10年前ぐらいから顕著になった人付き合いの傾向があって、同年齢~年上の女性の友人が急に増え始めました。男である私が40代後半に差し掛かっておばさん化してきたことと、友人になった相手の女性もまたその年齢付近でおっさん化してきたことで、性別の垣根がそれまでの年齢時に比べて曖昧模糊と化したことがその理由ではないでしょうか。これはあくまで私の持論であって何の裏付けもないですが。(信ずるに値しないかといえば、はっきりそう言うには少々もったいない気がしています。)

男女の性別を曲線で表わすとしたら、縦軸は性別の差の大きさ、横軸は年齢。男女の二本の曲線は、ある年齢で大きく離れその前後で緩やかに近づいてゆく。曲線の始まりは赤ん坊で、終わりは老人。この二つの地点は限りなく男女は近い。10代半ばから40歳ぐらいまでは、曲線は大きく離れている。人生が後半に入ってきたころ、二本の曲線は近づき始める。生き物として大きな違いを意識していた男女は、次第に老化という共通認識の元で、お互いの距離を縮め出すというのが私の見立てです。

といっても、これは一般論でも何でも無く、単なる思いつき。ただそれをわたしは信じているのです。おっさんはおばさん化することで、おばさんはおっさん化することで、両者の無駄な性別の意識は徐々に剥ぎ取られ、無駄ではない性別の意識だけは根底にしっかり残して、女は男に男は女に近づいてゆく。この10年ほどの間に、特に創作に関して、理解のある女性の友人が何人も出現してくれたことは、私にとっては大きなカルチャーショックでした。それで簡単に相手を好きになってしまうのです(笑)。男性相手だと、なかなかそうはならないんだよなあ。

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冬らしい気候になって、じんわりうれしいです。毎年書いていますが、冬は私が一年で最も好きな季節です。最近は夏が迷惑なぐらいに長いこともあって、冬のありがたみがより感じられます。寒いのが何より好きというわけではないのですが、気持ちがいいのですよ。温度が低いと気が引き締まるし、なんといっても湿度が低いから暮らし易い。夏でも湿度がもっと低いと印象も変わるでしょうが、極東の湿潤地帯では望むべくも無いです。このまま6月ぐらいまで冬であってほしいと、これまた毎年同じことを願っている私です。
今月のf.b.版つぶやきです。

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【1月4日】
新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
昨日年末から数えて五日振りにパソコンを叩き起こしたら、モニターの中ではもう通常営業が普通に始まっていました。
こんなのは毎年のことなので別段驚きはしませんよ。しかしネットの世界で、全ての人が年末年始も頻繁に連絡を取り合い、片時も止まることなく動いているのだと思うと、わずか五日間とはいえ、この情報荷重社会から離れて暮らしたことは、ほんの少しの息抜きになったような気がするのでした。
自分がついていけないぐらいの量とスピードの情報にアップアップしながら、今年も暮らすことになるのだと思います。もし端で見かけて溺れそうになっていたら…そぉっと放っておいてください(笑)。


【1月11日】
世間が三連休だった7、8、9日はよく食べたものだった。それで9日の夜に体重を測ったら、私としては結構な目方だった。そんなことがあったせいか、昨日の10日は朝から何度もトイレへ出入りした。座ったら出る、この繰り返し。実物を見ないでもわかるぐらい、大量の便が輩出された模様。やや脱力感を伴いながらも、果敢に午後のラントレに出ると、身体が怖いぐらいに軽い。まるで重力が弱まったかのようだ。寒空の下、調子に乗って100分走を決行して帰宅。即体重計に乗ると前夜から1.7kgも減っていた…。ラントレで汗はかいたが、冬場なので量など知れたものだろう。食事もいつも通りに摂取している。ということはこれって…。
明けた今日11日。前日のトイレでの大判振る舞いと、ラントレによる冷え腹か、朝から完全に下痢モード全開。身体中が弛緩して、活動全般にやる気現れず。
出すべきときは出す。しかしその後のことも考えた方がいいようだ。


【1月13日】
昨日今日と、f.b.のタイムラインやメッセージで、たくさんのお祝いのお言葉をいただき、どうもありがとうございます。
私はみなさんのお誕生日にお祝いのメールを贈っていない者なので、とても気が引けています。すみません。
こんなガサツな野郎ですが、今後ともどうぞ隅に置いてやって下さい。みなさんに返信を書いているとき、f.b.をやっていてよかったなあと思える瞬間が何度もありました。


【1月16日】
昨日の朝、床で目が覚めてすぐに予感した。カーテンの向こうは雪景色だ!
子どもの頃に舞鶴で過ごした長い冬。外を見ないでも、雪が積もっているかいないかが、いつもわかったものだ。
故郷を離れてもう40年近く経つが、今も冬の朝の雪化粧を寝床で知るなんて。気温、外の明るさ、音、そして気配。目覚めと共に様々な知覚をして、身体に宿った結論なんだろうな。
さあ、待ちに待った冬将軍の到来だ!


