http://www.townport-japan.com/art_box/hironori/index.html

このサイトで私の作品12点をご覧いただけます。
掲載元のタウンポートさんは、大阪からの情報発信の拠点となって、大阪にもっとアクセスしてもらおうという意図をもっておられます。そのひとつとして地元でものを創る作家さん達を取り上げて、サイトを通じて紹介して下さっています。拙いながら、私もその末席に座らせていただいております。よかったらみなさん、覗いてやって下さい。
    
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沖縄に残る村落共同体のような人間と人間の結びつきは、私が子どもの頃の近所付き合いの濃密さを思い出させる。昔の長屋のような人との付き合いはもう失われてしまい、今の日本にはなかなか見出すことは難しいと思っていた。それが第一級の観光地に息づいているのは、ある意味で奇跡のようなことかもしれない。

そこには閉鎖的な濃さというよりは、家族的な温かみを感じる。伝統的に他者を迎え入れることに長けた血が流れているのだろう、種々の文化的独自性が生き延びてきた背景に、外来文化を受け入れて消化する並外れて強靭な力があった。排他に向かわない取り込み型の地域性が発信する側に向かえば、その影響力は強い。私はそこに惹かれる。

沖縄のしぶとさを羨ましいものと感じた時、私は見つけた。描きたいと思う沖縄を。ただ景色がきれいなだけではない世界。ただ悲惨なだけではなかった世界。私の故郷からは消え去ってしまった世界。心の中には色濃く残っている世界。いつの日か戻りたい世界。決して戻れない世界。幾つもの矛盾した世界。私の描いてみたいのはそんな沖縄なのだと思う。

好きで好きで仕方ない沖縄に、私は住もうとは思わない。沖縄の人々と一緒に住むことや同化することが、絵を描くにあたってどうしても大切な事だとは思えない。むしろ障害を感じる。大事な宝物はビンの中に入れて手元に置いておくのではなくて、閉じた瞼の裏側で見えるようにしておきたい。その方が私にとって生々しく切実な沖縄だから。
    
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以前から観光地としては名の通った存在だった沖縄。しかし辺境の地として、かつては本土から差別の対象であった沖縄。それが国内では類をみない郷土文化の宝庫として、メディアに持ち上げられ始めたのは、一体いつの頃からだったろうか。私が初めて沖縄・八重山へ行った1984年には、まだそんな気配はなかったように思う。

文化の独自性を正しく評価することは確かに良い事である。しかし、沖縄に関しては、それが問題のすり替えになっている気がしてならない。我々が沖縄の生活文化全般を褒め讃え賞賛し羨むことで、沖縄が長年抱えてきた政治的な問題や地域格差、いわれのない差別を見えづらくしてはいないか。

例えば沖縄駐在の米国不良軍人が一般市民に犯罪をしでかすたびに思う。もしこれが東京都心だったら、世論はどう扱うだろうかと。日本人の生活の場で法を犯しながら、治外法権区域に平気で逃げ帰る犯罪者を決して許したりはしないだろう。ところが遠く離れた南の島に憧れる心地よさが故に、我々はかの地の切実な問題から目を背けしまう。見たくないものには目を閉じてしまう。聞きたくない話には耳を塞いでしまう。そして声を挙げる事もせず、事態が通り過ぎて沈静化するのを待ち、沖縄が元の癒しの島になった頃合いを見計らってほいほい擦り寄って行く。これではあまりに都合が良すぎないだろうか。

沖縄を好きになると、極めて大きな矛盾を突きつけられる。降り注ぐ太陽を享受するその横で、真っ暗い影が蠢いているのだから。私は沖縄を愛している。だから自分の中で沖縄を正視したい。正しくバランスを取りたい。そしてそれを絵にしたい。とても難しいことだとは思うけれど…

    
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沖縄を絵の題材にし始めたのは7年ほど前からだ。当時阪急芦屋川駅近くにあったギャラリーa-space newnewで、『島思い展』というグループ展があった。タイトルから分かる通り沖縄にインスパイアされた作品を展示するという企画で、都合3回続いた。参加をする段になって気づいたのは、私には沖縄について描きたい事が山のように堆積しているということだった。


沖縄には何度も通った。癒しの島としての沖縄に魅力を感じるかと言われたら、たぶんYESと答えるだろうが、私にとっての沖縄はそれだけでは難しいと思う。確かに観光業は盛んで、温暖な気候と柔和な人柄の島の人は充分魅力的である。しかし私が感じる沖縄の引力はもっと違うと思う。タフな生活感と過酷な現実を抜きにして、沖縄に接触することはできないのではないかと考える。


とにかく文化圏が私のすむヤマトーと大いに違う。言語、食、芸能、風土など、郷土色の豊かさは同じ日本とは到底思えない。それももっともな話で、沖縄県は日本の一地方の都道府県というより、琉球というもうひとつの国に近い。ヤマトー、アメリカ、韓国、中国、台湾、東南アジアから膨大な影響を受け、それらを咀嚼・消化して豊穣なウチナー文化を育んできた。


沖縄の特殊なポジションが最も色濃く反映されてきたのが歴史である。未熟かつ無学な私が、ここで沖縄の歴史について語ることは許されないが、本島や離島を訪れてみれば一目瞭然である。中央の圧政下で苦しんだ明治時代も酷かっただろうが、第二次世界大戦での人災国災から今も続くアメリカ軍事基地下の犠牲の図は、何度沖縄に行ってもいつも苦々しい想いがする。あまりに惨い。酷すぎる。

    
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そう。
前から知っていました。

絵を描くと、人が寄ってくると。
絵を描くと、知らない誰かとも、簡単につながることを。
絵を描くと、言葉が要らないことも。
絵を描くと、心の奥の方までわかってもらえることがあると。


先日東京からAMI☆TAME☆CHUというバンドが来阪し、
そのライブに行って参りました。
ひとこと、素晴らしかったとだけ言わせてもらいましょう!


この2月に、ある友人に頼まれて、彼らの絵を描いたのですが、
友人もAMI☆TAME☆CHOOさん達も、とても喜んで下さりました。
その絵は今回の大阪ツアーのフライヤーに使われ、
東京でも引き続き使用されるそうです。
最初から想定していたわけではなかったので、
とてもうれしく思いました。


私は音楽が大好きなので、たまに音楽関連の絵を描くと、
ズブズブ入り浸ってしまうところがあります(笑)。
そんな絵を喜んでもらい、また二次使用していただくことは、
絵を描くものにとって、大きな喜びです。
私の中で一緒になっていた絵と音楽が、
外界に出て、他の人とも共有されるわけです。
こんなうれしいことはないでしょう!


ライブの後、近くの中華料理屋さんで打ち上げをし、
午前3時に店を出ました。
夜中の道を、トコトコ歩いて自宅へ戻ったのが午前4時半。
その間ずっと私は、地面から体が浮いていたと思いますよ(笑)。

    
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