その日の午後、台所に置いてある小冊子の表紙が目に入りました。大きな橋が海に向かって、グィ~ンと伸びている写真でした。「うわ、これ、かっこええやないか!」と一目惚れした私は、さっそくスケッチブックにちょこちょこ橋の絵を描いて遊んでいました。決して子どもじゃないんですが(笑)、刺激のあるものを見ると、すぐに絵に落とし込みたくなるクセがあります。そのうち、橋にまつわる時間を描いてみたいと思うようになってきて、これは絵本だな、そう感じました。8年前の、2009年のことです。


橋を主軸に据えたストーリーを考えていたのですが、どうしても意識が海へ流れてしまい、橋がメインにならない。困ったな。そんな折に旧知の児童文学作家、高科正信さんと会う機会があり、軽く声をかけたのが『はしをわたってしらないまちへ』の始まりでした。2010年の夏の終わりの頃です。確か約一ヶ月ほど後に高科さんから手紙が届きました。絵本のテキストでした。私は一読して、すぐにダミー本の制作にとりかかった…と書きたいのですが、実際に描き始めたのは1年後です。やる気がなかったのでしょうか?いやいや、そんなことはないのですが💦


翌2011年に、ある絵本作家の夫婦による二人展が京都で開かれました。二人に会うのは久しぶりだったので、いそいそ出かけると、なんと私と入れ違いで高科さんが数分前までギャラリーにいて、「中川君に絵本のテキストを書いて渡したのに、何も返答がない」と言って怒っていたというのです!これはまずい!と思った私は、翌月に広島県の尾道から伸びるしまなみ海道へ、一泊二日の取材旅行に出かけました。レンタルサイクルで30キロを走り、様々なポイントを押さえてダミー本に取りかかったわけです。


ダミー本が出来上がった2012年初頭から、売り込みを開始しました。最初に3社ほど出版社を当ったのですが、どうも反応がよろしくなく、ダミー本の手直しが必要かなと思いました。微調整後に4社目でいい線までいったのですが、やむなき理由で先方が突然途中下車(笑)をしてしまいました。なんとも残念でした。それが2014年2月のことです。困ったなあと思っていた或る日の明け方に、寝床で不意に思いついたのが福音館書店さんのある編集者さんのことでした。その方とは2009年と2011年に、東京での個展でお会いしていました。


さっそくメールで連絡を取って、ダミー本を見てもらうことに。すると幸運にも作品を一緒に創りたいとの返事をいただき、2014年の6月にわざわざ神戸まで来て下さり、JR三ノ宮前にあるニシムラコーヒーの二階で、初めて三人で顔合わせをしました。今だから言いますが、私はこの時「あ、これは絶対上手くいく」と確信しました。この編集者さんが入った3人の距離感をハマったと感じたからです。ただ、ここからが長かった。編集者さんの提案で、3人でしまなみ海道を歩く一泊二日の取材に出ることになったのです。ええっ?また行くの〜?


2014年の10月のしまなみウォークに一日だけ参加した私ら3人は、30数kmを7時間かけて歩きました。完全にグロッキー状態(笑)。自転車でもしんどいのに、歩くのはそんなものではなかったです。おかげで絵本にする材料をたくさん捕獲して帰ることができました。思えばこの取材からちょうど3年が経って、よくやく本が出たわけです。全く気の長い話しですねえ。その間、たくさんの変更や修正をこなして、なんとか出版という形に着地しました。私も高科さんも編集者さんも、誰一人音を上げなかったのは、取材で筋肉痛になった者同士の、熱い連帯感があったからだと私は思っていますよ(笑)。


 

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売り込み用に描いたもの。主人公のプロポーションが、本になったバージョンと微妙に異なる。最初は6〜8才ぐらいの設定年齢でした。(添付されている画像の無断転用・使用を禁止いたします。)



   

