【1月20日】
本日は夕刻から外出予定なりで、目下せっせと準備中。今日の北摂地方は夜半からひと雨(もしくはひと雪)もありうる模様。ただ寒いだけならまだいいが、これが冬の雨となると途端に恐い。昔自転車通勤の帰り道で、極寒の真夜中に集中豪雨に遭った。逃げ場も無く全身が凍った。数年前に真冬のフルマラソンで、路面で4時間ずっと冷雨を浴び続けたレースでは、ゴールした後に震えが止まらなかった。冬の雨は、降る前から身の危険を感じる。恐ろしい奴だ。


【1月28日】
夕べは中島さんの四十九日の前日ということで王中へ。お店の中はフルパンの状態でした。みんな中島さんと三由紀さんのファンであり王中難民なので、痛いぐらい気持ちがよくわかりました。
三由紀さんにいろいろお話を聞かせてもらって、腑に落ちるところがあったり、それでもわからないこともあったりで、それが本当のところです。
お店のトイレへいったとき、便器と紙以外何もない真っ白な壁になっているのを見て、中島さんが本当にいなくなったんだとやっと理解できましたよ。トイレでわかったなんて、中島さんはなんと言うだろうな。


【1月30日】
土曜日に野暮用で神戸へ繰り出した。お昼とはいえない遅い時間になって、以前から気になっていたお店へ。ランチと称して強力なハンバーガーのセットを食す。量は多いわ、味は濃いわ、ルックス強烈だわ、どう見ても私なんかは商品の対象年齢外に思えたが、お腹も減っていたし軽~く完食。で、食後の感想。「なんぼでもかかって来んかい!もう当分の間、こういう食べ物は結構ですわ💦   

 
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わかることと、わかった気になること。この二つはニュアンスからして大きく異なっています。わかるということは体験して咀嚼して消化して解釈して、その上で理解しているから他の人にも説明できる、そんなイメージです。わかった気になるということは知識はあっても(ない場合も!)体験や咀嚼や消化や解釈が欠落しているから、説明を求められた時にネット上の文言をそのまま並べてしまい「あ、この人、わかっていないんだな」と相手に悟られてしまう、そういう有様でしょうか。

自分自身に照らし合わせてみて、今私はわかっている気になっているが、その実さっぱりわかっていないな、そう感じることがあります。そんなとき話し相手は「お前は今、わかっていないだろう?」などとはまず言いません。しかし私がわかっていないことは、しっかり悟られています。私がわかっていないことを承知の上で、便宜上わかっているものとして扱っている。一方の私はわかっていないことを悟られているのを知りながら、今更わかっていないとも言い出せず、わかった気になることでその場をやり過ごしている。これってお互いはお互いの事をわかっていることになるんだろうか?ならないんだろうか?

こういうなんとも不条理なケースが身の回りに多くあるのを感じます。言葉や態度に出して他者との相互理解を深めるのはいいけれど、ひとつひとつをきっちり馬鹿丁寧にやっていられない世の中でもあります。しかし机の上で絵を描いていて、ふと思い出すことがあるのです。あの日あのとき、私はわかっていなかったな。それを見ていたあの人は、何も言わなかった。私を見逃してくれたのか、それとも見捨てたのか、どっちだったのだろうかと。

(*日記No.445 2012年1月20日掲載のリメイクです。)


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昨年の夏にGALLER北野坂でお会いしたのが最後になってしまいました。神戸に住むポトゥア(インド式巻物紙芝居師)の東野健一さんが、この年始の6日にガンで亡くなられました。享受70歳でした。

確かあれはちょうど一年前のことだったと思う。東野さんからいつものように個展の案内状をいただいたのです。ああ、お元気に活動をされていらっしゃるんだなと、封を開ける前に勝手に思っていたのとは正反対の文面が入っていました。

