人気ブログランキング | 話題のタグを見る
           いつから いっしょに いるのかな 

           しらないうちに こっそり こころのなかに やってきて

           きがつけば しっかり すみついてしまった

           いつもは ひっそり かくれているので

           おいだそうにも どこにいるのか わからない

           いなくなったと おもったら あるひ きゅうに かおをだす

           きげんの わるそうな めをして

           ひとの ことばを きくみみも もたず

           いいたいことだけ まきちらし

           まわりの ものに やつあたり 

           きがすんだかと おもったら

           くるっと むこうを むいて 

           じぶんの からに とじこもる

           ひとことも あやまらず

           いっさい せきにんも とらない

           いつのまにか けはいを けして

           なにも なかったことに してしまう

           そんな あいつに きょう あった 

           あいつの なまえは 嫉妬心

           われた かがみで じぶんを のぞきみした ゆうぐれ

414 <あいつの なまえ>_f0201561_2112340.jpg
                画像・詩の無断転用・使用を禁止いたします。
京都。なんと優雅で魅力に満ちた名前。私の出身地の舞鶴は同じ京都府にありますが、いろんな意味で京都は舞鶴とは別物でした。

幼い頃から親に連れられてよく京都へ出てきていました。列車で約3時間ほどかかったもので、本当に遠かった。着くと駅前の京都タワーがド~ンと目に入って、その下の塩小路通りを路面電車が行き交いして。酔うぐらいのたくさんの人が駅から京の街へ繰り出して行ったのです。その光景に私は一気にヒートアップして百貨店の屋上へ駆け上がって、様々な乗り物にこれでもかというぐらい乗りました。ああ懐かしい…。

中学生や高校生になると、親戚の家に泊めてもらって、京都をあちこちフラつくようになりました。小さな港町の舞鶴とは違って京都は大きかった。社寺仏閣の数や規模も半端ではなかったし、あらゆる情報の先端が集まっているような気がしました。模擬テストを受けるという名目で京都へ出てきて、当時河原町にあった京都スカラ座で見た『未知との遭遇』は忘れられない体験でした。帰りに四条通りにあった藤井大丸の1Fのマクドナルドへ初めて入って、ビックマックとボテトをお土産に(!)買って帰りました。

浪人生として一年間過ごした京都は、その良さを存分に見せてくれました。一年の寒暖の差が厳しいおかげで、四季の美しさが目に沁みました。出町柳界隈から北山を望む景色にはいつも心が和みました。学生の街としての顔も持つ京都の、どこかバンカラで自由な気風がまだその頃は残っていたと思います。京大北門前の進々堂という喫茶店に初めて入ったとき、あの長いテーブルと長い椅子にカルチェラタンの香りをかいだ記憶が今も生々しく残っています。きれいな女性ばかりが座っていたなあ。

大学を卒業して就職で京都に戻ってきてからは、美しいばかりではない京都の側面を見せてもらいました。私ももう大人になっていたし、きれいごとばかりで世の中が回っているなどとは思ってもいませんでしたから、京都の行政・経済・宗教・裏社会の力関係がみっともない姿を曝しても直視できました。ちょうどその頃に岡崎にある京都国立近代美術館ができました。そのこけら落としの『カンディンスキー展』が私にとって大きな転機になりました。社会人としてデビューしてから、ちょうど五年間。京都の街にいろいろ教わったのですね。

その後も機会があるたびに京都を訪れます。一昨日も行きました。百万遍交差点に立って回りを見渡すと、街全体は激しく変わった気もするし、全く変わっていない気もします。今出川通りを自転車で行き交う学生たちの姿は、きっと私が京都のラジオ局近畿放送で大好きだった深夜放送を聞いていた頃の様そのもののようでした。絵を描くことになるきっかけを創ってくれた街、京都。大阪の喧噪、神戸の陽光、奈良の穏健。どの街も魅力的なのですが、自分に対する街の影響力という点では京都は舞鶴と双璧です。

京都。なんと優雅で魅力に満ちた名前。芯が強くて、濃い血が流れている街。

413 <京都の印象>_f0201561_746113.jpg
              添付されている画像の無断転用・使用を禁止いたします。
先日の日曜日に沖縄は久米島で開催された久米島マラソン大会に出場してきました。今年で4回目。一昨年が台風で中止だったので、走るのは今度が3回目です。今まで10km、ハーフと距離を伸ばしてきて、今回は念願だった初のフルマラソンでした。結果は4時間34分28秒の完走!順位的にはちょうど真ん中くらいでした。ちょうど3年前にこの大会の10kmレースに出たときから、50歳になったらフルマラソンに出たい、そこで完走したいとずっと願っていました。

