ライブの告知です。このブログを読んでいただいている方はご存知だと思いますが、昨年の12月に尼崎の中華料理の名店、王中の中島庸斗さんが亡くなられました。早いものであれから8ヶ月が経とうとしています。真冬で厳しい寒さだった季節も、嫌になるくらい暑くて湿気った夏本番になりました。この8月は初盆というわけで、中島さんを偲んで8月20日に盛大な追悼ライブ<8.初盆だRock Day 中島庸斗追悼ライブ>があります!このタイトル名はもちろん、かつての音楽イベント<8.8.Rock Day >に由来するものです。

せっかくなので、主催兼アートディレクター(!)の橋本隆さん(Nuts Berry FriendsのVo.)の談を紹介しますね。

〜出演者はみんな中島さんの友人であり、仲間達。去年12月12日に中島さんが亡くなってから、絶対やるつもりのイベントだと思って企画しました。天国の中島さんが悔しがるぐらいバーっとやりたいので、なにとぞよろしくお願いいたします。〜


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場所 天満橋Raw Tracks  http://rawtracks.jp/home.html

時刻 2017年8月20日(日)16:00/オープン 16:30/スタート 

料金 チャージ¥2,000(ドリンク代別)

出演 ローガンズ/ダーツ津田/尼音人

   E-Motion/信太ボーイズ

   AMI☆TAME★CHOO

   Nuts Berry Friends

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橋本さんの秘めたる思いに加えて、この出演者の豪華なラインナップ!これで¥2,000は文句なしの超お得価格です。後になって後悔しないように、今から8月20日のスケジュールに当てておいて、是非いらして下さい。出演者の平均年齢は高いですが(笑)、音楽性も正比例して高い!私が保証します。当日会場でみなさんにお会いできることを楽しみにしています!

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この記念すべき企画のチラシ絵を描かせてもらいました。橋本さんからの依頼です。4月に相談を受けたときは、アイデアがはっきりと浮かばなかったのですが、5月の或る日の明け方だったと記憶しますが、夢の中でひょっこり中島さんがやってきました。そのときのイメージです。私の中で中島さんという人は、本当によく働く人でした。身体に疲れや痛みがあっても、日々ハードに働き、いつも周囲の人たちに気を使い、王中というお店に心血を注いでいました。そんな毎日を送っていた中島さんが、赤ん坊のようにぐっすり眠って、疲れや煩いの全くない、すっきりした表情でこちらを見ている絵を描きたいと思いました。


この世に残された人は、先に逝ってしまわれた人を清浄にしてしまうのだと思う。中島さんがいなくなってから、私は彼を神聖化していると思います。描いていて、どうしても現実的な中島さんにはしたくなかったのには、そんな理由がありました。リアルな中島さんは汗と油にまみれて、首にタオルを巻いて、厨房で中華鍋を握っていましたから。絵を描いている最中、そんなことをずっと話していたんですよ、中島さんと。そして今また、この告知を書いていて、無性に会いたいです。中島さん、夏が来ましたよ!




















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自分を目覚めさせる言葉をかけてくれる人がいる。これはありがたいものです。12年ほど前に私は、その人から別れ際にいただきました。仕事用で会ったと記憶しているのですが、一通り話しが終わって席を立つ前の瞬間でした。たったひと言「できるだけ早いうちに」背中にちょっとした寒気が走ったのでした。


この言葉を聞いたとき、私の置かれている立場や、時間的な余裕などを全部考慮に入れた上で、発せられたものだとすぐにわかりました。そういうつきあいのある人ですし、そういった含みをする人です。帰りの電車の中で、ずっと反芻していました。「できるだけ早いうちに」こんなに縮み上がる言葉は滅多にないです。


話しの前後関係や、当時の状況を明らかにしていないので、よくわからないかもしれません。ただ、私があのひと言に感応したのは事実で、今も胸に突き刺さったままです。人のやる気はどんな言葉によって生まれるか。励ましや鼓舞、突き放し、叱咤、褒め讃え。どれもが空振りをする可能性だってあります。


その人が私に伝えたのは、後悔の量だと思う。その時点で溜まっていた後悔を、更に増やしたくなければ、この先少しでも減らしたのなら。たぶんそんな思いで伝えてくれたのでしょう。そして私は言われた通りに動きました。「できるだけ早いうちに」逃げたのです。後悔から、暫定暫定の繰り返しから、曖昧な目標から。


そして今。人から言われる前に、いつも誰かが耳元で囁きます。手遅れになる前に、終わりがくる前に、さあ、逃げよう!それも「できるだけ早いうちに」。

  
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こんがらがった部屋の中で、探し物をしていました。「なんだ、これ?」と思って封筒の中から取り出してみると、それは今年のカレンダーでした。もう半年が過ぎた今頃になって発見された哀れなカレンダー。実はそれは、私が欲しかったものだったのです。なのに、いつの間にか埋もらせてしまって、半分を無駄にしたのです。あ〜、なんともったいない。


