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468 <銭湯暮らし>

一人暮らしの頃はよく銭湯に通いました。住まいに風呂がついていなかったことがほとんどだったので、通わざるを得なかったのです。いや、これは逆か。銭湯に通いたい為に、わざわざ風呂なし文化住宅ばかりを狙って住んでいたな、そういえば。とにかく銭湯が好きで好きで。それが今ではもうすっかり通わなくなってしまった…。今日は久しぶりにお気に入りだった銭湯に戻った気分になってみたいと思います。

家のお風呂もいいですが、銭湯の風情はたまらないものがあります。私が大好きだった宝湯という銭湯、広さは極普通でしたが採光が素晴らしくて、日曜日の一番風呂(午後2時!)は湯気の立ち上る場内に桶でお湯をかける音が響き渡りました。ハミングでなにやら唸るおじいさんの隣で湯船につかって目を閉じると、手足が自由にどこまでも伸びてゆくような錯覚がして、思わず口から深い息が出てゆくのでした。

大抵の場合、私が宝湯に行くのは閉店間際でした。いつもの顔ぶれが揃っていて、親しく言葉を交わした仲ではありませんが、毎日同じ時間に同じ場所で会っていると、自然と人柄や趣味がわかるものです。阪神が負けたことを告げるテレビのスポーツニュースに向かって、ボソっと「やかましいわ」とつぶやくオヤジの姿。その後ろで日に焼けた丸刈り頭の小学生兄弟がコーヒー牛乳を飲んでいたました。

番台のおばちゃんはドラマのようなおしゃべりな番台さんではなく、朴訥とした人でした。ある時回数券を買ったらおつりがなくて、お金は明日でいいからと言うのです。次の日、おつりが出ないように準備して持って行ったら、「何?このお金」と言われて(笑)。余裕があるというか、丼勘定というか。私が理由を話す前に、横から白髪のじいさんが説明をし始めて、お風呂に入る前なのに既に脱力してしまった!

威勢のいいおっさんもいました。町内会の役員さんで、顔見知りも多かったようですが、のんびりしたい私には迷惑な銭湯外交でした。入れ墨をした人もいました。見るからに表情が暗かったな。背中の紋が透かし彫りで終わっていて、おそらく途中で入れるのを躊躇って止めたのではないかと思うのです。あれを一生背負うのは厳しい。夫婦連れが一緒に来て一緒に帰ってゆくことも。まるで「神田川」の世界でした。

カナダからきた白人の男性は、当時話題だった松田聖子の恋人でジェフというのがいましたが、銭湯の常連からは勝手にジェフと呼ばれていました。本当の名前はトニーだったはずです。そういえばいらちな若いのもいたな。お風呂もカラスの行水。かけ湯をしないで湯船に入るので叱られていました。ろくに拭かないで脱衣所に戻って来るので、そこでも叱られて。彼にとってはいい作法の勉強だったことでしょう。

夏は湯上がりのクーラーが最高でした。毛穴は一変に閉まって、一日で唯一汗のない状態だったのですが、外に出ると一気に吹き出して汗まみれでした。冬は花粉症からの救いの場でした。7年間ほどかなり酷い症状だったので、お風呂にはいっている時だけが鼻水やくしゃみから解放されたのです。春は宝湯の前の公園の桜が咲いて、秋は湯上がりに見上げる夜の空が高かった。一年中お世話になっていました。

宝湯は阪神淡路大震災で崩壊しました。私は震災の後の2年間をその近くで過ごしましたが、なじみだった人たちも散らばってしまったのか、余所の銭湯で出会うこともなくなりました。今も銭湯の煙突の絵を描くと、必ず宝湯と文字を入れてしまいます。宝湯に通った生活に戻ってみたい時もありますが、あれは幻だったような気もします。銭湯に熱を上げていた、一生のうちでまたとない時間だったのかもしれません。

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by ekakimushi | 2012-03-14 11:53 | 私のお気に入り | Trackback | Comments(0)