カテゴリ:野次争論( 42 )

8年半ほど前に書いた、私自身の実話です。心せずに(笑)読んでみて下さい。

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携帯電話。

私、持っていないのです。

「どうして?」とよく聞かれます。

電話がほとんどかかってこないからです。


家に普通の電話があるのですが、

たまに実家の親とか、お仕事の先さんからかかってくるぐらい。

新たに携帯電話を持っても、なにもかかってこない気がします。


「そんなことはない。きっとかかってくる。」

そう言う人がいる。

「それならなんで、今家の電話には、なにもかかってこないのか?」

「携帯のようなプライベート電話でないから」


その人の言わんとするところは、少々はわかります。

しかしです、プライベート電話だからかかってくる内容とは、一体何だろう?

「今どこそこにいるから、何時にそちらへ着く」

電車の中でよく聞く、かような会話に過ぎない気がして。


そんなもん、わざわざ電話を通して伝えることもなかろうに。

こういうと、携帯不所持の少数派の戯れ言に聞こえるぐらい、

携帯電話使用派は大メジャーです。

ビジネスなんかでは、携帯なしでは成立しないぐらいですから。


そんな利便性の追求をした代償として、

携帯電話は私たちの日常から、静寂やマナーを奪い去りました。

進化は後戻りを許しません。

携帯電話登場以前のような生活は、もう二度と帰ってこないでしょう。


私は、今はまだ、携帯電話を持とうとは思いません。

私自身がもっと不便を感じる必要があります。

なければ困る場面に、私が遭遇する必要があります。

それがいつどこでなのか、おおよその察しはついています。


みんな、携帯電話の奴隷だ。

文明なんか、大嫌いだ。

21世紀の原始人で結構。

そんな私は、今、パソコンを相手にしているのに…

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そして未だに私は携帯電話をもっていないです。ということは、携帯電話がなければ困る場面に、私は未だ遭遇していないということです。それがいつどこでなのか、おおよその察しはついているとか書いておきながら、知らず知らずのうちにその前を通り過ぎてしまったのでしょうか。携帯電話が私を捕獲するのは、一体いつのことなのでしょうね。


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確か2009年のことだったと記憶する。毎年夏になると気持ちがウズウズして山へ行きたくなる。以前はよく出かけたのものだ。そんな季節に、北海道の大雪山系トムラウシ山と美瑛岳で遭難事故があった。新聞で目にして、背筋が寒くなってくるような記事だった。山岳事故としてはかなり大きいもので、トムラウシ山ではツアー客8人とガイド1人、美瑛岳ではツアー客1人。計10人が同じ日に亡くなった。新聞などで状況を知れば知るほど、山の恐ろしさが蘇ってきたのを憶えている。


私は遭難するような目にあったことはないが、一度南アルプスでこっぴどく高山病にやられたことがある。その時も悪天候で、3000メートル弱の高さの尾根を長時間歩いているうちに、雨と風で体の右半分が冷えてすっかり調子を崩してしまった。頭は痛いしお腹は減るのに食べられない。貧相な山小屋はすし詰め状態で、ずぶ濡れの人が次から次へ入ってきて濡れるわ騒がしいわ、満足に睡眠も取れず終いだった。幸い翌日からは体調が好転し無事行程を乗り切ることができたが…


当時の事故の全容は概ね解明されたが、やっぱりというか、ガイドの責任が追求されたようだ。お客が無理だというのに、避難小屋から強引に暴風雨の中へ出て行ったというツアー客の証言がある。またツアー会社も、夏の山でここまでの寒波や危険性は充分把握していなかったと、会見で述べていた。ガイドも会社も双方に過失が認められたのだったら、この事故はどういう結末を迎えたのだろう。自力で下山した人がいたはずなので、彼らの証言こそが真実になっただろう。


その一方で、山へ登るという意図を持って参加した人には、それぞれに自分の身を守る義務も当然あって、全てをガイドやリーダー任せにはできない。犠牲者は中高年で、それなりにキャリアのある人達だったようだ。それがどうして最悪の結末に導かれたのかを問うと、最後にはガイドの判断に託した自分の判断が間違っていたということになってしまう。それではやりきれないだろう。ガイドや仲間の意見もあるが、自分の体力や体調を自分で把握して伝えることは、山では生き死に直結している。それがこの事故で明らかになったわけか…。


