262 <ツイッター>
私は今のところブログで充分です。文章を書く行為で気分転換が欲しい。それにはツイッターでは物足りない。やはりブログぐらいの入れ物が必要です。それと、ネット上のやりとりとはいえ、ツイッターの速度、落ち着きの無さは、とても気が急いてしんどい(苦笑)。落ち着いてモニターを見て、理解しようという気が失せるほどの情報量です。フォローの相手がまだ二桁半ばの数量でこの有様ですから、4桁や五桁の人って一体どういう風にツイッターを利用しているのだろう。発信機能オンリーで参加しているとも思えないしなぁ。
よい面としては生々しさやスピード感、臨場感。それがプロの提供するマスメディアではなく、一個人が参加する現場報告として今現在起こっていることが伝えられるツールなのですね。それを信用するも疑うも、情報を得る人の判断一つという危険性はあります(実際に選挙のときは偽物が出回っていました)。また得る情報の多さから求める当たりクジに出会う確率も高いのではないでしょうか。営業活動や就職活動にツイッターをフルに利用している人がいると聞いて大いに納得がゆきます。私にはなかなかできないだけに…。
ツイッターを見ていて思うのは、意外と微妙なメンタルが投影されていること。ですます調でないつぶやき形式の文字には、その時々の感情の揺れがはっきり表れていると思う。あるイラストレーターさんのいい絵が描けたときの幸福感、ある絵本作家さんの思いつきの瞬間の高揚感。羨ましいなあ〜と思いますから。反対に眼に入れたくない話題や言葉が掲載されていることも多くて、情報の取捨選択という意味では、もしかしたら新聞の対面性に弱冠似ているのかもしれない。まぁ、私自身がまだ把握しきれていないのですよ、ツイッターというシロモノを。
140字という字数、これってちょいと嫌みを書くのには最適な制限だなと、ひそかに思ったりして(笑)。
→ https://twitter.com/ekakimushi
140文字の制限が多くのツイッター言葉を生んでいるし、
タイトル付けなくていいことも気に入ってます♪
会話じゃなくて、言いたいことのみつぶやきたい人には
物足りないのかもしれませんねぇ。
使い分けでしょうけど、会話を楽しみたいときは
あとの人にRTの余地を残しておくこともありだと思いますよ~
FeedTweetを使ってブログ更新をお知らせしているので
ブログに誘導にも役立ってます。
おかげでアクセス数が倍ほどになりました。
普通につぶやき合うこともしますが、
スポーツ中継を観ながら実況&絶叫というのが
一番好きですねぇ。
ワールドカップのときも楽しかったですよ~
熱狂する街やパブリックビューイングの画像が
どんどんアップされてたし、
勝利の瞬間を共有できました。
つながる力ってすごいなーと思います。
ダンナがいない時に限りますが・・・
それに云われて納得、会話なんですよね、あれは。
私も時事性の共有が大きなテーマだと思います。スポーツ中継の絶叫もよく目にします。自分でつぶやくか?と云われたら、実際に大声で叫んでいる方が先ですが(笑)。
ブログへの誘導など有効利用も考えたいと思っているのですが、如何せん、まだ馴染んでいなくて…。縄跳びになかなか入れない子どもっているでしょう?あんな感じです。
→http://feedtweet.am6.jp/
一定の時間にブログの投稿をキャッチして
勝手にtwitterで発信してくれます。
実際に誘導できた数(クリック数)もわかります。
あとハッシュタグの活用ですね。
最近はもっぱら#giantsで実況&絶叫しています。
フォローしたりされたりしてなくても
興味のある話題でつながりますから
ハマりますよ~
#twiosakaはイベントの告知とかできるし、
大阪ツイッターユーザーの情報交換の場になっています。
オフ会が頻繁にあって、
私も一度参加しました。
平松市長がサプライズゲストで来られたりして、
楽しかったです。
しまった・・・
あんまり熱く語ると嫌がられるので、
この辺でやめときます。
※実は今朝facebookもアカウント登録しちゃいました。
ハッシュタグのことは知っていますが、バーチャルから現実へ移行するイベントまであるのですね。凄いなあ。
morizabethさんの電化製品好きや新しいもの好きが、ここへきて順応性に転化しているようで羨ましいですわ。この先脚光を浴びるかも!
ブログもそれは「日記」ではないです。
それは公私ということにおいて、ブログはほとんど見る人がいなくてもひとまずは公であり、それに対して日記は全く私的です。
ツイッターも公であり、独り言のつぶやきは私的です。
僕はツイッターは日本の新聞に昔からある「三行広告」と訳せば良かったのではないかと思うのです。
「捨て猫もらってください」とか「ケンジくん、ヨーコさん、ご結婚オメデトウ!」とか、「明日、神社で蚤の市」とかそんな風に使えば良かったのです。
誰かのつぶやきなんて興味ないですが、三行広告なら読んでしまいます。実際、ツイッターの世界は広告であふれてますし。
利用者の利用方法如何で如何様にでも変わるものが道具。ツイッターも誰にということもなくボソッと語ってみた類いの言葉から、情報の繁殖性に眼を付けた140字広告と化したもの、繋がっていたいだけの人のバーチャルかすがい風なものまで。ブログも同じくです。
「つぶやき」なり「日記」なる名称は利用形態によってどんどん形骸化している事実が、道具の本質をよく表していると思います。
確かに言われてみれば権威あるものもツイッターの上ではone of themですな。ブログのような部屋感覚がないので、参加者全員が野外の雑魚寝状態のような錯覚があります。
ライヴデモ?感覚というのはonthenodoさんのを見せてもらうとよくわかります。ノリ一発という感じで(笑)。
今後のツイッターの発展予測は…正直わかりません。たぶん短冊よりも更に簡易な表現メディアが生まれるのでは。