672 <夢みる歌謡曲1971(中)>
◯「ナオミの夢」:ヘドバとダビデ
私は子どもの頃は結構な難しがり屋で、散髪屋が大嫌いでした。大いに抵抗しては、家から200mも行かないところにある有田という散髪屋へ無理矢理に連れて行かれて、椅子の上に乗っけられてバリカンで刈り上げられたのでした。この曲を聴いたのは有田のラジオからでした。てっきりグループサウンズだと思っていたら、外国人だというではないですか!何と日本語が上手いんだろうと感心したのと、ナオミというのがイスラエルにも割とよくある女性の名前だと歌番組で知って、そうなのかと深く頷いた次第です。しかしどう聴いても日本の歌謡曲です。サビの終わりにティンパニーがドォ~ンとなるところが、あたかもお笑いのオチっぽくて、よく笑ったなあ。この曲の影響で、ナオミという名前の女の子には皆、なにか妖しい魅力を感じるようになりました。それが今も続いています。
◯「ポーリュシカ・ポーレ」:仲雅美
仲雅美と聞いてピン!とくる人も少ないかもしれません。元は俳優さんでしたがドラマでちらりと見たぐらいで、私もよく知りません。人気はそれなりにあったような…それよりもドラマの中で使われたこの曲にはガツンとやられました。元唄はロシア民謡と聞いていましたが、1934年にレフ・クニッペルという人が作曲して軍歌として広まったそうです。日本語詞は橋本淳、編曲は近藤進。今聴くと異国感がさすがにチープなところもあったりしますが、子どもな耳の私はスローなバラードには反応が悪く、この曲のポルカのようなリズミカルなテンポが心を捉えたものと思われます。実際にヒットして、シングルレコードも買いましたが、唄うだけ唄って簡単に切り捨てた曲として記憶に残っています。子どもの目から見て、仲雅美が格好よくは見えなかったのです。
◯「瀬戸の花嫁」:小柳ルミ子
当時私たち児童の間で、事件として名を残したぐらいショッキングな出来事。それは小学校の担任の先生(男性!)が、父兄たちとの懇親会で「瀬戸の花嫁」を熱唱したのです。教師は聖職であり、まさか先生が流行歌を、それも父兄の前で唄うなんて信じられなかった。先生がタブーを犯したような気持ちでした。カラオケもない時代ですから、おそらく無伴奏だったのでしょう。その先生は以前から小柳ルミ子にお熱だったことは、クラスの女子が聞込みをして探り当てており、皆「やっぱりな!」と評したものでした。ちょっとした芸能ネタみたいなものです(笑)。今となっては笑い話ですが、そのぐらいこの曲は売れに売れ、小柳ルミ子も飛ぶ鳥を落とす勢いで、あらゆる歌謡番組を席巻していました。作詞は山上路、作曲は平尾昌晃、編曲は森岡賢一郎という当代最高のスタッフが実力通りの結果を叩き出した作品だったわけです。あの先生、まだお元気なんだろうか…。もしお会い出来たら、何故あんなことをされたのかを問い詰めてみたい気持ちが、まだ私の中に残っています(笑)。