私はどういうわけか電動の髭剃りが昔から苦手で、未だに手動のもので、2〜3日に一回ぐらいの割合で髭を剃っている。今まで4枚刃の髭剃りを使っていたのだが、4枚刃ぐらいになるとヘッドがごついので、小回りが利きにくい。確かに安全でいいのだが、使い始めたときから細かなところを剃るのには不向きな道具だと思っていた。それでも我慢して使ってきたのは、髭剃り本体自体がそんなに安くなく、替え刃も結構いい値段で、せっかく買ったのだから、という思いでのみ使っていた。本心を言うと「4枚刃なんて必要なんか?誰も刃数を増やしてくれて頼んでないで。企業が自社製品のバージョンアップを勝手に計って、値段も好きなようにアップさせて、使い勝手の悪い道具を消費者に無理強いさせてるだけなんちゃうんか。わしゃ、昔の簡素な2枚刃ぐらいで十分じゃ。」ついでに書くと、最近の髭剃りのデザインは悪趣味に走っていると感じる。地球防衛軍みたいな、合体メカと勘違いする大仰さ。そのうちギーガー風のものが出てくる気がする。とにかく、4枚刃はどうも好きになれない私であった。


先日のこと。さ、髭を剃ろう。あ、けどなあ、もうそろそろ刃を替えないと、剃り味が以前から悪くなっているよなあ。そう思って替え刃を探したが、どこにもない。全部使ってしまったようだ。おまけに刃を本体から外そうとすると、取り外しのボタンの感触がおかしい。どうも使いすぎて馬鹿になってしまったようで、刃が外れない。う〜ん、これは、きっと道具を変えろという天の声だ。だいたい、元から気に入らなかった髭剃りだ。何の未練もない。そう思って近所のドラッグストアへ行って探してみると、あの懐かしい2枚刃のシンプルな髭剃りがあるじゃないか。値段もお手頃で。替え刃も4枚刃と比べたら、随分安い。これこれ、これやで。喜んで買い求めて早速風呂場で使ってみた。お、肌と刃が近いやないか。剃っている実感がある。主流の商品から逆行するのはほんまに気持ちがええ。こういうの、ほかの分野でも普通にあってほしい。そんなことを考えて一通り剃って、顔を洗って鏡を見た。


驚いた。顎の周辺がキレまくりで、血だらけになっている。あ、あれ…なんじゃ、これは?あ、4枚刃の感触で2枚刃の髭剃りを動かしていた。あかんやん!気づくのが遅いというか、それぐらい剃る前に感じろや、俺!知らないうちに技術の進歩に甘えていたのだ。それを知らずに自分で勝手にヴァージョンダウンの品に戻っても、そうは問屋が卸さない。簡単に4枚刃から2枚刃に戻っれるほど、髭剃り業界の商品は甘くはなかった。顔が痛いなぁ。風呂上がりにスキンローションを塗ったら、もっと痛い。2枚刃、恐ろしいです。どの面下げて4枚刃に戻ろかな、、、


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当ブログには書籍のお仕事については、それなりに情報を掲載していますが、他はあまり載っけていません。(そもそも書籍以外では、そんなにたくさんのお仕事をやっているわけでもないですし💦)まとまった折にご紹介できればと思っていたのですが、お仕事でお世話になったデザイナーさんから、いいタイミングで宅急便が届きました。某画材メーカーさんで4種類のサインペンのパッケージイラストを担当させていただいたのが昨年、ようやくこの夏に商品が完成したというわけです。

画材が決まっていて(サインペン)、描く内容は自由というのは、実に面白い条件でした。書籍でかような画材の縛りはまずありません。なのに描いていて本当に楽しかったのは、なんでもありではなく、決まった条件の中でいかにイマジネーションを遊ばせられるかが大きな比重を占めていたからではないでしょうか。今までもサインペンはそれなりに持っていたのですが、お仕事で使うケースはあまりなくて(補足画材としての使用が多い)、サインペンだけで完結する今回の仕事は、自分の絵と画材との相性を再考するいい機会になりました。

画像の商品がそれなのですが、海外用商品の為、残念ながら日本では手に取って見ることはできないようです。東南アジアや中東へいかれるご予定の方は、どうぞ現地の文具画材店を探してみてくださいませ。

