201 <音楽えかきむし〜ローリング・ストーンズは転がらない(上)>
中学生や高校生の頃、洋楽のスキャンダルな話題というと、5割ぐらいはストーンズと相場が決まっていたような気がします。色恋沙汰やドラッグ、メンバー間の不和。こんなのはどこにでもあることなのに、なぜかストーンズはそれを繰り返しても売りになっていました。メディアもファンも飽きがこなかったのです。どんな出来事が起きても、ビジネス面でやり手な彼らの活動自体がそうは揺らぐことはなかった。そんなことを全く知らなかったにも拘らず、私はどこかで感じていたのだと思います。ストーンズって、やらせだと。
芸事は概ねやらせを極めてゆくものであって、そうしなければ何十年も興業が成り立ません。しかし田舎に住む十代の小僧にとって、ストーンズの手慣れた芸能界波乗りテクニックは、パチンコ店の新装開店広告と同じぐらいに嘘っぽく思えたのです。レイ・デイヴィスのような隠しようもない厭世観や、ピート・タウンゼントがオピニオンを発するときの切れかかった真剣さなどは、ミック・ジャガーにもキース・リチャーズにも望むべくもなかった。十代の私にとって、彼らはどうやっても転がらない石でした。どこか抜け目のない、芸達者な大人として映っていました。