957 <創造と批評>*

ツイッターで知った人の中で面白いと思ったのは茂木健一郎氏です。テレビ番組の司会者や脳の研究者としての側面しか知らなかったのですが、日々彼が取り上げる話題を読んでいると、とても機智に富んたバランスの人だとわかってきました。頭が良くて、それでも思い通りにならないことが多くて、しかし中途半端なことでは主張を取り下げたりしない、実に粘りのある人だともわかってきました。時に奇天烈ながら懐がかなり深く、心情的に共感できることが多いです。その教えには埋蔵がまだまだありそうで、氏の発言には興味津々といったところです。

茂木氏が日々ツイッターに書き込んでいる中には、同じことが言い表わし方を変えて何度も出てくることがあります。そのひとつに批評と創造があり、私が素直にうなずいた話題のひとつです。少し抜粋してみたいと思います。

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批評や否定自体を批評したり否定する必要はない。参考になるし、創造のきっかけになることもあるからである。特に、あるべき状態と比べての現状へのダメだしは、それ自体に独自の視点が必要なことも多いし、意義のある営みだと思う。
しかし、批評や否定は、最終的には創造にはおよばない。創造することが持つ、ひとつひとつの努力が積み上がって有機的な肉体へと変化していく、あの充実がない。それは、むしろ、切り刻んだり、つぶしたりすることに似ている。しかし、そもそも肉体がなければ料理もできないのだ。
ツイッターを、RTしたり、コメントしたりして、一種の社会運動のメディアとして使うという機運は、一時期確かにあった。それが意味のないこととは思わないが、このところのその手のツイートには、すっかり辟易した思いがある。そこには、創造のための工数の積み重ねがない。
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あくまでツイッター利用者の傾向について書かれている内容なので、少しニュアンスが違うのですが、私の見解を。

ゼロの状態から何かを生み出す創造という行為は、それを餌にああだこうだというだけの御託とは決して同等ではないです。何もないところから創り上げられたものをむしゃむしゃ食べて、旨いまずいを唱えるなら誰にでも出来ます。しかもそれは何の責任も負っていない行為です。茂木氏がいうところの有機的な肉体を創るに値するだけの意欲や工夫がないとき、その批評は聞くに足らないと思うのです。

それにしても…いったい誰に向かって、こんな大きなことを主張しているんでしょうね、私は。

(*日記No.431 2011年12月12日掲載のリメイクです。)

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by ekakimushi | 2016-12-19 10:59 | 絵のこと | Trackback | Comments(0)
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