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9月1日に新刊絵本『はしをわたってしらないまちへ』(福音館書店月刊こどものとも5〜6才向け10月号)がめでたく発売になりました。少し出遅れましたが、今日から4回連続で、恒例の新刊絵本の特集を組みたいと思います。もう手にとられた方も、まだの方も、作り手の側からみた新刊絵本のあぶり出しを楽しんで下さいね(笑)。


発売を記念してこの9月5日(火)〜10日(日)まで、神戸のギャラリーヴィーさんで 原画展をします。本作の全原画を展示する他、発表済みのオリジナル作品も合わせて展示する予定で(←こちらは販売しますので、どうぞよろしく!)、全部で50を越える点数になると思います。もちろん本の販売もありますし、9月9日(土)16:00からは文章を担当した高科正信さんとのお話会 + サイン会もあります。少し涼しくなりかけた関西一円です。神戸方面へお出かけの際には、どうぞおいで下さいませ。


自分から積極的に原画の展示をする作家さんもいますが、身も蓋もない言い方をすれば、絵本の原画展というのは、概ね版元さんが商品(絵本)を売るためのツールとして、展示企画を主導されているのがほとんどだと思います。自分から全部を賄ってやるというのは、作者やギャラリーさん側が絵本の原画を見てほしい!と切望されるケースか、もしくは個展かなにかの展示の数合わせ的なケースが該当するのではないでしょうか。


絵本はあくまでも複製物(印刷物)が最終形です。原画や作中の文字は、紙やインクと同様に、その素材に過ぎない。私はそう考えています。それと同時に、もちろん原画を見てもらって、印刷物では味わえないものを感じ取っていただけるのは光栄なことです。なんといっても原画は一点ものですし。お客さんが原画展にいらっしゃる理由もそこにあると思います。つまり絵本の原画展を見るというのは、手に取って絵本を読むということとは、全く別な行為です。そんなこと、私がやいやい書かなくても、みなさん充分におわかりでしょうね💦


ついでにもう一つ言うと、私に関しては、絵本原画展は個展ではありません。今回はかつて個展で出した作品と同席しますが、やっぱり私にとっての個展とは、その時々の新作でまとめたものを指しています。個展ならではの、自由で気ままな世界を創る行為は、原画展には望めないと思います。なんか、来て下さいとか言いながら、原画展について否定的なことばかり書いていますよね。でも、決して原画展が嫌いなわけじゃないんですよ。なかなか(版元さん主導で)やってもらう機会がないもんで、スネているだけなんですよ(笑)。


今回の原画展は、文を手がけた高科正信さんの口利きで、ギャラリーヴィーさんにお世話になることになりました。いいタイミングでうれしいです。絵本自体は一冊420円と、コーヒー一杯分のお安いペーパーバック価格なので、みなさん躊躇せずに買って下さいね。頼みますよ。第一回目は訳の分からない宣伝になっちゃいましたね(笑)。次回は作品の創作過程をお話しします。乞うご期待を!


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先日『カレーライスを一から作る』という映画が、関西でようやく公開になりました。例の如く、大阪は十三の七藝こと、第七藝術劇場で初日の初回を見ました。上映の後、監督の前田亜紀さんと、映画の主軸である関野吉晴さんが登壇されて、約30分ほどのトークイベントがありました。関野さんは20年ほど前にテレビで「グレートジャーニー」を見て、私が強烈な刺激を受けた人物です。今回の映画も関野さんらしい、人と食の根っこを見つめた作品でした。映画館を出た後に、我が身を振り返らざるを得ない問いかけを持っています。トークショーが終わった後、パンフレットにサインをもらいました。順番待ちで並んでいる時、久しぶりに緊張と喜びとで、心臓が大揺れしているのがわかりました。握手してもらった手のひらは、やっぱり分厚くて柔らかかったです。みなさんもこの作品を見て、気づいたことを考えてみてはいかがでしょうか。

http://www.ichikaracurry.com/

では、今月のf.b.版つぶやきです。

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【8月2日】

8月は盛りだくさんな一ヶ月になりそうです。何が盛りだくさんなのかというと、野暮用が盛りだくさんなのです。だから自然と、割り切りも盛りだくさんになりそうだし、目をつぶることも盛りだくさんになりそうです。なんだそれって、結局適当にアゴで使われることばかりが盛りだくさんなだけじゃないか。そんなの、もうたくさん!なんてね(笑)。