昨年の久米島マラソン大会は灼熱のレースコンディションでした。ハーフマラソンに出たものの、残り7kmぐらいはフラフラ。同じ条件だったら今年の完走は難しかったかもしれません。幸い今回は気温が27℃だったものの、北風がよく吹いてくれて暑さとは無縁でしたし、日射しもきつくなく、体調面でも大きな問題もなく、予想できる最高の条件でレースを迎えることができました。

私は今まで31kmが最も長く走った距離だったので、とにかく距離に対する警戒心が強く、かなりペースを自制して入りました。スタートから3kmを20分かけて通過。これだと4時間40分ぐらいで戻って来れる算段です。いつもは気が急いてスタートから飛ばしてしまう私も、今回は初のフルマラソン参加ということで珍しく冷静でした。結果的にはそれが一番重要なポイントだったと思う。

久米島マラソンのフルマラソンのコースは高低差が少なく、オーシャン・ビュー・ポイントも多い、実にナイスな設定がされています。おかげで最初の15kmはあっという間でした。ペース配分が楽だったことや、沿道の飲料水や食べ物(バナナやマンゴー)をしっかりといただいたこともあって、理想的な調子で20kmあたりまで進みました。

20km〜28kmは海岸線をひたすら走る絶景コース。これが長い!沿岸部をゆけどもゆけども絶景が続くのです。そして練習は嘘をつかないもので、28kmを過ぎて30kmに達したあたりから徐々に両足の筋肉に疲労が溜まってきました。現段階で私が自分の体をコントロールできるのはやはりこのあたりまでなのでしょう。

30kmからも3km一区切りを繰り返すことで、ひたすら前進あるのみ。レモンの飴を口にしたり、水を浸したスポンジを背中に入れたり、ビニールに入った氷を帽子の中に入れたり。ありとあらゆる刺激をもらって37kmあたりまできました。ここからは少しの上り坂でも負荷が高く、行きは軽かった下りが帰りは厳しい上りとなって待っていました。

それでも不思議と歩こうとは思いませんでした。最初にペース配分をしたときから、42,195kmをすべて走りきることが大前提になっていたのでしょう。辛そうに歩く人を追い越して追い越して41kmまで来たとき、残り1kmちょっとと体力とを計算してペースを大幅にアップして走ることにしました。これってきっと村上春樹の影響だろうな(笑)。

走る走る。足は痛いし、腕はだるい、それでも走る。息が苦しい、関節は悲鳴を上げている、しかし3年かかってようやくここまできたんだから、この場に及んで自分に要らぬ手加減だけはするまいと残り100mは全力疾走。そして青空の下、遂にゴール!止まった瞬間に合わせるように涙が出てきました。感無量でした。誰に頼まれたわけでも約束したわけでも結託したわけでもない、自分の体の願い事を叶えてみたいだけの動機で始まったフルマラソンは、完走という幸福な結末で幕を閉じました。

ゴールした後、私に完走メダルをかけてくれた高校生たちと目が合いました。50歳の私。疲労困憊の私。42,195kmを旅してきた私。3年間同じことを願っていた私。彼らの目に私はどんなふうに映っていたんだろうか。

412 <42,195kmを走って>_f0201561_16284213.jpg

グループ展のお知らせです。今週土曜日の10月22日から京都のセルフソウアートギャラリーで『カーボンブラック』展が始まります。詳しい内容はいつものことながら、ギャラリーさんのH.P.から拝借させていただきました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
『カーボンブラック』
この展覧会は鉛筆・墨・インク・木炭といった炭素を素材とした無彩色の画材で制作された作品によるグループ展として企画しました。画材を限定することによって日常の喜怒哀楽・生の自分・ありのままの自分、ときに屹立し・揺さぶられ・流され・暴発し・侵され・離れていても共振/動揺する日々の自らの内面がリアルに投影した表現、作家という立場で営まれる通常の作家性そのものに頓着しない正に個人のレアな表現を目の当たりにする展覧会が実現できればと考えています。45名の作家が、この展覧会のために描き起こした新作各作家2点ずつ出品、計90点の作品が展示されます。是非ご高覧下さい。