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新刊絵本『ミカちゃんのひだりて』特集も最終回を迎えました。絵本を作るのには長い時間がかかりますが、ブログで書くとあっという間に終わってしまいます。逆だといいのに(笑)。今回は『ミカちゃんのひだりて』に関わった二人の女性について書こうと思います。なにせ初めて女の子を主人公に据えた作品でしたから、性別で制作環境を眺めることも多かったです。編集者のIさん、今回もブックデザインをお願いしたデザイン事務所ハイジーさんの横山さん、ともに男性。今までもほとんど男社会のような、むさ苦し〜いスタッフの中で仕事をすることが多かったですが、『ミカちゃんのひだりて』では作品の性質上、できればどこかで女性が関わってほしいものだなあと内心望んでいました。その心の声が聞こえたのか、ハイジーさんから平野さんという女性デザイナーが加わってくれることになりました。


ハイジーさんとはおつきあいが長く、これまで何人かの社員さんと知り合う機会がありました。平野さんは確か二人目の女性社員さんでした。最初にお会いしたときから、しっかりしている人だなあと思っていました。自分を保っているというか、外的環境にそう簡単に崩されないようにお見受けました。自分自身に対するコントロールが効いている。いい年をして、まともに路面走行できていない私から見たら、こういう人は実に羨ましい。私の見立て通り、一年二年と時間が経つごとに彼女の安定感は増して、今やチーム・ハイジーにとって不可欠な存在です。そして今回『ミカちゃんのひだりて』のブックデザインのスタッフに参加してくれると知って、私は嬉しかった。やっぱりね。いつかこうなると思っていた。ほら、私、人を見る目があるから(笑)。


具体的に横山さんと平野さんが、一冊の中でどこをどのように仕事分けされたのかは、私にはわかりません。しかし大事なのは、心持ちだと思う。少なくとも一人の女性読者のフィルターは確保されていたのです。私はどこかで女性視点に対する不安感を抱えながら、作業を進めていたのかもしれません。男である私の感性で進めてきたこの作品の締めに、女性が控えていると思っただけで、何かしら安心感がありました。そのことは大きな意味があったと感じます。絵本の奥付けに平野さんの名前を見つけたら、そんな風に思ってほしいです。平野さん、どうもありがとうございました。感謝いたします。またご一緒させてください。そして平野さんをキャスティングしてくださった横山さん、グッジョブ!今回も呆れながら仕事をしていただき(笑)、どうもありがとうございました。次回を楽しみにしております。


もう一人の女性は、ジョニ・ミッチェル。ジョニの1976年の『逃避行』は、『ミカちゃんのひだりて』の制作中のサントラでした。来る日も来る日も聴き惚れて、CDプレーヤから降りることはありませんでした。私は二十歳の頃にジョニと出会いました。すぐに大好きなって、なんというか(恥ずかしいですが)恋をしました。最初に好きなったアルバムが『逃避行』でした。全9曲が何かからの逃避についての歌であり、男女の恋愛についてもジョニ得意の言葉数の多い歌詞で唄われています。曲ごとに用意されている場面設定、情景描写、内面の揺らぎ、諦観などなど、どれをとってもジョニでしか作り出せない表現物だと感心してしまいます。発売されてから、もう四十年以上経つというのに。


このアルバムを語るときに必ず持ち出されるのは、ジャコ・パストリアスのベースプレイです。確かにジョニとジャコの取っ組み合いは創造的で素晴らしい。新種の結晶ができあがったような化学反応を起こしています。「コヨーテ」「逃避行」「旅はなぐさめ」など、主要4曲でジャコが起用されています。残り5曲で、2曲がマックス・ベネット、I曲がチャック・ドマニコ、そしてベースのない曲が2曲。それぞれにジョニにとっての必然性がある気がします。マックス・ベネットがジョニの唄を意識して弾く「シャロンへの歌」は、今回の制作中もっとも心に響いた曲でした。シャロンとの会話(電話?)でお互いの立場が明らかになってゆく様が、まるでチャック・ベリーの曲のようにリズミカルな歌詞と唄で綴られてゆくのです。背後にあるのは主人公たるジョニの冷ややかな孤独と創作の苦悩でしょうか。


