心配をしても仕方がないことは多いです。本来は心配をしただけの甲斐があることにのみ、気を向けることができればよいのですが、そんな風に上手くはいかないのが現実です。心配をしても何の解決にもならないことに対して心を砕くと、単なる先走りや徒労に終わることも多く、気落ちしてガックリくることもあります。「なんだ、それなら話しを聞かなければよかった」と相手を逆恨みしたりします。気がついたときには、度が過ぎて、心配をする側ではなくて、される側になっていたりもします。
心配をすることは悪いことなんだろうか。楽しいことを考えるのに比べれば、心配は心身にあまりいい影響を与えない気がする。思い詰めて食が細れば、体調にも影響はあるだろうな。しかしだ、人間は心配をしないでは生きられない。心配はいつも私たちの傍らにある。ひとつ消えれば、また別なひとつが生まれる。いつも複数の心配を鞄に入れて持ち歩くのが、大人の日常なのだと思う。それが一時に6つも7つもあったり、あるひとつが特別に重くなったりして、背中はだんだん丸くなってゆく。
みなさん。今、心配は幾つありますか。それらのひとつひとつは軽いですか、重たいですか。一緒にいる時間は長いですか。心配とうまくつきあっていけそうですか。私はときどき、心配を懲らしめてやりたくなります。
でも怖いから、とてもそんなことはできません。
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