「ほっ」と。キャンペーン
あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

随分と遅い新春の挨拶ですが、今日辺りから仕事始めの方も多いと思い、四日間我慢して待ちました(笑)。年賀状はなんとか昨年内で一区切りをつけましたが、送っていない先さんから、後から後からいただくもので、どうにも終わりが来ません。あと何日かはお付き合いすることになりそうです。
忘年会が六回もあったのに対して、新年会は二つと少ないです。まあ、お酒を嗜むわけでないし、無くても支障は来さないのですが、新年の挨拶がいっぺんに終わるのが楽だったりして。

年末〜お正月とよく食べたので、初ラントレは身体が重かった!ストレッチも身体のあらゆる部分が思ったように伸び縮みしてくれないので難儀しました。日常は始まっても、肉体はなかなか戻ってきてくれないものですね💦

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月末恒例の<つぶやく日々>は、先月と今月の合併号となりました。それでもたった6つとは少ないなあ。どことなく、CMだらけで内容スカスカのテレビ番組のような気がします。実のところ、この6つ以外に個展やライブの情報や音楽ものなどもつぶやいているのですが、<つぶやく日々>に掲載する類いの内容ではない(つまりときどきの情報の早さが重要なケース)と考えて外しています。
たった6つではありますが、この二ヶ月を端的に表わしていると思う。走って、個展をやって、年末に焦って、王中と中島さんの終わりに衝撃を受けて、やっぱり予定が予定通りにいかなくて、それでも時間だけはしっかり過ぎてゆく。私らが生きているのはたぶん、そんな星なんだろう。仕方ない。文句を言わずにf.b.版つぶやきをいってみましょうか。
本年もご愛読をありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いいたします。
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【11月1日】
この13日(日)に、昨年に引き続き第二回岡山マラソンに出る。種目はもちろんフルマラソン!昨日はレース前の最後の追い込みラントレで30kmをなんとかこなしたが、終盤はヨレヨレフラフラだった。こんな有様で本番は大丈夫だろうか…。走った直後にアミノ酸飲料を飲んだので、今朝はさほどしんどくはないが、尿は茶色く濁っていたな。そんな簡単には疲労は抜けないようだ。そういえば夕べ、夢の中でも走っていたしなあ(笑)。


【11月14日】
おはようございます。昨日は第二回岡山マラソンを走ってきました。無事完走です。
しかし、しんどかった~っ。さすが晴れの国岡山です。日中は日照りが強くて、この季節にして日焼けしました。レース中は給水をとってもとってもすぐ汗になって、帰ってきたら身体中の表面が塩まみれでした。
記録は大したことはありませんでしが、やっぱりフルマラソンのアク抜き効果というのは絶大です。身体の中にいてほしくない煮汁のようなものが、すっかり消えた気がします。今朝起きても特別痛いところもなく、喜んでおります。
レースの詳細は明日のブログに書きますね。さ、すっきりしたことだし、今日も作業を気張ろう!


【12月8日】
1月の予定が増えてきたので書き込みたいが、来年の手帳がまだ届かない。考えてみたら、来年というのは今年が終わってから始まるものだが、予定という奴は終ってもいないうちから、どんどん先の日取りを指定して時間をぶん取ってゆく。空白だった毎日に約束事を詰め込んで、手帳を黒く塗り変えてゆく。
予定よ、お前の正体は、毒か焦りか、何なんだ…?


【12月13日】
一日経ったけど、まだ頭があんじょう動きよらへん。
中島さん、俺、こんな終わりのためにこの絵を描いたんとちゃいます。
ほんで、もっといっぱい描きたかったんやで。
あれも描いてへん、これも描いてへん、悔いばっかりやん。
お世話になったぎょうさんのこと、ほんまにありがとうございました。

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【12月18日】
12月前半は泣く泣く忘年会を断り作業に精を出したつもりでしたが、ただのつもりでしかなかったようです。これではやってられませんがな。今朝起きて机の上を見たら、そこは聖地かスラムか飛行場か、乱れに乱れた我が身の置き場所でしたわ。ここからの年内2週間、年賀状という難敵も待っています。師走なるランナーには、毎年先行逃げ切りを許してしまいます。こやつ、なかなかの健脚と見たり!


【12月27日】
初めての街へ行った。電車に乗って1時間半ほどで着く街。駅前の空は広く、通りには人が歩いていない。白紙のような駅前の広場からタクシーに乗って大きな通りへ出た。大手チェーン店ばかりが軒を並べる主要道路沿いは、何の味もしない適当な風景だった。昼過ぎに目的地で用事を済ませて、帰りはバスに乗ることにした。停留所に辿り着くと、ちょうどバスはドアを閉めてさっさと走っていなくなった。待つこと15分。近辺には新しい家が多く、携帯の利用者ばかりが目立つ。バスが来る。一区間が長い。おばあさんが3人乗っている。何も話さない。駅に着いた。電車に乗って帰った。初めて来た街全てが知らない街だとは限らない。

