833  <マイ・モータウン・ラプソディ(中)>

モータウンがレコード会社として、どの辺りまでクリエイティヴに機能していたのかは、人によって意見が異なるだろうが、1980年代初頭にはもう役目は終わっていたと思う。今世間でいうところのモータウンサウンドとは、1962年~67年あたりのヒット曲を指している。同時期のスタックスやアトランティックのサザンソウルと比べると、軟弱でソウルとポップミュージックの重なった味がする音楽を得意としていた。作家/歌手/演奏者/プロデューサーといったレコード製造ラインが人的に確立され、画一的な音楽を大量に販売する手法は、いかにもアメリカ的であり、低コストの品を量販し消費欲を煽るところなどは、現在のマクドナルドのような企業とよく似たことをやっていた。


この会社のおもしろいところは、実体がほぼ消えた頃から絶えず話題を提供していることだ。1983年にはモータウン25周年でのコンサートがあり、1985年には名手ネルスン・ジョージが60年代のモータウンヒストリーの決定版『WHERE DID OUR LOVE GO?』を書いた。(モータウンから全く協力も得られなかったからこそ、最高に面白いドキュメンタリーになっている。)1989年出版のジェームズ・ジェマーソンの謎を追ったアラン・シュラツキー著『STANDING IN THE SHADOWS OF MOTOWN』はその後、2002年にデトロイトとファンクブラザーズの視点から見たモータウンを描いた映画『永遠のモータウン』となったことは記憶に新しい。


モータウンの内実がはほとんど明かされないまま、1988年にベリー・ゴーディ・ジュニアは会社を身売りして隠遁し、表に出てくるのは主に弁護士だけになった。だから人々は推測するしかなかった。当事者だったミュージシャンたちにもよくわからないことだらけだったようで、スティーヴィー・ワンダーでさえ1971~2年の契約時の出来事の回想インタビューを読むと、一体どこまで事情をわかって行動していたのか疑問に思うぐらいだ。裁判沙汰も多い。H-D-Hとの印税に関する裁判は、始まってからもう40年からなるのに、まだ結審がついていない。(彼らのモータウンでの実働はわずか5年であるにもかかわらず。)人の一生を考えたときに、時間切れは目の前に迫っているだろうに。


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確かに映画『永遠のモータウン』は得心のゆく内容だった。映画館最前列で見て、最初っから最後まで泣きっ放しだった。しかし本心を言えば、「1980年に制作が着手されていたら」と思ってしまう。それだけ80年代には、モータウンを音楽的に支えた要人の逝去が続いたわけだ。
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by ekakimushi | 2015-08-10 20:23 | 音楽えかきむし | Trackback | Comments(0)
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