417 <三つの人生のスライス>
叔母の余命がそう長くはないと聞いてはいたが、思いのほか最後の時は早かった。お通夜の夜は線香番と称して一晩中絵を描いて過ごした。不思議と絵を描くと悲しみや虚脱から距離ができる。そのぶん叔母の声や言葉が落ち着いて蘇ってきた。幼い頃、パーマをかけたてだった若い叔母の髪の毛を私はくしゃくしゃにした。小学校の万博のときは叔母の家に何度も泊めてもらって通ったものだ。中学や高校になっても決まって叔母の元から意気揚々と都会の中へ出かけていった。社会人になっても仕事の絡みでいろいろと手間をかけてしまった。引っ越しや個展があると必ず顔を出してくれた。最後の最後に彼女の願いを聞いてあげられなかったことには、大きな悔いが残っている。私の人生において叔母は幾重ものスライスに顔を出してくれた恩人だった。
本当に素晴らしい瞬間になると、心が自然と反応するものだ。何代も続いてきた由緒正しい食肉業者さん一家の最後の屠畜作業を拝見させてもらった。人が体を使ってできる最高級の仕事のひとつだった。息をするのも躊躇われる集中力、立ち上る湯気、玉のような汗、空気を切るように舞うナイフの優雅な運び、開店前の銭湯を思わせる清潔な場内。黙々と最後の牛の解体を続けられる職人さんの姿。誰も立ち入れない濃密な瞬間。過去から受け継がれてきたものと、この先未来に残ってゆくもの。生き物と食べ物とを繋いできた職人さんの胸に去来するものは何だったのか。人生のスライスがここにもあった。