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年が明けたら、私はすぐに56歳になります。そんな年齢だから、毎年のようにやっていることに飽きてしまうこともあります。この時期の年始年末で、何に飽きているかといって、年末にこの一年を振り返ることと、年始に一年の抱負を決めること。このふたつは今まで相当な回数をやってきて、もういい加減飽き飽きして嫌になりました(笑)。

最近は忘年会の季節でもあるので、会話の中で、今年はどんな一年だったかの要約を求められることがありますが、一年の括りで特筆するようなことは、この数年何もなかったと思う。もっと長い時間の中で、緩やかな変化があって、それが後々自分をどのように変えていたのかがわかる、そんな話しだったらいいのにな。

兎にも角にも一年はあまりに短過ぎて、目の前を通り過ぎて行った出来事や、体得できた成果などに気がつかないこともしばしば。12ヶ月がフルスピードで駆けてゆくのがわかっているのに、新年の目標なんておちおち掲げられません。掲げた本人だけが置いてきぼりを食らっている姿が目に見えるようです。

年始年末の区切りは、3年に一回ぐらいで充分。それよりも12月と1月の間を、例えば5月と6月の間を日常の歩幅で跨いでいるように、10月と11月の間を同じ水位で泳いでいるように、無理にテンションを上げ下げないで心静かに過ごしてみたい。こんなことを考えているのは、これからの時間を今まで通りに過ごすと決めると、ときどき退屈に思えて仕方がないからなんです(笑)。

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ツイッターで知った人の中で面白いと思ったのは茂木健一郎氏です。テレビ番組の司会者や脳の研究者としての側面しか知らなかったのですが、日々彼が取り上げる話題を読んでいると、とても機智に富んたバランスの人だとわかってきました。頭が良くて、それでも思い通りにならないことが多くて、しかし中途半端なことでは主張を取り下げたりしない、実に粘りのある人だともわかってきました。時に奇天烈ながら懐がかなり深く、心情的に共感できることが多いです。その教えには埋蔵がまだまだありそうで、氏の発言には興味津々といったところです。

茂木氏が日々ツイッターに書き込んでいる中には、同じことが言い表わし方を変えて何度も出てくることがあります。そのひとつに批評と創造があり、私が素直にうなずいた話題のひとつです。少し抜粋してみたいと思います。

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批評や否定自体を批評したり否定する必要はない。参考になるし、創造のきっかけになることもあるからである。特に、あるべき状態と比べての現状へのダメだしは、それ自体に独自の視点が必要なことも多いし、意義のある営みだと思う。
しかし、批評や否定は、最終的には創造にはおよばない。創造することが持つ、ひとつひとつの努力が積み上がって有機的な肉体へと変化していく、あの充実がない。それは、むしろ、切り刻んだり、つぶしたりすることに似ている。しかし、そもそも肉体がなければ料理もできないのだ。
ツイッターを、RTしたり、コメントしたりして、一種の社会運動のメディアとして使うという機運は、一時期確かにあった。それが意味のないこととは思わないが、このところのその手のツイートには、すっかり辟易した思いがある。そこには、創造のための工数の積み重ねがない。
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あくまでツイッター利用者の傾向について書かれている内容なので、少しニュアンスが違うのですが、私の見解を。

ゼロの状態から何かを生み出す創造という行為は、それを餌にああだこうだというだけの御託とは決して同等ではないです。何もないところから創り上げられたものをむしゃむしゃ食べて、旨いまずいを唱えるなら誰にでも出来ます。しかもそれは何の責任も負っていない行為です。茂木氏がいうところの有機的な肉体を創るに値するだけの意欲や工夫がないとき、その批評は聞くに足らないと思うのです。

それにしても…いったい誰に向かって、こんな大きなことを主張しているんでしょうね、私は。

(*日記No.431 2011年12月12日掲載のリメイクです。)

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12月12日朝早く、中華の名店王中の中島さんが亡くなられました。
悲しい別れです。夕べ挨拶に行ってきましたが、かける言葉も出てきませんでした。
以下がお通夜と本葬の予定です。
親交があった方、王中のお客さんだった方、どうぞ最後の挨拶に行って差し上げて下さい。よろしくお願いいたします。

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中島 庸斗さん通夜・告別式
潮江福祉会館
所在地: 〒661-0976 兵庫県尼崎市潮江1丁目7ー1
http://goo.gl/wjtlkI
喪主 中島三由紀
お通夜 12月14日(水)19:00~
告別式 12月15日(木)10:30~11:30
お花等の受付・問い合わせ
セレモニー優輝
Tel 06-6430-7325
Fax 06-6430-7326
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昨年の6月に王中と中島さんについて、このブログで書いたことがあります。
今日はそれを掲載して、中島さんの御供養にしたいと思います。


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819 <中華料理店は夢を見る(前)>

JR神戸線の立花駅下車、線路沿い南側の道を大阪方面へ向かって8分ほど歩くと、七松線通りの踏切に。そこを右に(南に)20m下ると、広東名菜「王中」があります。手作り感を強く主張している外観は、お世辞にもスカ〜ッとしたセンスとは申しません(笑…すんません、中島さん!)。何やら曲者風、マニアック、わかる人にだけわかる、そんな言葉が浮かんできます。が、それはあくまで見た目だけの話し。気にせず扉を開けて中へ入ると、実に居心地のよい店内が貴方を迎えてくれます。

