225 <野次争論:内閣支持率という数字は支持できない>
私は内閣支持率なんかどうでもいい数字だと思う。そのどこに、リアルな国民の心情が込められているのだろう?有権者のニーズは千差万別で、全ての人に都合良く政治家が差配できると考えている方がおかしい。ということは、その時々の内閣総理大臣に対して、賛成論者と反対論者は必ず存在するわけである。なのに、まいどまいど内閣発足から数週間で揚げ足を取るように、支持率低下を盾にしてこれ見よがしに政局不安を煽るマスメディア。呼応するように迷惑顔でインタビューに応じる有権者。もういい加減飽きた。安倍、福田、麻生、鳩山と短命内閣をこしらえては潰しきたのは、人材難に喘ぐ政権政党かもしれないが、支持率をこれみよがしに国民に提示して、結果的に政治離れや厭世指向しか導き出せないメディアにも、多大な責任があると思う。最小不幸社会などというぶきっちょな言い回しは感心しないが、今国として負うべき債務を充分に説明しようにも、主要メディアが矢継ぎ早の横槍を次から次へと入れては邪魔をし、首相の言葉を国民に届ける役割を拒んでいるとさえ感じる。それを知って知らずか、都合のいい情報だけに反応して一喜一憂する国民の参政意識の低さたるや、もう嘆かわしい限りである。有権者の政治への関心の低さが、この短命内閣の連鎖を生んでいると云いたい。幾つになっても政治音痴なままで、気がつけば選挙にも行かなくなってしまった大人たちにとって、一番分かり易いのが内閣支持率なのだ。◯◯ちゃんはクラスの中でどれだけ好かれなくなったか、△△さんは会社でどれだけ嫌われ始めたか。そんな風評以下の数字、ただの嫌がらせ報告のような数字を重宝する人間が多い間は、政治家の声は国民には届かないだろう。政治家の嘘も国民には見抜けないだろう。空っぽな数字で何かをわかった気になってしまう大衆意識を私は大いに危惧する。そこに政治を審査する眼、関心が宿っていなければ、それはもう民主主義ではない。