408 <ジョブズの役割>
そんな私でさえ、ある時期から、ジョブズを一企業家とみるには無理があると感じ始めた。アップルから新たに販売される機種が、機能や利便性はもちろん、デザイン性、ヴィジョンにおいて、大きな不理解を買ったという話を聞いたことがなかったからだ。この手の商品にさっぱり食指が動かない私に詳しいことがわかるはずもないのだが、説明を耳にするだに緻密な戦略が見て取れた。それだけならほかにもある話だ。ジョブズが違ったのは、ユーザーに未体験の遊びを提供したいという精神が一貫して流れていたことだ。
次々生み出される商品はあこがれや感動を持って迎えられ、まるでディス・イヤーズ・モデルを着こなすファッションモデルのようにシャープかつスマート。ジョブズ本人が登場する宣伝も巧みで、アイコンと言われる所以だった。IBMが席巻していた計算機型のコンピューター世界は一気に陳腐になって、ジョブズのコンセプトによって同時代を生きる我々の生活は一変させられた。彼がどこまで経済的社会的に自覚的な経営者だったのかは知らないが、まさに世界中に21世紀を体験させた人物だった。
アップルのヒット商品を結果から解析すれば、そこには見事な必然性が見い出せるだろう。しかしジョブズの場合、素人目に見てもユーザーとしての直感力がずば抜けて鋭かったのだと思う。iPodやスマートフォンを見たとき、ディズニー的な夢世界の匂いを感じたし、ピクサーのアニメーションは同様の追求から生まれた革新だった。大人も子供も一切関係なかった。もし手塚治虫が生きていてジョブズと対談していたら、いったいどんな会話がなされたことだろう。想像するだけで胸が躍る。
そんなジョブズが消えた。この先、彼が追求した価値観や美意識は地球上で維持されるのだろうか。今になってようやく私は彼が担っていた役割の大きさに気がついた。