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1025 <『はしをわたってしらないまちへ』(3/4)>

新刊絵本特集第三回目の今日は、文章を担当された高科正信さんのことを。この人とは長い付き合いです。そう頻繁に会うわけではないですが、付かず離れずでもう28年ぐらいになります。始まりは私が28才で入学した専門学校の絵本科での、文章表現の授業でした。そこで講師として教える側にいたのが高科さんでした。既に職業作家であった彼は、児童文学に関する知識の宝庫でした。国内国外問わず、めちゃくちゃに詳しい。遅蒔きながら、私はこの人からたくさんの名作を教えてもらい、来る日も来る日も読みまくりました。


高科さんは特異な個性があって、話せば必ず愚痴やボヤキが束になって聞き手に降りかかってきます。内容は全て創作に関することです。これは今も変わりません。よく飽きないものだと思うぐらい、次から次へと出てきます。相手が初対面であろうが、児童文学に興味がなかろうが、そんなの一切関係なし。上野瞭さんや灰谷健次郎さん、今江祥智さんといった児童書黄金期を彩った巨星たちに師事したこともあって、作家たるものの斯くあるべしという意識を持った人であることは確かです。それが愚痴やボヤキとどう関係あるのかは謎ですが(笑)。


高科さんのキャリアは長い。30年以上に及ぶ作家生活で、ほぼ毎年童話、児童文学、絵本などの作品を発表し続けています。継続は力なりといいますが、私は端で見ていて、その難しさ厳しさを知ったクチです。積極的にガンガン売り込むタイプの作家さんではないので、新作の発表が大変だとよく聞きます。私には何とも言えない。一人の作り手と、企業である出版社と。その関係性は私も高科さんも同じなわけです。ただ今回は一緒に絵本を作ることになったのだから、できる限りのことはしたかったのです。


最初に「一緒にやろう」と声をかけたのは私ですし、専門学校時代から一度はお手合わせしたいと思っていた作家さんであり、もしかしたら私にとっての何か新しいチャレンジになるかもしれないと、内心期待していた面もありました。このあたりの実情は、商業出版における私利私欲にまみれていて、「純粋な心を持ってこどもの本を作る」などというようなきれいごとは、私の頭の中のどこを捜しても見つからなかったと思う。高科さんとの初めての共作絵本を、どんな形でもいいから、なんとか世に出したかったというのが本心です。


考えてみれば、高科さんからは、職業作家のリアリズムを嫌というほど教えてもらいました。彼のそういうスタンスを揶揄したり、よく言わない人がいるのは知っています。私だって全面的に同意はしません。しかし、誰が何を言おうと、この人は黙々とゼロから作品を生み出し続けてきました。そのことを私は認めています。今回の『はしをわたってしらないまちへ』で、私も高科作品の系譜の末席に加えてもらったのです。出版になってうれしいとか、感激したとかではなく、ひと安心できたと思っています。高科正信さんは、私にとってそういう作家なのです。

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早く絵本の原画を描きたいのに、なかなかラフの完成形が見えてこなくて、待ちきれずに個展で描いた品です。絵本の中によく似た場面があります。こういう先描きのフライング、よくあるんですわ、私には。(添付されている画像の無断転用・使用を禁止いたします。)





















by ekakimushi | 2017-09-07 07:06 | 絵のこと | Trackback | Comments(0)