山の天候や気温は激しく変わるから、下準備だけでなくその場の判断も重要になる。私が高山病になった最大の原因は防寒具のお粗末さだった。下山してから恐くなって、すぐにそれなりの用具を買いに走った。ところがそれからというもの、山に登って雨に降られたことがない(あ、2008年の大山は結構降ったか…)。でもそれでいいのだ。足らずを補って次の冒険に備える。怖がる気持ちこそが安全に繋がるのだから。ただこんな怖い事故があってからは、夏山へゆきたい衝動がなかなかやってこない。


事故で犠牲になられた方々に、心から冥福をお祈りいたします。


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普段私が使っている関西弁を見直す機会がありました。使い慣れた言葉だけに、そう簡単に考察ができるわけではなくて、今後も続くことになると思います。

テレビを始めとした種々のメディアのなかで、関西弁はごく日常的に使われています。その日常的なるものとは一体何を指すのか。関西と呼ばれる地方に住む生活者にとっての方言が関西弁なのか。世間に流布され、無理矢理認知を設け、現実には今やありもしない、関西地方特有であった過去の言語が関西弁なのか。関西弁の「関西」とは、どこからどこまでの範囲をいうのか。

関西弁において、使う人間の気質は大いに考慮されるべきです。上方と呼ばれる頃からの時代性も同様です。もちろん文化全般における相互の影響力も。そして未来のことも。22世紀の梅田や天王寺で、人々はどんな関西弁を使っているでしょうか。

知ろうとしなければ何の疑問もなく過ごせますが、関西弁の基調・本質が気になり出すと、言葉の妙な変革や共通語に対する軟体的な要素など曖昧だらけで、言語が生き物である事実ばかりが跳ね返ってきます。

ま、関西弁っちゅうんは、いっつも使とる割にわからんことばっかりで、難儀な言葉やいうことですわ、いやホンマ(笑)。

 
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日本海に面した舞鶴市に私の実家はあるのだが、長年大きな変化を感じなかったこの街にも、最近不況や高齢化の波が押し寄せているようだ。先日実家の母から電話で聞いたのだが、すぐ近くにスーパーマーケットがあり重宝していたが、売り上げ低下で撤退したという。そこがなくなると、1km以上離れた別なスーパーまで行かねばならず、老いた母は非常に困ると話していた。実家近所には老人しかいないことを考えると、日々の買い物に不便さが増してゆくことを不安に感じるのはもっともなことだと思って聞いていた。

舞鶴市は大きく分けて西舞鶴と東舞鶴の二つに分かれていて、その構造性からいろんな公共施設が西と東のそれぞれに配置されてきた歴史的な経緯がある。かつては無駄の象徴のように言われていたが、それでも維持できたのはたぶん海上自衛隊からの税収恩恵ではなかっただろうか。それが近年東舞鶴へ様々な施設や機能がどんどん移転され、西舞鶴が陸の孤島化しているという話しを聞くと、舞鶴市が衰退しているのは、景気や経済情勢だけが原因ではなく、実質人口が大幅に減り地場産業も劣化し、税収確保自体が相当に厳しく自衛隊頼みなのだろうかと推測してしまう。

過去のデータを元に湾岸に大きな埋め立て地を作ってはみたものの、接岸料を徴収できる船などどこからもやって来ない。昨年は中国からの観光船がやってきたらしいが、観光客はそのまま京都や大阪へバスで移動し、そこでお金を落として、舞鶴から帰って行ったそうな。埋めた場所というは、その昔、私らが頻繁に遊び場にしていた海岸線である。(街を出て行った私が被害者ぶったところで、何の説得力もないのはわかっているのだが。)舞鶴は変わってゆこうとしている。私が知らないところで、日々衰弱している。

あと十年経ったら、たぶん私の実家のある場所は、今よりも頻繁に水害に遭うだろう。一昨年の台風で浸水したのだが、その9年前にも同じ被害に遭っている。付近一帯は海抜0メートル地帯で、温暖化による集中豪雨の影響で土砂が河川底に溜まり、降雨量が圧倒的でなくとも海水が溢れ易くなっているそうだ。老人ばかりの近所、買い物にも不便な地域、税収が減る自治体、産業が育たない街、そしていつか海に沈んでゆく実家。私の故郷は、明日消えてなくなるかもしれない難破船のようだ。そこから37年前に逃げ出した私は…

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安保法案可決を巡る、一連の抗議運動について、私はネットやテレビ、新聞で情報を得た。温度差や強弱はあれど、ひとまず目を通すべき報道はあった。反対派抗議派の多くの人が、デモやネットでの反論活動を行っていた。ところで賛成派は?というと、これといって何も報道を目にしなかった。それもそのはずだ。

