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388 <真冬の三島由紀夫(下)>

三島が割腹自殺を遂げたニュースはよく憶えている。小学4年生だった。不穏な空気がテレビや新聞から流れ出ていた。あのショッキングな最期を世間の人たちはどう見たのか。少なくとも私の周囲にいた大人は、三島を好ましからざる人物に指定した。作家の人生と作品を強引に接着した。三島の行動を思想犯のように扱った。思い上がったエリート作家の孤独なストライキと断定した。私は、作品を読んで、三島のことを知りたいと思った。知らずに喋るような大人にはなるまいと思った。


いつも三島のことが頭のどこかにあった。二十代はそれが激しくて、人に合わせられないことも多かった。三島の、規律を重んじる生活姿勢が大好きだったから、その影響はあっただろうし、尖ってもいただろう。二十代の終わりに専門学校へ入ったときに、後に校長になったT先生は、三島のことを話すと大層喜んだ。T先生にとって、三島は語るに値する人物であり、三島好きの私はイジるに値する生徒だった。初めて三島について、対等に話してくれる人と出会った。


ある対象に好きである時間が長いと、必ず派生がやってくるもので、三島はいろんな人を連れてきた。森鴎外、川端康成、泉鏡花、谷崎潤一郎、太宰治、澁澤龍彦、山本常朝、沼正三、野坂昭如、石原慎太郎、細江英公…もし生前の三島と同じ時代を生きていたとしたら、もっと大きな渦に巻き込まれていたかもしれない。メディアへの露出も多い人だったから、その影響力は私が想像している以上に大きかっただろう。昔はそれが残念でならなかったが、今となってはむしろ幸運だったと思う。


1970年11月25日の決起当日の朝に、間接的に担当編集者に遺稿『天人五衰』が手渡されるように準備していた三島。折り目正しい人生を、意志だけを持って駆けた三島。作品にはなくとも日常にはユーモアがあった三島。文章を書くことで、体内のあらゆるベクトルをかろうじて繋ぎ止めていた三島。隠すことと、さらけ出すことの違いがなかった三島。いつの間にか視線を感じなくなってしまったが、今も彼のことを思うと、私は自分が極度の怠け者なのがわかる。

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思いつくままに三島のことを書こうとしたが、そんなことはやっぱり無理だった。書きたいことを、何も書けなかった。書けば書くほど、手の指の間から、スルリと逃げてゆく気がする。
by ekakimushi | 2011-08-22 08:36 | 私のお気に入り | Trackback | Comments(0)
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