【8月7日】

休日はあっという間に過ぎてゆく。よそ見をしていたら、休みがあったのかどうもかもわからないぐらい、素早く去ってゆく。故に私は、休みの前の夜は構えていなければならない。翌日が休みだなどと、気を抜いてはいけないのだ。「あ~、やっと休める~」とホッとして肩の荷を卸そうものなら、その瞬間に休みは一気に逃走する。この土日は完全に逃げられたな。追っかけたけど、背中も見えなかった…。


【8月9日】

昨日のブログ投稿で「空気なんか読まずに本を読め!」とか書いときながら、今日は思いっきり空気ばっかり読んでるやないか、俺。書いてることとやってることが、全然一致してないわ。

そうは言うても、やるは難し、たまにはそういうこともあるで。ストレス溜まらん程度に空気読んで生きてた方が、そら楽やしな。今日はこのへんで勘弁しといたろ。とか、平気で言い放つほどの図太さもありまへん。

今日の午後からも、まわりをキョロキョロ、周囲の顔色を伺って、小さくまとめたいと思てますんや。よろしゅうたのんまっせ♪


【8月16日】

粗野で過激なもの

あえて語らないようにしているもの

砂糖菓子のようにだだ甘いもの

コバエのようにうるさいもの

他人の顔色を伺がっているもの

噛み付く機会を狙っているもの

心地いいだけのもの

座り込んで世の中を見ているもの


終戦の日は

ネット上にいろいろなものを目にした一日だった


72年前にそこにいた人の

本当のところはどうだったのだろうか


【8月20日】

せわしい一日でした、昨日は。昼過ぎまでバタバタと作業をやって、1時間ほど仮眠。目が覚めると、そそくさと<8.初盆だRock Day 中島庸斗追悼ライブ>の会場ロウトラックスへ。うだるような暑さ。真夏のロックフェスそのものだ。

駆け込みで席に着くや否や、すぐに出演バンドの演奏が始まりました。時刻は16:30。時間は束になって飛んで行き、時計を見るとあっという間の21:00。そうか、4時間半が、一瞬のうちに身体の中を通過していったんだな。

手を見たらクレパスで真っ黒、喉はガラガラ、周囲にいるのは王中やライブで知りあった人の顔、顔、顔。ユートピアにいるような、自由な時間でした。

絵を描くのと、唄うのとで、大忙しだったから、中島さんに挨拶できなかったなあ。ごめんね。でも知ってましたよ。隣にいたんでしょ?


【8月27日】

展覧会のD.M.をたくさんもらっているのに、全然見に行けませんよ。D.M.を送ってくれた作家さん、ギャラリーさんに、申し訳なくてねえ。時間の使い方が下手なのもありますが、そもそも一馬力しかない荷車なのですよね、私は。もう2〜3馬力あればなあ。

もしかしたら先日私が出したD.M.を見て、同じように感じている人がいるかもしれない。「行けなくてごめん」と。だとしたらその場合、D.M.とは一体何の役割を果たしているのだろう。もらった人が行くことのできない展示情報を伝えて、投函先に対して本意でない気持ちを保たせているもの。それもまたD.M.のひとつの姿なんだろうか。

昔、個展を初めてやったとき、ギャラリーのオーナーさんに、D.M.を配った数の一割しかお客さんは来ないよと、言われた事があります。(実際にそうだった!)残りの9割のD.M.は、一体どこで何をしていたんだろうか。


