今年は年初の誓いに、3つの異なるギャラリーで、3つのグループ展に参加しようと決めました。
(誓いというよりも、思いつきか?)
今回はその一発目です。5月16日(土)〜5月22日(金)まで、海月文庫さんのアートスペースで、四回シリーズ合同展の第二回『人物画展』が開催されます。私も一品ですが参加させていただいております。是非いらして下さいませ。場所時間等は下記サイトにてご確認を。

http://kurage.web.infoseek.co.jp/

海月さんのグループ展は、「ここで終わり」という最終型がない!毎日搬入が続くので、行く日によって姿が異なるのです。(だから合同展という名称なのかな。)なんと型破りな(笑)。海月さんの定型にこだわらない、そんなやんちゃな余裕が大好きです。ちなみに私はちゃんと搬入日を守ります(笑)!さあ、みんな来い!!

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個展や何かのイヴェントでよくあるのがライヴペインティングです。
どういう経緯で始まったのかは知りませんが、
ミュージシャンのライヴ演奏の後ろで、即興風に大きな絵を描くのが今も主流ですよね。
実は私もたった一度だけやったことがあります。
今も想い出すと…いや、想い出したくない、か。
壁に向かって絵を描く私の右側で演奏するミュージシャン。その人の唄声とギターの音圧のもの凄かったこと!私の右の肩あたりをグイグイ押してくる。あんまり圧力があるので、左足で踏ん張らなければならなかった。あれは一体何だったんだろう。
おまけにその時描いた絵のショボかったこと…。情けなくなりました、本当に…。


いろんなところで、いろんな人がライヴペインティングを試みて成功しています。
私も実演を何回か見ました。う〜ん、流石!とか、器用に個性を出すもんだ!とか、唸らされてばかりです。
そのたびに自分が行ったたった一回のライヴペインティングに対する忸怩たる思いに、胸が痛みます。
あれって、みんながみんな、ぶっつけ本番なんだろうか?
前もっての試行錯誤はしないのか?
時間は気にならないのだろうか?
人に見られながら描く絵は、気まずくないのだろうか?
そんなこと初歩的なことを考えるたびに、ライヴペインティングの謎と疑問は深まるばかりです。

    
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最近、あるご近所の方と、お茶をご一緒させていただく機会が二回ありました。以前から面識はあったのですが、立ち話程度で、面と向かって話したことはありませんでした。


初めて差し向かいで話した時、耳と目でその方(以後Kさん)のいろんな情報を受け取りました。そして、耳から入ったものの方が、断然後に残りました。つまりKさんが話された内容です。おもしろいのは、Kさんは声質が柔らかいので、耳に入ってくる時、言葉が全部ひらがなに変換されているような錯覚がしたことです。しかもリズムが独特(笑)。とてもゆっくりで、決して会話を急がれないのです。妙な省略言葉や、無作法な話し方が横溢する今の世の中で、Kさんの穏やかなひらがな言葉を耳にすると、なんとも気持ちが良いのです。


会話の内容は、どこにでもあるものと、どこにもないものが入り混じったようなものでしたが、お聞きして幾つか強く感じるところがありました。感じるというのは、私がKさんと話すことの必然についてです。自分の全く知らないところに眠っている地下茎のような繋がりの一部を、私はKさんにも認めることが出来ました。たまたまご近所さんだった人の言葉が、向かい合って座った私に届くと、会話そのものが偶然から必然に変わってゆくのがわかりました。

その人はどこからやってきたのだろう。
その人は一体誰なんだろう。
その人はどこへゆくのだろう。

こんなゴーギャンの画題のようなことを考えてしまいました。


家に帰ってから、不思議と、ひらがなのような絵を描いてみたくなりました。描けるといいな、そんな絵…。
そうだ、今度、Kさんにコソッと教えてもらおう!

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いえに ながいす やってきた
いまに デンと いすわった
あんまり おおきいので
ぼくの すわるばしょが なくなった




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私の初めての個展は、随分と遅かった。
1999年12月6日〜11日まで、当時大阪の南森町にあったセルフ−ソウ アートギャラリーで開催した『ヒロノリジナルワールド』展がそれだった。あの時、私は38歳…だったのか…。


その前年に年下の絵描き友達らと、同じ場所で、年2回のグループ展をした。実はそれまで、個展にしろ、グループ展にしろ、まったくやったことがなかった。理由は、やっても意味がないと思っていたから。ところがグループ展をしたことで、人に絵を見てもらう喜びに目覚めてしまい、一年後には個展をしていた。「手のひらを返したように」とは、まさにこのことである。そういうことが、私には割と、いや、かなり多い(笑)。


初個展は、自分としては頑張った方だと思う。一年間かけて、溜め込んだ作品だった。今見ると、相当荒っぽいか、無駄に粘っているかのどちらか。描きたい衝動が最優先で、完成度だとかセンスだとかはまるで望めないものだった。それで良いと思っていたし、あの時の自分に出来る個展は、あれ以外なかった。八方破れで実にまとまりのない、しかしやたらと充実した個展だった。38歳にして、ひとりで仕切ることの気持ち良さや、批判や出費を全て被る痛さを憶えた個展だった。


記録によると作品数は全部で44点。展示して見てもらうことが最も大きな魅力だったが、作品のタイトルも是非読んでほしかった。そのせいで、作品タイトルをつけるおもしろさに目覚めたのも記憶に残っている。たとえばこんなのがあった。

『願い事から逃げるように流れ星は消えてゆく』
『船は沈むことを選べない』
『生き損なう日』
『朝早い道草』
『あなたたち、相当言いたいことばかり言ってますね』
『いつか登ろうと思っていながら、まだ登っていない山が故郷にはあるものだ』
『僕ハ僕ヲ連レテドコヘ行コウ』
『映画館を返せ!』
『空港がある街の空は広い』

なんかよくわからんタイトルばかりだな(笑)。実際に絵を見てもらって、そこで考えてもらうことも多く、私の意図がお客さんにどう伝わっているのかが不安だった。


実は当時、来廊していただいた方にアンケートをお願いして、感想等を記してもらっていた。それが今も残っており、読み返すと、ギャラリーの中の景色やとぼけた会話が如実に蘇り、少し胸が熱くなる。無理に褒めていただいた方や、グループ展と勘違いされた方(画材や画風、モチーフなどが全く一貫していなかった)。和んでくれた人や、素通りの人。ああ、忘れてはいけない、あのときいらして下さったみなさんを、という気持ちになってしまう。


個展が自分にとって、いかなる表現の場なのか。今の自分、新しい自分を見てもらうこと。素材としての絵を理解してもらい、いろんなメディアに活用してもらうこと。自分の創造性の解放の場であること。ささやかでも、某か実験をすること。磁場を作り出して、多くの人と接触すること等々…。とにかくあれから10年近くが経った。未だに引き続き個展をやろうとしているところをみると、あの時実感した喜びは、案外嘘ではなかったのだ。
   
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