せめて1月から6月までの絵柄を楽しもうと思って見返しているうちに、この半年の間の些細な出来事が浮かんできました。やってきたもの、消えていったもの、ずっと続いているもの。一年という時間が早く感じられるようになって随分経ちますが、半年なる時間には、意外と多くの変化やアップダウンがあるものですね。


その中で私は、多くの刺激を受けたことと思います。片耳に入れてやり過ごす程度のこともあれば、ガツンッ!とやられたものも。つまり、刺激はあるときはあって当たり前であり、あるときは栄養や毒に転化します。7月3日の今日現在、大きな変化もなく、平素のメンタリティで生活していることを考えると、私はこの六ヶ月間をなんとか凌いだことになります。


件のカレンダーですが、使用しなかった半年分をバッサリ切り取って、今月から残り半年分に気張って活躍してもらおうと思っています。ドタバタしてばかりの日常に、ハイ&ローの精神状態が横槍を入れてくるにちがいない。半年後にカレンダーを処分するときに、頼りがいに感謝してさようならができるように、今日からお世話になります。

 
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今日は朝から蒸し蒸しで、本格的な雨期の到来を感じさせます。なんでも来月の長期予報によると、雨はかなり少ないそうです。太平洋側に張り出す高気圧が強力で、梅雨前線が南下し難いのだとか。ということは、灼熱の炎夏大王はそこまで来ているわけです。夏好きの人、大いに喜んで下さい。冬好きの人、冬将軍に連絡を入れて下さい。すぐに大阪上空へ飛来するように。たぶん行方不明だろうなあ(笑)。

今月のf.b.版つぶやきです。


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【6月4日】

昨日今日と、朝夕が涼しくて気持ちいい。日中も湿度が低いので過ごしやすい。いい条件が揃って、それなら仕事もはかどるだろうといいたいところですが、どの問屋もそう簡単には品を卸してくれません。意地悪な問屋ばかりです💦メールのやりとりはキリがないし、相変わらず筆は遅いし、宅急便は待てど暮らせど届かないし。あ〜あ、大切な日曜日が暮れてゆく…。そうこうしているうちに、なんかもう、眠たくなってきましたよ。気持ちのいい夕暮れどき。


【6月6日】

ほんの数ヶ月前の自分のツイートを読んでいて、人の感情は簡単に切り変るものなんだなと思ったのでした。当の本人も回りの人も、これは修復には時間がかかるぞと感じていたはずなのに、6月を迎えて今や何もなかったような平穏無事な日々が戻っています。そのことに夕立ちの前みたいな、不気味な心模様を感じたのです。これは人と人が出会うときの海面の様子であって、一端亀裂した人間関係のさざ波は海の奥底で深い渦巻きになって、時間を置いてからあらゆるものを巻き込んで再び浮かび上がって来る。そんな気がします。ものごとは重層的に進んでいるから。


【6月11日】

このところ何とも巨人が弱い。根っからのアンチ巨人である私のようなものでさえ、「おい、ホンマに大丈夫なんか?」と心配になるぐらいに弱い、暗い。

貧打が原因でジャイアンツに見切られて日ハムに移籍した大田、その捨て駒にあれだけボカスカ打たれて…大田はきっと内心はらわたが煮えくり返っていたんだろうな。自分を捨てた球団に対して。

高橋監督に現状を打破するだけの気概があるようには到底見えないのだが。そもそも彼はジャイアンツの監督をやりたかったのか?現役を強引に終わらされて、それと引き換えに、引き受け手のない監督業を押し付けられたのではなかったか。

元を辿れば高橋は、慶応大学在学中にヤクルトに入団を決めていたと言われていた。にもかかわらず身内の泥を被る形で、泣く泣く巨人に入団させられた経緯がある。最初から巨人とは無理矢理な関係だった。

今のベンチで監督高橋の暗い表情を見ると、現役時代の高橋も心の底から笑った顔を見た記憶がないことを想い出した。

間違った所属先に足を踏み入れてしまった代償は大きい。そのことを今一番強く感じているのは、案外大田ではないだろうか。


【6月18日】

秋(9月、10月)に予定している二つの展覧会。ひとつは三人展で、もうひとつは絵本原画展。両方のD.M.が宅急便で相次いで届いた。今回は二種のD.M.を封筒に入れて送ることにしよう。

今月からはがきの郵便料金が10円値上げになったみたいで(はがき一通62円に)、封筒は据え置き(一通82円のまま)らしいから、これはまとめて送りなさいという、近所の郵便局長からの指令なんだろうな。局長はいつもは朗らかな人なんだが、きっと手間とコストにはうるさいのかもしれない。

よう知らんけど(笑)。


【6月23日】

今日は眠い眠い一日だった。夕べの睡眠は大いに問題あり。とにかく寝入りが悪かった。寝る間際まで、今自分の中で(勝手に)山場と位置づける作業をやっていて、火照った脳がなかなか眠ってくれなかった。脳って、コントロールができないものなんだな。おまけに夜中にトイレへ行って睡眠がまっ二つに分断され、そこでまた目が冴えてしまっては、ダミだこりゃ💦朝起きたとき、すぶに夜寝ることを考えたほど。斯くしてやっと夜がきた。今晩はナイスな眠りを頼みますよ。


