785 <ボビーは大きな口で唄った(前)>

昨年は好きなミュージシャンの逝去が多い一年でした。悲しいことに偉大なベーシストが相次いで亡くなりました。そして、ボビー・ウォーマックももうこの世にはいないのですね。亡くなったのは 2014年6月28日ですから、もう8ヶ月近くが経っているのに、私にはボビーがまだどこかで唄っている気がしています。彼があの世へ旅立った実感がさっぱりありません。享受70歳だったそうですが、もっといけるだろうと勝手に思い込んでいたのかもしれません。ラスト・ソウルマンと名高いボビー・ウォーマックの死は何を意味しているのだろう。あのがなり声がもう聴けない。なんと寂しいことなのだろう。

ボビー・ウォーマックの死に際して、いろんなメディアで「ローリング・ストーンズに影響を与えた」という常套句が用いられていました。間違いではないですが、ボビー個人の音楽的な力量を侮った説明のような気がして、私は一人で怒っていました。ただ、確かにボビーの音楽人生を簡単に語るのは難しいです。生涯一歌手であったわけでもなく、爆発的な大ヒットがあったでなく、音楽性も活動もつるんだ人脈も多岐に渡っているからです。思うに、この人はいつの時代にも、実に柔軟な音楽性で適応した人だったのではないでしょうか。いわゆるソウル・ジャイアンツと呼ばれる人たちのような、時代の中で瞬間的に目映く光り輝いた存在とは違う、60年代〜90年代の音楽時流を泳ぎ切るだけのしなやかさと持久力を持っていた人です。

出発点は兄弟でのゴスペルグループでした。そしてサム・クックが起こしたサー・レーベルでヴァレンティノスとしてデビュー、ヒット曲を連発しました。一方でギタリストとしての恵まれた才を生かして、サム・クックのバックバンドにも参加していました。サムの死後は、主にメンフィスを拠点にして、ウィルソン・ピケットの専属ギタリストになりライブにレコーディングに活動し、ライターとしても数多くの作品をソウルシンガーに提供しています。60代後半にはソロデビュー、ロック系クロスオーヴァー系のミュージシャンとの繋がりも濃くて、いろんなタイプの人と活動を行っており、それは彼が亡くなるまで続いた大きな特徴だったと言えます。

70年代初頭でのスライの『暴動』やジャニスの『パール』といった名作のキーマンだったことや、ジョージ・ベンソンがカヴァーし大ヒットした楽曲「ブリージン」の作者であることは有名です。私が大好きなのは、70年代に入ってからのソロ作品群で、77年ぐらいまではどれも素晴らしいと思っています。人によっては、この時期のボビーが唄うポップスのカヴァー曲を酷く毛嫌いするファンもいますが、いってみれば彼なりのバランス感覚であり、娯楽提供精神の表れだと解釈しています。それによってせっかくのアルバムが散漫に聴こえることも否定はしません。しかしあの大きな口で大甘カヴァーを唄ってこそのボビー・ウォーマック、そうは思いませんか?

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ああ懐かしい。80年代のボビーは、まだ元気一杯だったなあ。この笑顔と眼鏡を見たら、誰でも好きなるだろう。日本では死ぬまで過小評価され続けたことが本当に悔しい。
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by ekakimushi | 2015-02-23 13:04 | 音楽えかきむし | Trackback | Comments(0)
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