708 <楽しむことの強靭さ>
突発的に心の火が燃え上がるような楽しさは、なにしろ勢いが違う。若い頃はそんな引火がなければ、本当の喜びには到達できないと思っていました。さすがに今は、そこまで極端なことは頻繁にはないと考えます。むしろしっかり準備をして、気持ちを整えて、計画に沿って達成できる喜びを望んでいます。その中で、予測通りと予測外が混じり合った過程に身を置くわけです。結果が期待したものでなくとも、某か充実した時間が過ごせれば、おそらく次の局面へ向かう姿勢も背筋がキリッと伸びたものになっていることでしょう。
私は朝起きたときに、今日は何で楽しむのですか?と自問する癖があります。そうしないと、身体が前へ進んでゆかない質なのです(つまり寝床から起きれない!)。些末な出来事に煩悩を抱えていたとしても、行き先に何か楽しいことが待っていると考えただけで、全てO.K.になってしまうことが多い多い!先々の不安を始終実感していないと落ち着かない、といった類いの悲観論者によく出会います。現代的な風潮というよりも、昔からそういう人たちは絶えず周囲にいました。そしてよく皮肉られたものです。「毎日楽しそうで、結構なことだ」なんて。
困難に耐える力は、確かに人を強くすると思います。それと同じぐらいに、楽しみを見つける継続力は、生活に張りや艶を自製させます。楽しむことは弛緩の上だけではなく、大いなる緊張の上にも生み出されます。楽しみ尽くした後には、感情は柔軟性に富んだ繊細な筋肉のようになっているのではないでしょうか。再び喜びに浸れることを目標に、目の前のひとつひとつをこなしてゆく。そんな反復の強靱性を、楽しむ力は養ってくれると感じます。そして楽しむことは、人から学べる最初の教えでもあったと、今思い出しました。