今年二回目のグループ展のお知らせです。
9月1日(火)~9月12日(土)まで、
ギャラリーびー玉さんで好きな曲に絵をつける企画に参加します。
未発表の一点のみですが、このブログをご覧下さるみなさんもよくご存知の絵です(笑)。


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ギャラリーびー玉
<わたしの好きな曲展>

9月1日(火)~9月12日(土)
火~金    
13:00~20:00
土・日・最終 
13:00~18:00
*7日(月)休み

誰にでもある思い出の曲、歌をそれぞれが描きます。コラージュの石田元はやっぱりロックでしょうか、R&Bが似合う中川洋典、ほのぼの系の杉本あかりは「たま」らしいです。音楽家の鈴木知子はこのテーマならではの出展でわくわくします。NYからは、ボブ・ディラン大好きのバーナード・ザロン。彼はディランのHPにも作品をよせています。17歳の今をジャニスに重ねて描くKOTOMI。その他、粟野秀一、粟津謙太郎、NAG、ブレンダ・バーグマン、Michiko、縫采徹、上山榮子。
~ギャラリーびー玉HPより~
(http://www2.odn.ne.jp/bi-damas/index.html)
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そうか、私はR&Bが似合うのか…うれしいねぇ(笑)。
それじゃ、まってるぜ、ブラザーズ&シスターズ!

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お盆休みは今日までのところが多いでしょうね。
私は一日だけお墓参りで過ごしましたが、
後はずっとコジコジと絵を描いていました。
出逢う人も少なく、籠りっぱなしだったので、
髭が思いっきり伸び放題です。
明日からは世の中の会社も仕事再開でしょうし、
私もすっきり剃りたいと思います。


私の場合、髭が伸びると、気分が次のどれかになります。
1.野性的な冒険家
2.小難しい芸術家
3.悩める病人
4.ただダラケている人


で、鏡で自分の顔を見ると、
どう見ても4にしか見えない(笑)。
世間様がゆっくり休んでいる時に、コツコツやっているのに、
それはないやろう!


髭の似合う人、羨ましいなあ。
私の描く男性に髭面がやたら多いのは、あれって、憧れなんだわ。


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熱狂にはハレもあればケもある。心の奥底で静かに燃えるロウソクの蒼い炎のような熱狂。大人しいが、逆に不気味で物騒。一皮むけば何が出て来るのかわからない、そんな熱狂。憧れること限り無しである。しかしそれを描いたことがないので、依然憧れのままだ。


人通りのない商店街から一歩裏へ入ると、路上に商品が山積みされた迷路のような細い路地が無数に拡がる、無秩序で非合法な世界。交わす言葉や匂いは判別不可能で、運が悪ければ外界に戻れなくなる。こんな厳かで静かな熱狂にこそ出逢いたいものだ。


熱狂にはある種の人を惹き付ける力があり、ある種の人を遠ざける力がある。熱狂に肌が合う人種にはきっと見えるのだ。熱狂が拡散の隣合わせにあることが。だから散らばって消えてしまう前に、体感したいのだろう。そうか、熱狂とは儚い美意識のことなんだな…

    
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熱狂という言葉を思い浮べる時、そこには同義語のように「密集」という文字が必ず同席してしまう。なんでだろう。お弁当の中味が美味しそうにギュウギュウに詰まった様には興奮したり熱狂を感じるけれど、スカスカのノリ弁当には寂しさしか感じない。これでは説明になっていないか…。


何かがギッシリ詰め込まれた様子には、何かしらエネルギーがある。摩擦を伴う熱を感じる。押し合っているもの同士の反発力を想像する。それらを絵にすると考えた時に、自分の痕跡をそこら中に残せる快感を確信する。これがいいのだ、これが。密集って、暑苦しくて見苦しくて、本当に好きだ。


偏見に違いないが、スマートで洗練されていてオシャレな表現には、この密集というやつは、あまり適してはいないと思う。どちらかというと、土着的なパワーや宗教的な力強さや、悪趣味の権化なんかによく似合う。プリミティヴな要素が増殖するように群がる状態。これぞ熱狂だ。ああ、惹かれるなあ!


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例えばディズニーランドに代表されるような娯楽施設は、いつも同じボルテージの興奮をお客さんに与えることができ、それによってお客さんを虜にしてゆく。そういう画一に律された環境から得られる喜びから少々遠い位置にあるのが、その時その場限りの熱狂である。大多数の胸を焦がすことはなくとも、私一人の情けを焼き燃えさかる。そうかあ、絵の素材って、私的なものばっかりなんだな。


素朴で極日常的な淡々とした時間が、絵にとってよい材料になるように、弾けきった非日常の一瞬も絵にとっては不可欠だと思う。予定されたお決まりのお祭りではない、想定の枠の向こうから突然飛び込んで来る驚きこそ、我々の心を躍らせ絵心をかき立てるものだ。これは出会いといってもいい。求心力や感応力の違いから、掴みには甚だ個人差があると思われるが。


同じ本を読んでも、胸の内に入って来る情感は人によって違う。目に浮かぶ情景も異なる。同じように、なんということのない目の前の一場面が、その人の感情の導火線に引火するか否かは、まったくもって予想出出来ない。そして、出会う力も人それぞれでバラバラのものだ。私が熱狂の渦に巻き込まれているその隣で、誰かが退屈な毎日に飽き飽きしていても、それは当然あることだ。


そして私は熱狂にそそのかされる。熱狂は虜になった者だけが、さらわれる権利を持つ津波のようなものだ。熱狂にゆとりなどない。他者にその理由を説明している間に、熱狂は消えてしまうか、膨張してしまう。共有が稀なのだ。あくまで私有感情。後付けで体のいい説明は幾らでもつけられる。しかし、熱狂の底に至る必然はただひとつ。私が生きているかどうか。ただそれだけだ。

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