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1077 <街で出会う展覧会>*

街の中を歩くと、多くの展覧会の情報に出会います。大きい会場から小さいのまで、全部を網羅することなど到底不可能なぐらいにいたるところでアートの展示は盛んです。ことアートの世界に限ってだけ言えば、今の日本は豊かだと実感できます。私が二十歳の頃はこんな風には思えなかった。一部のメジャーな人たちを別にして、アートシーン自体はもっと潜伏していた気がします。その時分のことを、実利的な思考ばかりが大手を振って歩いていたかのように思えるのは、何かの勘違いなのかな。


私が主に足を運ぶ京都~大阪~神戸の美術館やギャラリーの展示スケジュールを見渡しても、現代美術から古典まではもちろん、イラストレーションから絵本の原画展まで見たいのが目白押しで、いくら身体と時間があっても足りないくらい。時には自分が3~4人ほど欲しくなります(笑)。しかもいろんなイヴェントや音楽のライブなども絡ませてお客さんのアンテナを刺激しようというのだから、全くに美術ファンは堪りませんね。私の知り合いの作家さんたちも、実に活動的に展示に勤しんでおられます。端にいて、本当に凄いなあと思う。


言葉を代えると、今はアートにたくさんのものが要求されていると受けて取れます。ひと頃アート作品になんでもかんでも<癒やし>を欲しがる風潮を感じたことがありました。恥ずかしい話しですが、私自身がそのように言われたこともあります。もう17〜18年ほど前のことなのですが。びっくりすると同時に、嫌だなあと感じたものです。たぶん自分の中では、俺はもっと尖っているんだぞ、という意識があってそう思ったのでしょうね。今では「癒やされる」などと言われることも全くなくなりましたが。


7年前の大地震以降は、アートで地域を元気にしようとする企画が驚くほどたくさんあります。メッセージを込めた作品展も多い。一括りに展覧会といっても、娯楽もあれば行政レベルの人助けのようなものもあり、表現者が担う役割は多種多様です。ということは、それらを引き受けて動けるだけの作家さんたちが実際にいるのです。やせ衰えた土壌ではそうは見受けられない光景です。もちろん質の善し悪しはあるでしょうが。そして、何ものかを表現する側の人は、もう作品だけを作っていればそれでO.K.というご時世ではないのかもしれません。


いつもだったらこのあたりで「表現行為を偽善の道具に使うな!」とか「使い道を考えた時点で作品は不純物である!」とか大きなことを言い出すのかもしれませんが(苦笑)、今日は違います。アート作品に触れるこれだけ多くの機会があるということは、日本や私の住む関西には、展覧会が好きな人が実にたくさん住んでいるということです。これはまさしく幸せなことです。なにやら肩すかしのように思われるかもしれませんが、それが言いたかったのです。あっさり終わってごめんなさい。


(*日記No.606 2013年4月18日掲載のリメイクです。) 

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by ekakimushi | 2018-04-23 20:01 | 絵のこと | Trackback | Comments(0)