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820 <中華料理店は夢を見る(後)>

1991年3月から1997年4月までの6年間を、私は尼崎市で暮らしました。その間には例に漏れず1995年1月の阪神淡路大震災にも遭い、当時住んでいたボロ屋は見事に大破しました。今もその頃の暮らしを、懐かしく思い出すことがあります。私が住んでいた塚口から王中のある立花までは、距離にして約3kmほど、自転車で20分もあれば通えるところにありました。当時の王中は、今の場所から3軒ほど北にあって、厨房周りのカウンター席がメインでした。まだネットが充分に流通していない頃に、3kmも離れたこのお店を何故知っていたかというと、王中のすぐ近くに、知る人ぞ知るアーティストたちの共同アトリエがあったからです。

一度そのアトリエを覗きに行った際に、そのまま王中へ連れて行ってもらいました。その頃私は、会社に通いながら、夜や休日を絵に費やす生活をしていました。正直に言うと、創作活動という意味に置いては、かなり狭い人付き合いしかなかった。一線で活動する創り手たちと同席して話しを聞くだけで、私の枯渇した心にどれほどの潤いがあったことか。そんな作家たちの身勝手な会話を、厨房の中からニコニコしながら聞いていたのが、店主の中島さんでした。ああ、ここはいいお店だなあと、素直に思えました。

その後、音楽バンドの活動をしている友人繋がりで、再び王中の名前が耳に入ってきました。彼らは生まれも育ちも尼崎、まさにネイティブのアマガサキンチューで、十代の頃から音楽活動をやってきた人たちでした。裏日本の寂れた港街から出てきた根無し草のような私とは全く違う、地元と付かず離れずの人間関係を、ずっと継続してきた人たちでした。そんな彼らから名前の出るお店が王中だったのです。同じ地元で音楽活動をし、人生の先輩として少し先を生きている中島さんを、彼らはどこか憧れを持って見ている気配が感じられたものです。まるで、野球部の中学生が、甲子園に出ている高校生を見るような眼差しでした。

2008年の秋に、とあるライブの打ち上げに加えてもらって、私は王中にいました。その日も例の如く、夜な夜な宴会が繰り広げられていたわけです。そのとき何かの話題の拍子で、厨房の中島さんから「俺も絵に描いてほしい」という言葉が飛び出しました。そのことが私の耳にずっと残っていました。実は以前王中のH.P.に、お店の絵が掲載されていました。誰が描いたものかは知らなかったですが、とてもいい絵でした。それを見て「あ、俺も描きたい」と思っていたのです。もう10年以上も前の話しです。意は合致した!描くぞ、そう思ってから更に何年も経ちました。

結局絵が出来上ったのは、2014年の6月。随分遅くなりましたが、中島さんと、奥さんのみゆきさんは、たいそう喜んでくださいました。いろんな創り手がいた、あの共同アトリエはもう今はありません。私が一人で悶々と絵を描いていた塚口のボロ屋は、駐車場に変わりました。尼崎でバンド活動をしていた若手は今や50代後半、いろんなところへ散らばってゆきました。しかし王中へ行けば、全ては元のまま戻ってくる気がするのです。王中の席につくと、知らない過去の話しも、ついこのあいだの出来事のように共有されます。お客さんたちは、広東料理と一緒に、自分の見た夢を注文するのです。だから、出来あがった料理は、あんなに美味しいのです。

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by ekakimushi | 2015-06-22 14:11 | 私のお気に入り | Trackback | Comments(4)
Commented by ひとみ at 2015-06-24 16:46 x
FBの中の私の友人(小学校の時の同級生)が
王中について書いていた。
なんか、覚えがあるなぁ~と思ったら、
洋典さんのこのブログに行き着いた。
どちらもきっとこの中華屋さんが好きなんだろう。
どこかですれ違っていたり、共有していたり・・・
なんだかとても興味深いな~♪
Commented by ekakimushi at 2015-06-24 20:16
中華料理店、好きです。魔力を感じます。
もしかしたら、友人の方と同席していたりして(笑)。
王中さんは鮮烈さを押さえた穏やかな味が個性です。是非一度味わってみて下さい。
Commented at 2015-06-24 21:40 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2015-06-25 12:46
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