安倍政権による今回の国政暴挙は、選挙による結果を受けて可能になり、数の原理で可決されたわけで、そこに至る手法自体に手落ちがあったかといわれたら、なにもない。以前の衆参のねじれ国会が、ある意味で法案通過を拒んでいた図式があったとしたら(それが国政停滞の原因になっていたとしても)、与党政権が両院で多数を取った時点で、今回の安保法案の回避は絶望的だったことになる。それなら、選挙で今回の国会前デモの熱意が感じられたのか?といえば、答えはNOになる。直接の議題として取り上げられていたにもかかわらず、少なくとも投票率を見る限り、国民の側には実に醒めた頼りない政治観があった印象だ。

私は与党に投票したものではない。だから今回の誤憲(違憲ではなく)解釈を含む強行裁定は納得など出来るはずがない。しかし事を成す国会議員さんと政党さんは、間違いなく選挙で選ばれたのだ。軍国への道を選ぶ政治家と政党を、自ら選んだ人がいたからこうなったのだ。そこだけをみれば、某氏が言うように、総理大臣と彼に投票した人から戦場へ向かいなさい、ということになるが、もっと由々しき事は、投票権を持った有権者の過半数以上が参加していなかった選挙結果が、今の事態を招いていることだ。

政治に対して無知蒙昧なまま大人になって、何をどう選んだらよいのかわからないまま選挙の日を迎えて、挙げ句の果てに投票を放棄して、いつまで経っても実のない虚無主義を気取ってきた大人たち。彼らがドブに捨てた一票が、今どれだけの無責任な政治屋をのさばらせていることか。今回のデモで声高に訴えられた民主主義の生き死には、実は選挙結果が出たときには、毎度毎度死んでいたわけだ。なにも首尾一貫した参政権論者になれというわけではない。少なくとも主権在民を訴えるなら、強権者を潰す機会がいつどこであるのか、それが選挙であることぐらいは痛い思いで感じておくべきだ。

「国民は時間が経てば今法案が成立したことなど忘れる」と言い放った参議院議員がいたそうだが、皮肉ではなく、全くその通りである。怒りも喉もとを過ぎれば、どこ吹く風となってきた風土が、この国にはずっと昔からあったから。怒りを持続させることはそのくらいに難しい。(辺野古デモの持続力をみよ!)怒りが渦巻く今こそ、有権者は次の選挙まで憤怒を持ち続けるべきである。これでもし投票率がさほど変わらず低かったら、今回の日本各地での抗議活動は一体何だったのだろうか?ということになりはしないだろうか。そしてそれをみて、安倍総理に続く国民を舐め切った劣悪な政治家が増殖しそうな、嫌な予感すら今はある。

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都構想の是非を問う住民投票が行われたこの前の日曜日。その夜から翌朝にかけてのメディアは、久しぶりに政権論舌に活気を呈していたように見えた。その後も賛成派反対派の意図や仕組み作りを事細かに伝えているが、本当は選挙前にこの姿勢があってしかるべきなのではないだろうか。

戦が終わって日が暮れてから、大手を振って大衆の前に繰り出してくる報道機関なら、ジャンケンの後だしと同じで何とでも言える。確かに事後検証は大切だろう。が、この一件のみならず、橋本知事〜市長絡みの7年ほどの間、ほとんどのメディアはただ彼に振り回されていただけに思えてならない。しいては、それが住民投票なる混乱までを巻き起こしたのではないか。

ぶら下がり取材など、ほとんどがただのご用聞き同然。毎度毎度のつまみ食いみたいな取材と、論拠が崩壊したような記事ばかり。手軽に持ち上げては安くこき下ろす、為政者に対峙する気概もない。政治論争や行政の構造改革を必ず経済効果と同列でしか語ろうとしない短絡性に至っては救い難い。ろくでもない記事の氾濫に巻き添えを食った大阪市民こそいい迷惑である。

橋本政権下で何年もかような無様な姿を見せられ続けては、首長の論が伝わる伝わらないを問う前に、メディアの仕事に対する信任不信任を問うべきではないだろうか。そのくらいに報道する側の脆弱さを感じた7年間だった。おそらくこの傾向は、今後ますます拍車がかかるものと思われる。こんな中で、成熟した政治意識とか、議論を尽くすことなど、望むべくもない気がする。

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今日本で一番騒動が起きているのは、名護市辺野古である。今月14日夜にはキャンプシュワブ前で、基地建設に反対する住民と機動隊がもみ合いになり、80代の女性が頭を強く打って病院へ搬送される事故が出た。その日に基地建設用の重機や大型トラックの搬入が始まり、反対する市民が100人以上集まり搬入を阻止しようとするも、150人以上の警察官がこれを取り締まるという異常事態が起こっていた。

