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今回の更新はちょっと特殊なものです。
当ブログとリンクしているフェイスブックの調子がおかしくて、タイムラインに書き込みができない状態で困っております。リンクでの更新はできるのかどうかを試すために、この日記を書いてみたものです。どういう結果になるのかわかりませんが、今までこのブログを続けてきて、こんなのは初めてです。読みにいらして下さった方、お騒がせですみません。

f.b.の書き込みができない症状について、もしご存知の型がいらっしゃいましたら教えてくださいませ!どうぞよろしくお願いいたします。

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しこ名が萩原の頃から、稀勢の里は気になる力士だった。確か十両時代だったと思う。テレビで一目見て、力士として今時珍しい古風然とした佇まいに惹かれたことを憶えている。体格も素晴らしくてまだ十代と若かった。これはうまくいけば角界を背負う力士になるかもしれないと。あれからどのくらい経ったことだろうか。


萩原から稀勢の里になった男は、何度も何度も期待通りの活躍ができず、モンゴル出身の力士の添え役扱いに甘んじてきた。大事な一番で勝てない彼に、協会もマスメディアも言いたい放題だった。やれ、関節が硬いだの、出稽古に行かないだの、神経質だの、相撲感が鈍いだの、好きなように罵詈雑言をぶつけていた。そしてテレビで見ていても、後一歩のところでスルリと優勝を逃す稀勢の里は、悔しさを滲ませていたにもかかわらず、周囲からの酷いあしらいに抗う様子もなかった。我慢が信条なのはわかるが、しかし…


元大関貴ノ花の熱狂的なファンだった私は、稀勢の里が二所ノ関一門の鳴門部屋(というよりも阿佐ヶ谷一門か)出身ということもあって、いわば反両国派の力士として応援していた。が、この十数年間はそんな了見で相撲を見る時代ではなくなっていた。長い間外国人力士に国技をお任せしていたと嘆く好角家も多いが、現実にモンゴル出身の力士が一人もいなかったら、大相撲はずっと前に完全に消滅していたのではないだろうか。少なくとも八百長事件で多くの力士が罰せられた時に、角界を救ったのはまさしく横綱白鵬だったのだから。


その頃の稀勢の里は黙して実直、相撲は強いのだが、優勝争いに加わるも、賜杯を抱くには今一歩足らないところがあった。端的に言うと強い相手に強くとも、弱い相手に弱かった。また大一番になると、安全策の受けの相撲で後手を踏むケースが多く、そこを相手につけ込まれて速攻で何度も涙を飲んだ。そんな彼を懲りずに応援する気概を、私は徐々に失なっていった。


一昨年あたりから、立ち合いの一手に大きな変化が見え始めた。相手の身体が浮くほどの徹底した左のおっつけが強力な武器になり、取りこぼしが減った。一時ほど差し身も悪くなくなった。立ち合いの早さこそないが、相手を呼び込んでから土俵際で突き落とすなど、意図して相手充分で組み合って罠を仕掛ける相撲も見られるようになったと思う。15日間のトータルを見渡して土俵に臨む姿勢が顕著になり、残すは成績だけというところだった。私といえば、一歩離れたところで静観していた。近寄り過ぎると、あまりに悔しい結果が待っているに違いないから。


そして今年の初場所。思いもよらない初優勝だった。運も大きかったが、14勝1敗の成績は文句の付けようが無いだろう。優勝が決まった後だったとはいえ、千秋楽の白鵬との一番は相撲ファンにとっては堪えられない勝負になった。白鵬の立ち合いからの一気の攻めをこらえにこらえて、土俵際で鮮やかな掬い投げで逆転勝ちをした。私はあの相撲を、稀勢の里は狙っていたと見る。あれほど白鵬の寄り身と手足の回転が軽く見えたのは初めてだ。


