カテゴリ:私のお気に入り( 51 )

朝起きたら、夜床に入るまで眠ったりしない。
日中は働くものだから、寝れるわけがない。
眠ってもお昼ご飯の後の、わずかな仮眠。
大の大人が、昼のさなかから横になって寝るなんて。
日中に眠ることがあっても、移動の電車や車でうとうと程度。それで充分。

つまり私は、昼寝というのは、悪いことのように思ってました。
このところ、昼寝をすることが多いです。
必要に応じて、昼間から堂々と(笑)眠ります。
お昼ご飯の後は眠いのです。夏場は特に。
きっと何か理由があるのでしょう。
眠気を堪えて起きていても、どうにもことは進まない。
睡魔と戦うことは、したくないことの3つに入ります。
やる気がないのではなく、寝る気があるのだ。
そして寝ます。

1時間ほど、ぐっと眠り込む。
目が醒めると、スッキリします。
眠気は去り、やる気がやってきます。
三食昼寝付きです、私の生活は。

昼寝をしたからといって、夜の睡眠がおろそかになったりはしない。
そこが私のえらいところだと思います。
夜もしっかり眠る。
3時間ぐらい昼寝をした日も、夜は普通に就寝しました。
寝過ぎだなんて、全然思わないです。
どんどん眠ろうと思います。
昼寝に頼ろうと思います。

競争のように短時間睡眠をしていた若い頃。
本当は嫌だったんだ、あれは。
夜中に起きていなければならない理由なんかなかった。
試験勉強や深夜放送なんか、放っておけばよかったのです。
さっさと布団に入って、夢を見ればよかったのです。

私は昼間も眠りにつきます。
起きるときに、安眠した自分に満足したい。
昼寝をして喜びたいです。


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私はどういうわけか電動の髭剃りが昔から苦手で、未だに手動のもので、2〜3日に一回ぐらいの割合で髭を剃っている。今まで4枚刃の髭剃りを使っていたのだが、4枚刃ぐらいになるとヘッドがごついので、小回りが利きにくい。確かに安全でいいのだが、使い始めたときから細かなところを剃るのには不向きな道具だと思っていた。それでも我慢して使ってきたのは、髭剃り本体自体がそんなに安くなく、替え刃も結構いい値段で、せっかく買ったのだから、という思いでのみ使っていた。本心を言うと「4枚刃なんて必要なんか?誰も刃数を増やしてくれて頼んでないで。企業が自社製品のバージョンアップを勝手に計って、値段も好きなようにアップさせて、使い勝手の悪い道具を消費者に無理強いさせてるだけなんちゃうんか。わしゃ、昔の簡素な2枚刃ぐらいで十分じゃ。」ついでに書くと、最近の髭剃りのデザインは悪趣味に走っていると感じる。地球防衛軍みたいな、合体メカと勘違いする大仰さ。そのうちギーガー風のものが出てくる気がする。とにかく、4枚刃はどうも好きになれない私であった。


先日のこと。さ、髭を剃ろう。あ、けどなあ、もうそろそろ刃を替えないと、剃り味が以前から悪くなっているよなあ。そう思って替え刃を探したが、どこにもない。全部使ってしまったようだ。おまけに刃を本体から外そうとすると、取り外しのボタンの感触がおかしい。どうも使いすぎて馬鹿になってしまったようで、刃が外れない。う〜ん、これは、きっと道具を変えろという天の声だ。だいたい、元から気に入らなかった髭剃りだ。何の未練もない。そう思って近所のドラッグストアへ行って探してみると、あの懐かしい2枚刃のシンプルな髭剃りがあるじゃないか。値段もお手頃で。替え刃も4枚刃と比べたら、随分安い。これこれ、これやで。喜んで買い求めて早速風呂場で使ってみた。お、肌と刃が近いやないか。剃っている実感がある。主流の商品から逆行するのはほんまに気持ちがええ。こういうの、ほかの分野でも普通にあってほしい。そんなことを考えて一通り剃って、顔を洗って鏡を見た。


驚いた。顎の周辺がキレまくりで、血だらけになっている。あ、あれ…なんじゃ、これは?あ、4枚刃の感触で2枚刃の髭剃りを動かしていた。あかんやん!気づくのが遅いというか、それぐらい剃る前に感じろや、俺!知らないうちに技術の進歩に甘えていたのだ。それを知らずに自分で勝手にヴァージョンダウンの品に戻っても、そうは問屋が卸さない。簡単に4枚刃から2枚刃に戻っれるほど、髭剃り業界の商品は甘くはなかった。顔が痛いなぁ。風呂上がりにスキンローションを塗ったら、もっと痛い。2枚刃、恐ろしいです。どの面下げて4枚刃に戻ろかな、、、


