・ギブのヴォーカルがまだ地声で、私が大好きな時代だ。CSN&Y「Teach Your Children」最後の締めの一行は、何と温もりに満ちたことだろう。初めてこの映画を見たのは小学生の頃で、サントラを買ったのは中学生のときだった。もう遠い遠い昔のことなのに、未だに見て聴くんだな。好きというのは、朽ちないものだね。


f0201561_1242352.jpgブラッド、スウェット&ティアーズ『3』
大ヒットした前作の模倣品?いやいや、敢えて姉妹作の佇まいを意識したのでは。キング・クリムゾンの『ポセイドンのめざめ』や、ポール・マッカートニーの『パイプス・オブ・ピース』と同じ位置付けをしたい。大学出のインテリ達が知的で洗練された演奏をする中で、現場の叩き上げボーカリストD.C.トーマスが泥臭く吠える。その対比が鮮やかで美しく機能して売りになっている。白眉は旧A面ラストの「ロンサム・スージー」で、最後の最後にトーマスの深い闇のようなため息が記録されている。毎回聴き惚れて、同じようにため息をついてしまう。
[PR]