【8月30日】

明日で8月も終わり。9月に入ると、新刊絵本の原画展がすぐに始まります。

<絵本原画展『はしをわたってしらないまちへ』>

場所:ギャラリーヴィー

   http://www.galleryvie.jp/gallery/g_info.html

住所:〒650-0022 神戸市中央区元町通3-2-15

   セントラルビル元町5F

期間:2017年9月5日(火)〜9月10日(日)

時間:12:00〜19:00(最終日は18:00まで)

〜期間中のイベント〜

9月9日(土)16:00より 高科正信×中川洋典のお話し会+サイン会 参加無料です。

展示内容は、 福音館書店『こどものとも』10月号に掲載される新刊絵本「はしをわたってしらないまちへ」(文 高科正信・絵 中川洋典)の原画全点と、私のオリジナル作品を(たぶん34点)を展示します。オリジナル作品に関しては販売をしますので、どうぞよろしゅうに。

9月9日(土)16:00からのお話会ですが、私には展開が読めません。高科さんの思うつぼです(笑)。みなさま、お待ちしております!

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添付されている画像の無断転用・使用を禁止いたします。





















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なんでも書けば良いというものではないのですが、一度は書いてみたかった天下一品のラーメン。その説明をしたところで、結局は食べてみなはれ!というところに落ち着くので、天下一品(以下天一)についてみなさんがご存知であるということを前提に話を進めさせていただきます。 間違っても巷でよく見かける食レポではございませんので(笑)。

ネットで頻繁にラーメン屋さんのランキングをやっていますが、ずっと以前に見た地域別ラーメンランキングで、天一は京都府で堂々2位に入っていました。問題はそのコメント。絶賛激賞する人がいたかと思うと、5点満点で平気で1点を選ぶ人もいる。天一が病みつきになっているという人の隣に、とてもじゃないが食べれたものではないというコメントがある。この落差!これこそが天一のラーメンなのです。

私は30数年来の病みつき派です。食べる、インターバルをおいて、また無性に食べたくなる、そんな体になってしまいました。若い頃も、56歳になった今も。ところがそんな私も、以前風邪をこじらせた折に、精をつけようとでも考えたか、天一へ行ってこってりラーメンの大盛りを食べてしまい、帰宅してからモドすわクダすわで回復が大幅に遅れた時は、もう二度と食べたくないと思ったものでした。

20代の頃には、会社の上司と京都の吉祥院の天一へよく通いました。その人はやせ形のクダし易い体質で、天一へ行った翌日は必ず下痢で遅刻。課長さんから「あいつは腸が弱いんだから、行くならお前一人で行け!」とよくお目玉を食らったものです。遅刻の理由が天一にあると決めつけられるというのも凄い話です(笑)。体質的にあのスープを受け入れられない人もいるのですね。

ラーメンメインのチェーン展開をする量販店でありながら、未だにどこか得体に知れない闇ナベっぽいゲテモノ扱いを受ける天一(失礼!)。私はそこに、何でも見た目に洗練され、きれいに消毒されたものしか受け入れられない社会とは逆流する嗜好を見てしまいます。グロテスク、結構じゃないですか。ゲテモノ、大いにありです。キワモノ、なければおもしろくもなんともないじゃないですか。って、天一はごく普通のラーメン屋なんですが。

そんな天一ですから、伝説めいた話を幾つか聞いたことがあります。「こってり」の上をゆく「超こってり」なるメニューがあるとか(ネットで調べると、本当にあるそうです)、ラーメン鉢が転げてもスープがこぼれなかったとか(それに近いのを昔、物集女店で食べたことがあります)、スープの作り方を盗もうとして天一の本店のゴミを全部持って帰る輩がいたとか。

天一のラーメンを食べに行く時、ファンは「天一を食べに行く」と言います。間違っても「ラーメンを食べに行く」とは言わない。天一とはチェーン店名ではなく、もはや天一という食べ物を意味しています。そしてあのこってりスープ。「天一のスープは噛める」とは、ある有名な天一ジャンキーが発した名言です。天一の近くに引っ越して、毎晩寝る前に食べていたら、ひと月で7kg太って、医者からドクターストップがかかったというブログの主もいました。 全くどいつもこいつも、愛しいじゃないか!