ところが本土の多くの主要メディアは、この出来事をまるで無視するかのような報道姿勢を貫いている。本来なら一面で紹介されるべき事件のはずが、新聞各社、テレビのニュース番組など、揃いも揃ってつまようじ男の方が一大事であるかのような伝えぶりには、ほとほと呆れ果てた。メディア関係者に問いたい。あなたたちは一体何の仕事をしているのか?ネットの些細なクレーム情報を拾い集めて記事に仕立てて、こちらはジャーナリズムでございます、とでもいうつもりなのか。

沖縄では普天間基地の辺野古移設に関して、昨年1月の名護市長選では、県外国外移設を主張する反対派が勝った。11月の知事選においても、反対派の翁長現知事が誕生した。仲井真前知事は土壇場で突然の方向転換を表明し、反対派から現実路線と称する容認派への変わり身に、中央とのキナ臭いやりとりが察せられたものだった。12月の衆院戦では、県内全ての選挙区において、自民は破れている。全国的には意味を見いだし難い選挙だったが、沖縄の4つの小選挙区では目に見える形で基地移設反対が唱えられた。

にもかかわらず、今回の辺野古での強行で強権な公的発動行為である。民意を完全に無視した、反人権行為だ。この到底許されるものではない出来事を、日本の主要メディアが表立って報道をしない現状は、明らかに安倍政権から言論統制が通達されているとしか思えない。金のばらまきで解決が図れないときは、メディア封鎖と暴力が手段であると言っているようなものだ。紙面作りに痛い目に遭い、あれほど反省と対策を掲載した朝日新聞の、なんとだらしない態度よ!視聴者から金を巻き上げることか考えていない国政従属放送局NHKの、なんとおぞましい姿よ!

わたしたちが生きている国の姿を伝えようとしないメディアに、未来はない。

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嫌な夢を見ているようです。例の集団的自衛権行使の閣議決定のことです。私は集団的自衛権の行使、この度の日本政府の決議、執行のやり方に反対、抗議します。

最後の良心を期待された公明党も、結局党内分裂したまま寄り切られ、戦後の平和路線は一握りの好戦派の政治家によって、あらぬ方向へ舵を切ることとなりました。この愚行が国民の総意で選ばれた政権政党の内閣によるものだから、という発言をあちこちで目や耳にしましたが、私は投票者としてそんな物言いには到底容認できないです。私は選挙で彼らに一票も投じていないのです。何の支持もしていません。戦争への道を走る政権を大多数が選んだのであれば、まずは選ばれた議員諸君が前線へ向かい、その次に選んだその大多数の有権者が後方支援をして責任を取りなさいといいたい。

民意をどこかへ置き去りにした政治など、今日まで嫌ほど見せられてきましたが、今回の独裁は罪の重さが違うと感じます。閣議決定への反対派は一様に議論が足りないといいますが、得心のゆく議論など私は聞いた試しがありません。昇給だけは確保され居眠りばかりしている議員たちにとって、聞くに足る議論とは何なのか。やっていること、言っていることは、毎度毎度同じ事の繰り返しではないのでしょうか。彼らが望む議論とは、単に時間稼ぎに見えて仕方がありません。彼らの心の内にはきっとこんな思惑があるのでしょう。「政治への関心がお粗末なくらいに低い国民を相手に、議論など何の必要性もない。いざとなったら強行採決で民主主義はまかり通る。密室政治だけが国家だ」と。

そして思うのです。この国の自衛は、おそらく安倍総理が考えているような愛国力には決して基づかないだろう。国家、国民を守るため、命を投げ打って戦場へ向かう兵士たち。21世紀の今、そんな国軍が本当に日本にあると思っているのでしょうか。この先作ってゆけると思っているのでしょうか。今回の閣議決定を司った政治家たちが、どこまで国の将来を真摯に考えているのか、心底疑わしいのです。日米同盟の名の下に、莫大な資金を騙し取られ、挙げ句突きつけられたのは米軍の防衛優先順位外とは呆れてものも言えません。アメリカ政府の既得権に対する執拗さは病的であり、その脅しに怯え続ける日本の歴代内閣の無能さもまた、伝染病なのです。

今回の閣議決定が下った同じ7月1日に、沖縄県の辺野古で米軍滑走路の移転工事が着手されました。
嫌な夢はいったいどこまで続くのですか?