優勝後のインタビューで涙を流す稀勢の里に、私は申し訳ないことをしたと恥じ入った。諦めていたのは私だったのだから。念願の優勝に浸る稀勢の里を褒めたり讃えたりする資格は、私にはないと思う。たぶん全国に同じような気持ちになった大相撲ファンは少なからずいたのではないだろうか。この場になって手のひらを返すように大きく持ち上げるメディアにうんざりする人も、同じように多いことだろう。稀勢の里本人には全く落ち度のない話しである。


先場所後の日本大相撲協会と横綱審議委員会の昇進の発言には、いささか「いい加減にしろ」と言いたくなったものだ。散々貶してこき下ろした力士を、全く関係のない年間最多勝間を持ち出してまで横綱昇進気運を繕う様は、協会のご都合主義そのものだと感じた。そうまでしても、日本人横綱が欲しかったのだろう。稀勢の里は極度のプレッシャーの中で昇進を勝ち取る場所を失った。力士は協会に従うしかないのだ。


が、これでよかったのかもしれない。今まで散々苦渋を舐めた力士である。ほんの少しの容赦があっても、それもまた実力であり彼の相撲人生なのだから。

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休場をしない力士であることへの評価も高い。無事これ名馬そのもの。これから先、白鵬と共に角界をリードしてくれることを願わずにいられない。

























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高校へ入って最初の夏休み。野郎ばかり4人で、北海道へ旅をしたことがありました。
15歳でした。
そのころはほとんどの人が青函連絡船に乗って北海道へ行ったのでした。青森駅の船まで続くプラットフォームがエラく長くて嫌になったなあ。おまけに津軽の海は真夏なのに大しけで寒そうで。船底の雑魚寝部屋で船酔いしながら、とんでもないところへ来てしまったなあと思ったものでした。
なんで真冬に40年以上も前の真夏のことを想い出したかというと、夕べ連絡船に乗って船酔いした夢をみたのです。明け方にベッドから落ちて寒さで目が醒めました。海に投げ出されたかと思いましたよ!

「人生はぐるっと一周」
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「夜のスクエア2013」
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「にせもの」
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「中東模様」
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「おいしい水」
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「うたたね」
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「とじこもり」
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「お金そのものに意味はない。お金は数字だ。」
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「ピーターパンの役」
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「升目といえば」
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「ライプト・プラム」
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「水路の季節」
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「発散」
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「生活の柄」


「哀しみ」
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10年前ぐらいから顕著になった人付き合いの傾向があって、同年齢~年上の女性の友人が急に増え始めました。男である私が40代後半に差し掛かっておばさん化してきたことと、友人になった相手の女性もまたその年齢付近でおっさん化してきたことで、性別の垣根がそれまでの年齢時に比べて曖昧模糊と化したことがその理由ではないでしょうか。これはあくまで私の持論であって何の裏付けもないですが。(信ずるに値しないかといえば、はっきりそう言うには少々もったいない気がしています。)

男女の性別を曲線で表わすとしたら、縦軸は性別の差の大きさ、横軸は年齢。男女の二本の曲線は、ある年齢で大きく離れその前後で緩やかに近づいてゆく。曲線の始まりは赤ん坊で、終わりは老人。この二つの地点は限りなく男女は近い。10代半ばから40歳ぐらいまでは、曲線は大きく離れている。人生が後半に入ってきたころ、二本の曲線は近づき始める。生き物として大きな違いを意識していた男女は、次第に老化という共通認識の元で、お互いの距離を縮め出すというのが私の見立てです。

といっても、これは一般論でも何でも無く、単なる思いつき。ただそれをわたしは信じているのです。おっさんはおばさん化することで、おばさんはおっさん化することで、両者の無駄な性別の意識は徐々に剥ぎ取られ、無駄ではない性別の意識だけは根底にしっかり残して、女は男に男は女に近づいてゆく。この10年ほどの間に、特に創作に関して、理解のある女性の友人が何人も出現してくれたことは、私にとっては大きなカルチャーショックでした。それで簡単に相手を好きになってしまうのです(笑)。男性相手だと、なかなかそうはならないんだよなあ。

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