吉野屋の牛丼も王将のギョーザもそうですが、かような食べ物には、お客を一種の慢性中毒症状に陥らせることを計算している節があります。時々メチャクチャに食べたくなる。そういうサイクルにお客を誘い込んでからが商売の始まりなのでしょう。独身時代が長かった私のような男は、まさに餌食に打ってつけです。

全然天一を褒めていないまま終ってしまいそうですが、私は今も北白川という言葉を見たり聞いたりすると、発作的に天一が食べたくなります。あのラーメン鉢に似た配色のお鉢を見ると、あたかもこってりスープが入っているような錯覚陥ります。本店がまだ野暮ったい店だった頃、真冬に並んで食べたあの味。洗練なんかどうでもいい。デオドラント?どっか余所へ行ってくれ!ああ、こんな文字を並べていると、近場の天一へ駆けつけたくなります。さ、それでは禁断症状が出ないうちに、今日あたり、ボチボチ食べに行くか。


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確か2009年のことだったと記憶する。毎年夏になると気持ちがウズウズして山へ行きたくなる。以前はよく出かけたのものだ。そんな季節に、北海道の大雪山系トムラウシ山と美瑛岳で遭難事故があった。新聞で目にして、背筋が寒くなってくるような記事だった。山岳事故としてはかなり大きいもので、トムラウシ山ではツアー客8人とガイド1人、美瑛岳ではツアー客1人。計10人が同じ日に亡くなった。新聞などで状況を知れば知るほど、山の恐ろしさが蘇ってきたのを憶えている。


私は遭難するような目にあったことはないが、一度南アルプスでこっぴどく高山病にやられたことがある。その時も悪天候で、3000メートル弱の高さの尾根を長時間歩いているうちに、雨と風で体の右半分が冷えてすっかり調子を崩してしまった。頭は痛いしお腹は減るのに食べられない。貧相な山小屋はすし詰め状態で、ずぶ濡れの人が次から次へ入ってきて濡れるわ騒がしいわ、満足に睡眠も取れず終いだった。幸い翌日からは体調が好転し無事行程を乗り切ることができたが…


当時の事故の全容は概ね解明されたが、やっぱりというか、ガイドの責任が追求されたようだ。お客が無理だというのに、避難小屋から強引に暴風雨の中へ出て行ったというツアー客の証言がある。またツアー会社も、夏の山でここまでの寒波や危険性は充分把握していなかったと、会見で述べていた。ガイドも会社も双方に過失が認められたのだったら、この事故はどういう結末を迎えたのだろう。自力で下山した人がいたはずなので、彼らの証言こそが真実になっただろう。


その一方で、山へ登るという意図を持って参加した人には、それぞれに自分の身を守る義務も当然あって、全てをガイドやリーダー任せにはできない。犠牲者は中高年で、それなりにキャリアのある人達だったようだ。それがどうして最悪の結末に導かれたのかを問うと、最後にはガイドの判断に託した自分の判断が間違っていたということになってしまう。それではやりきれないだろう。ガイドや仲間の意見もあるが、自分の体力や体調を自分で把握して伝えることは、山では生き死に直結している。それがこの事故で明らかになったわけか…。


山の天候や気温は激しく変わるから、下準備だけでなくその場の判断も重要になる。私が高山病になった最大の原因は防寒具のお粗末さだった。下山してから恐くなって、すぐにそれなりの用具を買いに走った。ところがそれからというもの、山に登って雨に降られたことがない(あ、2008年の大山は結構降ったか…)。でもそれでいいのだ。足らずを補って次の冒険に備える。怖がる気持ちこそが安全に繋がるのだから。ただこんな怖い事故があってからは、夏山へゆきたい衝動がなかなかやってこない。


事故で犠牲になられた方々に、心から冥福をお祈りいたします。


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