『ミカちゃんのひだりて』にかけた時間を『逃避行』ととも過ごしたのは、偶然ではないような気がします。つまり私は若い頃、ジョニに憧れながらも、到底理解しがたい女性観を彼女に見とっていました。ジョニの曲の中にある非男性的な心情を、成熟した女の感情と思慮深さだと決めつけて。時間が経ち、回り回って女の子のある衝動をきっかけにした対人理解の物語を書こうと思いついたとき、心の何処かで、世間の女性像に対するジョニ・ミッチェルの異議申し立て(永遠に理解できないであろう!)を探していました。他を意識しても、揺るがず、貫き通す人かもしれない彼女は、その一方で傷つきやすく脆い森林でした。ジョニもまた、ミカちゃんだったのかもしれない。


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なんとかっこいい!
才女の立ち姿に心が踊ったのは、二十歳のひどく退屈な春でした。

































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商業絵本を作って出版するとき、作者に並走してくれるランナーである編集者さんが大事なのは云うまでもありません。作り手としたら、放っておくところは放っておいてほしいし、議論が必要なところはしっかり議論してほしい。そのへんを見極めて、気持ちよく絵本を作らせて欲しい。こんな我が勝手な私のようなものと仕事をするのは、結構大変だと思う。それで、なんとかうまくゆくように、いつも作業開始の折にお互いが持っている意識を持ち寄って、共有したいと思っています。編集者と作家、職業は違うわけで、仕事内容や立場も違う。しかしいい本を作りたいという気持ち、それは一緒ではないでしょうか。


今回の編集者さんであるIさんとも、最初にその話をして、なんでも言ってほしい、なおすべきものはなおします、突っぱねるべきものは突っぱねますから。そう言ってスタートしました。そうしたら、Iさんは本当に多くのことを言ってこられました。中にはここまで言わなくても…と感じる項目もありました!が、そうしろと言ったのは私ですし、途中で離脱するのも見苦しいので、考えて考えて折々の解を探しました。注ぎ込んだエネルギーの多さでは、これまで作った自作絵本の中でも一番じゃないだろうかと思えます。それぐらい、Iさんからの要求に対抗するパワーは必要でした。全く、一度口から出した言葉は、二度と元には戻らないものですね(笑)。


『ミカちゃんのひだりて』をよいものにする。同じ目的を持って二人で会って、ああだこうだと共同作業をしているうちに(3時間ぐらいすぐに過ぎてゆく!)、作品は最初のものから徐々に変化してゆきました。私が提供した素材を、Iさんの目線で再度考え直す作業の連続でした。それは決して嫌なことではなく、私の単独制作時に抜け落ちた作品の栄養素を拾い集めることを意味していました。私は一人だと、ザルでろ過したような状態で、絵本の成分がほとんど残っていないようなところがあって、もっと精緻なフィルターで濾す必要がありました。その意味で、Iさんははまり役でした。まさしく、お互いにいい絵本を作ろうとしてやっていたと言い切れます。


Iさんは若い編集者さんで、ご自身の絵本作りに達観をしておられないからこそ、石橋を叩いて少しずつ渡る人だとお見受けます。その真摯な取り組みと直感は、信頼できるものでした。おかげでとてもいい勉強になりました。不完全極まりない作り手である私が作品を成就するためには、自分の過信ではなく、Iさんのフィルターを通過することでしか見えてこなかった道がありましたから。結果的に偶然とはいえ、なおすべきところはなおし、突っぱねるべきところは突っぱねて、『ミカちゃんのひだりて』の制作は終点までやってきました。口には出しませんでしたが、私、かなりフラフラでした(笑)。


無事発刊された『ミカちゃんのひだりて』のカバー表紙を見ていると、うちの近くにある老舗の喫茶店で、ダミー本を真ん中において、いい年をした男二人が、熱量の多いやり取りをしている絵が浮かんできますよ。絵本を作るのは難しいけれど、めちゃくちゃに楽しいと感じられた時間。あれは本当に素晴らしいひとときでした。またあの店のあの席で、絵本について何時間も議論できる日がくることを願っております。Iさん、感謝いたします。どうもありがとうございました。私も簡単にへばらないように、しぶとく生きて行きます♪


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件の喫茶店。奥が禁煙スペースになっている。
お決まりのモーニングで、朝一番から正午まで。
    店主さんが知り合いなので、気兼ねなくお構いなしの長居でした💦    





