【6月26日】

昨夜は追っかけをしているバンド、ファンキーパパのライブを聴きに、大阪環状線寺田町のオーティスブルーへ。大のお気に入りドラマーの重谷さんが海外へ栄転のため、昨夜をもって一旦バンドを抜けることになり、ラストの演奏でした。送別会のノリもあって、場内超満員、立ち見続出。日曜の夜にあの入りは凄いねぇ。

主役の重谷さんはリズムキーパータイプのドラマーで、失礼ながらオカズは多くないのだが、ドスッ!バシッ!と決める瞬間のかっこよさは本当に痺れる。それと屋内、屋外、どこで叩いても音質が安定している。改めていい打楽器奏者だなあとしみじみ思いました。当分聴けないのかと思うと、寂しいなぁ〜💦


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はやいものでモーリス・センダックが亡くなって、もう5年が経ちます。好きな作家がいなくなってしまうのは、尾を引きます。そういう目に遭うことが、これから間違いなく増えるでしょうね。ため息ばかりついてはいられないですが、ある人生が終わるということは、ひとりの人間が長い時間をかけて種をまき育て収穫し、ため込んだ記憶が一瞬にして消えてなくなることを意味しているわけで、取り返しのつかない損失なのだと思います。今回は5年前に書いたセンダックについての日記です。


時は1948年。センダックはニューヨークのダウンタウンに住んでいました。かなり貧しかった。健康面でも問題があった。まだ20歳の若い身の上には辛い状況です。上昇志向真っ最中の米国から取り残されたような暮らしを送っていたセンダックが自宅の窓から眺めていたのは、街中で遊ぶ子どもたちの姿でした。日がな一日、彼らのスケッチをして過ごしていたのでした。そのスケッチブックに描かれていた子どもの中に、彼女がいたのでした。


ロージーは当時まだ10歳。元気一杯で遊ぶ女の子を、センダックは無我夢中になって描き続けました。約9ヶ月近くも、ロージーと彼女の友達、家族、近所の人々を、センダックは何冊も何冊もスケッチブックに写し取っていたのです。それだけではありません。ロージーの奇妙な話し言葉や魅力的な遊びの発想までもが、そこに書き綴られていました。きっとその頃のセンダックにとって、ロージーは唯一の絵の対象であり、慰めだったのかもしれません。


その3年後『あなはほるもの おっこちるとこ』が発表され、絵本画家として認められたセンダックは試行錯誤をしながら自作の絵本作家としての道を歩み始め、自作絵本3作目でついにロージーを絵本にしました。1960年の『ロージーちゃんのひみつ』は、ブルックリンの貧しいユダヤ人の絵描き青年がロージーと過ごした9ヶ月から生まれたといってもいいでしょう。そしてその時間は、センダックが予想しないほどの栄養を彼に与えていたのです。


1964年に『かいじゅうたちのいるところ』が出版されると、センダックは永遠の輝きを手に入れました。なにやら気味の悪い、でも人の良さそうなかいじゅうたちと、わんぱくでちょっと寂しがりやのマックスのダンスシーンは最高級の芸術品でした。(「食べたいくらい好きなんだ、食べてやるから行かないで」という名訳を施したじんぐうてるおさんにも感謝!)あのロージーと出会ってから、もう16年の時が経っていました。


それから10年後。とあるテレビ・アニメに取り組んでいたセンダック。その番組で流す曲を書いてもらうには誰が一番いいか、センダックはもう頭の中に決めていたのです。それはキャロル・キングでした。会って、センダックの書いた詞にキャロルが曲をつけ一節唄った途端に、きっとセンダックは思ったことでしょう。「ロージー、君にぴったりの歌手がここにいたぞ!」って。二人が作ったアルバムは翌1975年に発売されました。タイトルは『おしゃまなロージー』。あの街角の女の子が再び帰ってきたのです。センダックは47歳になっていました。


センダックの絵本を読むと、いつもロージーのことを思い出してしまう。たくさんの傑作絵本をこの世に送り出したこの作家の心に住み着いて離れなかったロージー。センダックもまた彼女の居場所を終生確保することで、クリエイティヴな人生を全うする事ができたのではないでしょうか。人は一生の中で、何人のロージーに出会う事ができるでしょうか。センダックはきっと幸せだったことでしょう。「食べたいくらい好き」だったロージーに3度も会えたのです。それどころか、彼の手から生まれ出た作品には、必ずといっていいほどロージーが宿っていたのですから。生きていれば彼女は今78歳のはず。センダックがあの世へ旅立ってしまったことを、彼女は知っているのだろうか。

(*日記No.487 2012年5月11日掲載のリメイクです。)    


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