834  <マイ・モータウン・ラプソディ(下)>

60年代~70年代~80年代と進むに連れて、モータウンのレーベル色は薄まっていった。70年代半ばに、私が初めて接したモータウンのミュージシャンだったスティーヴィー・ワンダーや、テンプテーションズ、ジャクスン5、マーヴィン・ゲイ、コモドアーズ、ダイアナ・ロスは、創作においては、60年代に比べればある意味で縛られるものがない活動をしていた。にもかかわらず、長い実働期間があったにせよ、瑞々しさや輝きは格段に落ちていた(当時はそんなことには気付きもしなかったが)。ライオネル・リッチーやディバージ、リック・ジェイムズが気張っていた80年代となれば、もうキラピカドンシャリのバブルやヤッピーの価値観が反映されていて、とてもではないがついてゆく気がしなかった。


規制とか足かせのような不自由さがあると、創作者はそれをイマジネーションで乗り越えようとして、ある種の団結も加わり、作品はより豊かな膨らみや、思いもよらないパワーを持つことがある。社会や会社自体に大きな枠組みで制御されていた60年代モータウンがまさにそれだった。70年代に入って個々のミュージシャンが権利主張をし実現し始めると、モータウンというレコード会社自体の色気はひとたまりもなく分散していった。まさにレコード会社としての魅力を喪失している最中に、私はモータウンと出会ったのだろう。80年に入って相次いで出された二枚組L.P.のベストもので、過去のモータウンサウンドがいかに素晴らしいかを知り始めたのだが、とき既に遅しを直感したものだった。


80年代初頭は、往年のモータウンサウンドのリバイバルヒットや、影響というよりも全くのコピーのような曲が数多く出回っていた。特に英国では当時の時流だったようだ。そういうのを聴いて、本家の良さと比べて、ただただ軽薄さを感じた私が、流行の音楽からどんどん取り残され、80年代の終わりにはレコード棚の中には古いブラックミュージックのものしかなかったのは、今思うと当然だった気がする。モータウンに代表されるようなソウルミュージックに心を惹かれたと書けば聞こえはいいが、その実、私は同時代性を失い路頭に迷う哀れなリスナーでしかなかった。そんな男にとって、古き良きモータウンサウンドが大いに慰めになったのは間違いない。


89年だったか、来日していたテンプテーションズの故メルヴィン・フランクリンはインタビューでこんなことを語っていた。「60年代初頭に、デトロイトで大規模な暴動が起きて、あの街は犯罪都市に傾いていった。それまでは、夜寝るときでも鍵をしなくてもよかった。網戸だけで充分だった。」ビジネス上の理由があったかもしれないが、失業が増え、貧困地区が広がり、街に犯罪が多発していったことと、モータウンがL.A.へ移転したことは無関係ではなかっただろう。破産したデトロイトが手に入れた何かがあったとすれば、失った何かもあったのだろう。モータウンレコードはそのひとつだったのかもしれない。


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移転するまでの13年間のレーベルの経営本部と録音スタジオのあったヒッツヴィルU.S.A.。現在はモータウン歴史博物館となっているそうな。当の会社に見捨てられた建物が、デトロイトで最も観光客が訪れる観光名所となっているのは、なかなかキツい皮肉だ。
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by ekakimushi | 2015-08-26 14:07 | 音楽えかきむし | Trackback | Comments(0)
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