「胃がんの手術のため入院をし、元気に退院できることと思っていましたが 結果としては残りの時間は6ヶ月と言う診断になり それはそれですっきりしたのですが みなさまには完全復帰を願っていただいたのですが!!人生最速のコースになってしまいました。」東野さんはそれから一年を生き、あの野太く大きな笑い声で、周囲の人々を魅了していたことと思います。

私は東野さんについて多くを語れるほどの付き合いはありません。30年近く前に初めてお会いしてから何度か、作品や舞台や言葉や態度で教わったと思っている者です。随分前ですが秋野亥左牟さんの個展を見に行った折に、ギャラリー番を東野さんがされていたことがあったのです。

そのときに二人で亥左牟さんの魅力を話し合ったことが、今も思い出されます。そしてギャラリーでお客さんを迎える東野さんの悠然とした構え。なんと素晴らしい接客姿勢だろうと感激をしたことがありました。今自分が個展をする時に、いつも真っ先に頭の中に浮かぶ理想像です。

東野さんのある個展に伺った際には、絵とポトゥアの両立について伺ったこともありました。元は絵描きの道に邁進するつもりで会社員を辞めたんだ。ポトゥアになるなんて考えもしなかったと、語っておられました。また作品の値付けについても独自の考えを持っておられ、「君の作品は値が安すぎる」と笑ってシビアに指摘をされたことがありました。

たった一回だけですが、同じ展覧会でご一緒させてもらったことがあります。そのときは亥左牟さんも参加されて、二人の姿を後ろから黙って拝見するだけでも、私にとっては大きな喜びでした。あの二人が話したり、絵を描いたりするのを見るなんて、何かしら不思議な光景でした。まだあのときは揃って元気だったのです。

昨年の夏にGALLER北野坂を訪れたとき、東野さんは床に絨毯を敷いて寝たままで、お客さんと話されていました。たぶん体が相当にしんどかったのです。ほんの少しだけ声をかけました。目を閉じて、それでもよく響く声で返してくれました。そして眠ったのです。

ポトゥアであることと、作家であることの狭間で、東野さんは表現者としての30年間を生きたのだと思う。そして自分が演じた宇宙へ、一人で帰っていかれたのでしょう。あの魅力的な笑顔を残して。

随分遅くなりました。ご冥福をお祈りいたします。

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今日は朝から、大阪市内のとある小学校で絵本の授業をしてきました。初めて会う人たちばかりでしたが、最高でした!学校で多くの子どもを相手に話すのは、正直にいって疲れるところもあるのですが、彼らの素晴らしいところは、疲労を倍のエネルギーにして返してくれることです。強い日差しの公園にいたような、頭がクラクラするほどの心地よさを味わっています。

授業といっても、子どもたちの前で絵本を読んで、感想を聞くというものです。読む絵本というのは、自分が手がけたものを選んで持って行ったので、反応が楽しみでもあり恐くもありました。2時間目〜4時間目まで、一コマつづ学年を変えて授業をしたのですが、目の前で真剣に画面を見入られると不安になります。楽しんでくれているんだろうか、わかってくれているんだろうかと。

数年前まで、年に何度か声をかけていただいて小学校へ出向いていました。時にはワークショップ的な授業をしたり、時には絵本を読んだり、時には話しだけだったり。そんな活動を10年ほど続けましたが、ある時期から、自分が発する子どもたちへのメッセージが古くさいと感じるようになり、また作業の合間で時間を見つけることも難しくなり、意図して徐々に学校から遠ざかりました。

今回は久しぶりだったのと、子どもたちの生真面目でうぶな反応に、心から楽しい思いをさせてもらいました。心配だった絵本の感想も、心が震えるぐらいありがたい言葉をいただきました。近い距離で絵本を見ようと、すぐ手前まで来る子の、真新しい目。あんなに躍動的で美しい瞳の前で、自分の描いた絵本を読めるなんて、もの作り冥利に尽きます。

この世にやってきて、まだ間もない生き物たち。笑顔の裏側に、心配事や不安を抱えているのが、透けて見えてきそう。運動場へ向かって廊下をひた走る後ろ姿は、昨日の私。校門の向こうで元気に手を振ってくれた彼らに、私ができることは何だろうか。

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今日みんなと一緒にいただいた給食。美味しかった〜っ!





















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