周囲に「今年を最後に年賀状を出すのを止めます」という人がチラホラいる。その心情はわからないでもない。「あんな儀礼でしかないやりとりは、無駄の極地だ」これは私がまだ二十代の頃に、五十才を過ぎた人から聞いた言葉だ。年賀状に懲り懲りの人は昨今に始まったことではなくて、昔からいたのだ。
考えてみれば確かに、全員に同じ言葉を印刷して、同じ時期にドサッと発送している郵便物なわけで、個々の便りとしてのありがた味のようなものが感じられない。もはや慣例と化しているから疑問にも思わないが、なにも一律に同様の挨拶を載せて郵便上のやりとりをする義務など、国民が負うものでもないだろうに。もしかしたら郵政が公社であった時代の国策だったのだろうか。
と、こんな風に書いていながらも、私は年賀状の伝達力が馬鹿にならないと思っている一人だ。毎年たくさんの年賀状を苦心の末に投函するが、その中には本心や下心を込めて書くものが少しはある。すると、かなりの割合で反応があるから驚く。普段なら主題として伝え難いようなことや、改めてメールで送るほどのないことでも、年賀状なら端にちょこっと書いて出せる。新年の挨拶なんかよりも、その「ちょこっと」の方がよっぽど伝えたいわけで、そういうニュアンスがよく理解される気がしている。
先日も年賀状に書いた「ちょこっと」への返答のメールがあって、やっぱりこの伝達力は侮れないなと感じた。今年の年末はしっかり準備をして、「ちょこっと」といわず、たくさんの伝え事を年賀状に書こうかな(笑)。
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