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『ミカちゃんのひだりて』という絵本を作ろうと思ったきっかけは何だったのだろう。何か大きな出来事とか、印象に残る言葉や景色などがあったか?と言われたらちょっと考えてしまいますが、ある居心地の悪さに心当たりがあって、それが消えずに残っていました。まるで海に浮かんだプラスチックのように、私の意識の空間を何の意図もなく浮遊していました。複数の細かなパーツが散らばったり集まったりして、まとまりを欠いていました。

他の多くの人たちと同じようにはやりたくない自分がいる。それは私が子どもの頃から絶えず感じていた不思議の一つでした。ある人はそのことをわがままと言って眉をひそめたり、ある人は離れた場所で静かに冷めて見ていたりしたわけです。成人になってからも、知らぬ間に団体行動の線路から外れてしまことがあり、それは57歳になった今でも頻繁に現れます。決して私が変わり者なのではなく、「何でもかんでもみんなと一緒」だと、居心地の悪さを感じてしまうのです。

この心象について考えていたとき、胸のあたりがぼんやりと温かくなる瞬間がありました。もう四年ほど前のことです。それは物語が背後に潜んでいることを感じた証であって、これまで何度も体験してきた体感現象です。これがあると本当に作品になってゆくのだから、単なる体温知覚とはいえ、馬鹿にならないのです(笑)。かくして、のそりのそりと、作業は始まりました。

とはいっても自分の個人的な心的印象だけでは絵本にはなりそうにもないので、もっと一般的な、誰もが感じるであろう、他者と自分との違いに対する違和感にして描いてみようと思いました。主人公はいつものような既視感のある男の子ではなく、私が今まで取り上げて来なかった女の子にして、物語はこれまた私にとってよくわからない別な女の子が、関西弁独白形式で進行してゆく設定にしました。私としてはかなりの冒険!失敗するかもしれないし、うまく滑り出しても不安がなかなか消えないだろうなと予想していました。

作中の主人公ミカちゃんも、語り手のユリちゃんも、明確にモデルになった女性がいます。彼女たちの今の姿や存在、個性を遡って、彼女の子供時代を想像してみました。だからモデルとはいっても、素材として使わせてもらったという感じです。それでも、私の意のままに(時には意に反して…笑)自由に動いてくれた二人の女の子は、やっぱり実在の人物なくしてはやって来なかったでしょう。二人ともそれだけの強い個性がある人たちなのです。

大まかなラフができあがり、それを幸運にもひかりのくにの編集者さんが気に入ってくださり、出版に向けた作業が始まりました。各駅停車のような速度で、ゆっくりゆっくり言葉や場面が現れては消えてゆきました。私は絵本を作るのが好きなので、ああでもないこうでもないと迷う過程はさほど苦にはならないです。むしろ何かを作る味わいは、その時々の混沌や右往左往にこそあると思っています。

ある夜にネーム作りの作業をしていて、こんなふうに思った事がありました。もし私が周囲にいる多くの人たちの顔色を見て、付かず離れず歩調を合わせて生きてゆく事に満足できるタイプの人間だったら、おそらく絵本を描くような仕事には就いていなかっただろうな、と。だとしたら、社会的動物としての私になにがしかの同化を強制してきた環境が、今私に絵本を作らせているのではないでしょうか。このような被害者的な発想は多かれ少なかれ、どの人の心の裏庭にも住み着いているのではないでしょうか。

個が集団の中で浮き上がってしまうことはザラにあります。そのことを強く意識しなくても、悩んだりしなくても、私らはただぼんやりと生きて行ける。問題は居心地がいいのかどうか、それが大事なのだと思います。『ミカちゃんのひだりて』に書かれている心象は私自身のことであり、読者自身のことであり、あらゆる社会で役割を担って生きざるを得ない生き物のことです。決して特定の子どもや女の子だけにある、特殊な境遇や時間や局面ではないです。

絵本の読み取りは様々で、時に作者自身が思いもしないような接し方をする読者に出会うこともあります。そこに作者の想いなど介在する余地はないのです。世に出ていった作品は、全て自分の足で歩いてゆくものです。『ミカちゃんのひだりて』はどんなふうに読まれるんだろうか。私にはまたひとつ、楽しみが増えたのですね。

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最も初期の表1ラフ。

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第二稿での表1ラフ。キャラクターの細かいところに変化が。

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三稿。髪型等、ここでほぼ出揃った感じ。

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なのに四稿ではガラリと変わり、、、

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結局最後はこうなりました(笑)。


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