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30年前!に初めて会社に勤めたとき、入社式で社長講話みたいなのがあって、「これからは情報の売り買いをする時代がやってくる」というような内容の話しがあったことを、おぼろげながらに憶えています。情報の発信うんぬんの表現は、その頃、もう一般的に使われていたと思います。しかし、私の感じたところでは、「情報の売り買い」などはさっぱり現実味がなく、そんなものに誰がお金を出すんだよ!と内心馬鹿馬鹿しく聞いていたのが本当のところでした。おそらく世間でも、情報の価値はまだそれほど貴重な評価を得ていなかったと思うのです。

30年後、今はもう亡くなったあの社長の予言は現実になりました。私らは、日々、溢れ出るような大量の情報に溺れまいと、懸命に時間と労力とお金を使って泳いではいないでしょうか。パソコンの前に座って、ネットやメールで情報を知る時間をすべて創作に当てたとしたら、一体どれほどの作品を創ることが出来るだろうと、よく思います。30年前に比べて、格段に緻密な記事内容が次々送られてくる毎日です。それらのうわべを眺めてスルーしてゆくことだけでさえ、大変なパワーが要ります。

情報が錯綜することで、人と人の関係も多面的でややこしくなりました。想像力に欠けた薄っぺらな言葉は、30年前にもあったのです、確かに。しかし裸のまま流布することは例外だった。今は違う。バーチャルの世界では、私も含めてみんな黙っていられないのです。誹謗中傷、罵詈雑言、なんでもござれの世の中です。ネットだけでなく、他のメディアにも、そして実際に人と出会う現場にまで、情報と言う名前の猛毒が浸食しているのがわかります。便利に、利口になるのと引き換えに、世界は更に凶暴に、陰湿に、独善的になってゆくのでしょうか。

1984年のあのとき、売り買いされることになっていた情報は、2014年の今、纏わり付いて誰をも一人にしない薬物に姿を変えたのではないでしょうか。

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特定秘密保護法案が参院を通過し成立となり、情報統制国家へ向けて待ったなしの局面を迎えた。この法案に国民の過半数が反対する理由は、国家が機密を都合良く隠せることにある。場合によっては隠すために国民を締め上げることさえ出来る。その一方で、隠し事のない国家などないと私は思う。ウィキリークスの活動などは、その証ではないか。問題なのは隠す行為を法制化して保護し、反対に暴く行為を厳罰化しようとしていることだ。国家にとって隠すことはそれほど大事なのだろう。隠せるとなった以上、隠さにゃ損である。経済回復のアメを与える代わりに、隠し事に触れさせないムチを乱用する、そんな安倍晋三の嘘つき顔がテレビでほくそ笑んでいる。


東電と政府は福島原発での事故において、一体どのくらい国民に隠し事があっただろうか。後から漏れ出た情報は全て隠すつもりのものだったと考えて間違いないと思う。それほどまで隠さないと国民を騙せなかったのだ。実際に隠し通せなかったのは、隠す以上に甚大な被害が継続していることを物語っている。原発産業に巻き込まれた日本国民は一部の人を除いて、長い間目隠しをされたままだったのだ。隠すためには見せないのが一番だからだ。それと同時に、見たくないものを見ようとしてこなかった大多数の民にも、反省の余地は大いにある。


東シナ海に突如として防空識別圏を設定した中国。尖閣諸島で譲らぬ姿勢の日本に、新たな一手を打ってきたわけだ。自国の都合ばかりがまかり通るべきとする中国共産党の、その身勝手な振る舞いの裏にいるのは13億の造反分子である。おそらく中国政府が一番恐れている抵抗勢力は、アメリカでも日本でも東南アジアでも韓国でもない。諸政策に不満を燻らせる13億人の自国民ではないだろうか。彼らを黙らせる手立ては、面子と金、そして言論統制でひたすら隠し通すこと。しかし暴力による情報規制の限界は近い。そのときに人民軍や国家警察は一体何をするのだろう。


アメリカの国家犯罪、自国他国を越えた盗聴問題はどうなったのか。なぜあのような国際問題を誰も徹底した追及をしないのか。情報公開の姿勢が重んじられる国民性という評判とは裏腹に、アメリカの国家による組織的な隠蔽体質の影響は日本にまで波及してきている。日米同盟に端を発した沖縄密約に始まる米軍機密は60数年経った今もオスプレイ配備に至るまで、日米両政府の共犯関係が産み落としてきた秘密の連鎖の成れの果てではないか。特定秘密保護法案などという隠れ蓑がなくても、歴代の日米両政府は都合の悪い情報や文書には、知らぬ顔で嘘をつき通してきた。隠すことは彼らにとって、一番重要な業務であり続けてきた。そしてこれからも。

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