2011年10月22日(土)~11月6日(日)
あおきひろえ/青山友美/アカサカヒロコ/荒井良二/石川武志/市居みか/伊藤秀男/上野絹子/内田ユッキ/大畑いくの/岡田よしたか/加藤眞琴/神吉都望/こしだミカ/後藤友香/坂井ユウジロー/ささめやゆき/塩田遙/スズキコージ/田島征三/田島征彦/たてのかよ/田村勝彦/つよしゆうこ/寺田めぐみ/塔本賢一/中新井純子/中川洋典/中西圭子/中野真典/のだよしこ/長谷川義史/はまぐちさくらこ/ヒラノトシユキ/舟田潤子/フルイミエコ/ミズタニカエコ/ミツルカメリアーノ/ミロコマチコ/むらいゆうこ/山口ヒロミ/山福朱実/山元彩乃/山本孝/吉岡和泉
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

いかつい顔ぶれですな。私が入っていていいのかな。ギャラリーオーナーの村上稔さんがセルフソウアートギャラリーで展示に関わった作家さんたちに声をかけられたそうで、古くは以前大阪の老松通りで箱を構えておられた頃からの人もいらっしゃるわけで、私も新しいとはとてもいえないです。南森町の藤原ビルB1Fにあった頃のセルフソウアートギャラリーで2000年の12月に個展をさせてもらって以来の参加です。ええ〜っ、もう11年も経つの!知らなかった…

思えば1998年に初めてセルフソウアートギャラリーでグループ展をさせてもらったのです。今回名前が入っている青山友美さんと山本孝さんはそのときのメンバーでした。結局その年に2回グループ展をやって味をしめた私は翌1999年と2000年に同じセルフソウで個展に走ってしまったのです。なんのことはない、村上さんは私に、絵を展示して人に見てもらう喜びを教えてくださった恩人なのです。(もしかしたら罪人かも…笑。)

あれから随分時間が経って、セルフソウアートギャラリーは京都の上七軒に移ってしまいました。今もちょくちょく展覧会に寄せてもらいますが、不思議なことにどこへ移ってもセルフソウはセルフソウ然としているのです。展示のクオリティはもちろん、場内の雰囲気や集まる人たちの談笑は昔となんら変わっていないのです。その秘密がどこにあるのか、どうぞあなたも是非探りにいらしてください。この季節の情緒あるお庭も最高ですよ。詳しくはこちらをチェケラッ!→http://www.selfsoart.jp/

411 <カーボンブラック展>_f0201561_12521914.jpg
              添付されている画像の無断転用・使用を禁止いたします。
この週末は外出とランニングで満足に絵の作業ができませんでした。本当は土曜日にドサッとできるはずだったのですが、外出先で食べたインデアンカレーが強烈で!昔は普通に食べていた記憶があるのですが、あんなに辛かったっけ?一口目を含んだ瞬間は甘いと感じる、しかし直後からジ~ンと香辛料の辛味が効いてきて、涼しい季節なのに玉の汗がぼとぼと流れ出てきて、食べ終わっても胃の中で延々燃え続けていました。おかげで消火、いや消化が大変でそちらに気を持っていかれて、机の上の出来事には気がそぞろ状態。挙げ句の果てには香辛料にやられたか、しっかりお腹を下してしまいました。おかしいなあ。インデアンカレーって、こんなきつい食べ物だったかなあ。


日曜日は朝早くから走りに出かけました。レースも近づいているので、ドタバタと最後の追い込み練習です。気温がすっかり低くなって走るにはよいコンディションでした。3時間走を決行したのはいいのですが、前日にインデアンカレーで下痢をした後遺症か、2時間を過ぎたあたりから急激にペースダウン。それでも無理を押し通して走ると体がすっかり嫌々モードに。嫌なんでしょうな、きっと。そんな体の言うことなんか聞いてられんとばかりに無視して走りました。終わったら膝や腰が目一杯ガクガク。帰宅してお風呂~遅い朝食~昼寝後に絵を描こうとしても全くクリエイティヴなモードにならない。おかしいなあ。気持ちよく絵を描くために走っているはずなんだけどなあ。

410 <インデアンカレーとランニング>_f0201561_741785.jpg
              添付されている画像の無断転用・使用を禁止いたします。