王中はこの6月10日でめでたく開店20周年を迎えた中華の名店です。このところ連日お祝いの酒盛りが続くこの中華料理店へ、私も先日お邪魔をしました。いや~、本当に楽しかった!貸し切りの宴会だったとはいえ、普通にお酒を飲むだけ、料理を味わうだけの人などほとんどいないのです。ギターにベース、簡易ドラムスに、パーカッション、アコーディオン(の原型の楽器)などを持参した人が、当たり前のように楽器を演奏し、唄とくれば、ジャンルも全く関係なしで、店内のお客さんが次から次へと持ち歌を唄う。もしもいちげんさんが入ってきたら、何の店かと思っただろうな(笑)。

実はこんな様は、王中ではそう珍しいことではなくて、夜になるとギター片手にいい気持ちで唄っている人が結構います。日によっては、お客さんのミュージシャン率が異様に高いこともあります。そのわけは、店主の中島庸斗さんからしてミュージシャンだからです。その昔、ナッツベリーファームという人気バンドのフロントマンとして鳴らした方で、私がお邪魔した日も、かつてのメンバーと共に数曲を演奏してくれました。なんでも、唄いたくて仕方がなかったとか!

このブログを読まれて興味を持たれた方、悪いことは申しません、迷わず王中を訪れて下さい。あ、れっきとした中華料理店なので、ちゃんと注文をお願いしますよ!ライブハウスではないので(笑)。と、ここまでが王中のベタな紹介です。次回は私が感じるところの、王中の真なる魅力について、熱く語りたいと思います。もうすでに熱いかもしれませんね。

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820 <中華料理店は夢を見る(後)>

1991年3月から1997年4月までの6年間を、私は尼崎市で暮らしました。その間には例に漏れず1995年1月の阪神淡路大震災にも遭い、当時住んでいたボロ屋は見事に大破しました。今もその頃の暮らしを、懐かしく思い出すことがあります。私が住んでいた塚口から王中のある立花までは、距離にして約3kmほど、自転車で20分もあれば通えるところにありました。当時の王中は、今の場所から3軒ほど北にあって、厨房周りのカウンター席がメインでした。まだネットが充分に流通していない頃に、3kmも離れたこのお店を何故知っていたかというと、王中のすぐ近くに、知る人ぞ知るアーティストたちの共同アトリエがあったからです。

一度そのアトリエを覗きに行った際に、そのまま王中へ連れて行ってもらいました。その頃私は、会社に通いながら、夜や休日を絵に費やす生活をしていました。正直に言うと、創作活動という意味に置いては、かなり狭い人付き合いしかなかった。一線で活動する創り手たちと同席して話しを聞くだけで、私の枯渇した心にどれほどの潤いがあったことか。そんな作家たちの身勝手な会話を、厨房の中からニコニコしながら聞いていたのが、店主の中島さんでした。ああ、ここはいいお店だなあと、素直に思えました。

その後、音楽バンドの活動をしている友人繋がりで、再び王中の名前が耳に入ってきました。彼らは生まれも育ちも尼崎、まさにネイティブのアマガサキンチューで、十代の頃から音楽活動をやってきた人たちでした。裏日本の寂れた港街から出てきた根無し草のような私とは全く違う、地元と付かず離れずの人間関係を、ずっと継続してきた人たちでした。そんな彼らから名前の出るお店が王中だったのです。同じ地元で音楽活動をし、人生の先輩として少し先を生きている中島さんを、彼らはどこか憧れを持って見ている気配が感じられたものです。まるで、野球部の中学生が、甲子園に出ている高校生を見るような眼差しでした。

2008年の秋に、とあるライブの打ち上げに加えてもらって、私は王中にいました。その日も例の如く、夜な夜な宴会が繰り広げられていたわけです。そのとき何かの話題の拍子で、厨房の中島さんから「俺も絵に描いてほしい」という言葉が飛び出しました。そのことが私の耳にずっと残っていました。実は以前王中のH.P.に、お店の絵が掲載されていました。誰が描いたものかは知らなかったですが、とてもいい絵でした。それを見て「あ、俺も描きたい」と思っていたのです。もう10年以上も前の話しです。意は合致した!描くぞ、そう思ってから更に何年も経ちました。

結局絵が出来上ったのは、2014年の6月。随分遅くなりましたが、中島さんと、奥さんのみゆきさんは、たいそう喜んでくださいました。いろんな創り手がいた、あの共同アトリエはもう今はありません。私が一人で悶々と絵を描いていた塚口のボロ屋は、駐車場に変わりました。尼崎でバンド活動をしていた若手は今や50代後半、いろんなところへ散らばってゆきました。しかし王中へ行けば、全ては元のまま戻ってくる気がするのです。王中の席につくと、知らない過去の話しも、ついこのあいだの出来事のように共有されます。お客さんたちは、広東料理と一緒に、自分の見た夢を注文するのです。だから、出来あがった料理は、あんなに美味しいのです。

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