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大阪市やその近郊に住んでる人、もしくは以前住んでた人やったらともかく、そうでない人にとったらちょいと掴み難い話しかもしれまへんけど、しばしのお付き合いを。


近頃民営化したらしい旧大阪市営地下鉄の谷町線。前々から乗るたびに、その鄙びた昭和風情に魅力を感じてましたんや。他の路線と構内の様子がそないに違うわけでもないのに。それは谷町筋界隈の印象によるもんかもしれまへんな。御堂筋や四ツ橋筋みたいな、洗練された資本にいじられっぱなしっちゅうとこがない。れっきとしたオフィス街やのに、下町情緒全開の商店街がちゃんとあってやね、それがしのぎを削りもせんと、ぼや~っと立地してますのや。時間の流れが梅田やなんばあたりと、結構違うなあと思いますわ。


こないだ久しぶりに谷町線に乗って、谷六(駅名に関しても、谷町線はちょっと異彩を放っていると思います)で降りたんですわ。テクテク歩いて上田筋に出るまでの間、ほんまに楽しかった!昼間っから立ち飲み屋は大盛況で、昔の新世界界隈に仰山おったような赤ら顔のおっちゃんが、酔ったまま危なっかしい自転車で蛇行して消えていきよった。目障りなインバウンドもおらへん。小学生のガキんちょたちの元気のええ声があちこちで聞ける。立ち話をしとるおばはんまでレトロっぽい。ここて、時計が止まってんのとちゃうか。


谷町線は、御堂筋線の裏手っちゅう感覚があります。いつ乗っても満員の御堂筋線で、会社員がしきりに携帯をいじっとる。谷町線はそこまで焦ってない。ウイークデーの昼間でも、なんかホッとできる余裕がある。長い路線の一方は八尾へ、もう一方は門真へ繋がってる。たぶんこの二つの近郊ローカル都市ののんびりした時間の流れが、車内に余裕を呼ぶんですな。一回千林大宮へ行って買うた品物を車内に忘れたまま東梅田で降りて、「しもた〜っ!」となって終点の八尾南まで取りに行ったことがあります。どこまで連れて行かれるんかいな?思うぐらい遠かったですわ。


そんで無視でけへんのが谷町線の駅名ですわ。ようわからん駅の名前がホンマに多い。喜連瓜破、野江内代、関目高殿、太子橋今市なんかそうですわな。読み方も慣れんかったら難儀しまっせ。省略名で呼ばれる駅名も多いですな。天六、谷四、谷六、谷九、このへんは誰も駅名をまともには言わんでしょうな。それは昔からやね。昨今の省略流行りとは全く関係なしや。そのうち車内や駅構内のアナウンスでも、省略で呼ばれたりするんと…それはないか。


旧大阪市営地下鉄には(大阪メトロ?なんや、それは?)、大動脈の御堂筋線を筆頭に計9路線が運行してますけど、民営化されたされたことからもわかるように、全線が全て黒字というわけではないようです。谷町線がどういう具合なんか私は知りまへんけど、あの紫色の路線は大阪という街の身の丈が合ってる気がしますで。東京の大向こうを張った大都市大阪やのうて、日本のどこにでもある一地方都市としての大阪。マイペースで、今日が良かったらそんでええやんと言える街。谷町線にはそんなのどかな大阪が似合てますわ。


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春の夜にサマセット・モームの短編集を読む。もうこれだけで気分は南海リゾートです。何度も読んで筋書き丸暗記の作品あり、すっかり忘れていた作品あり。どれもモームのひねりの効いた文章(特に会話)の娯楽を堪能しました。やっぱりいいよなあ~、短編のモームは。切れ味鋭いストーリーテラー振りはモーパッサンもタジタジです。サッサと状況設定をして、エンディングでバッサリ断ち切ってしまう。ストーリーや登場人物になんの未練も残さない。まさに粋ですな、こういう手管は。


どうしたものか、私はこのモームのファンになってしまった。いつのころからかを、正確には思い出せない。「人間の絆」は確か、大学を出て、最初の通勤読書本だったような気がする。「雨」や「月と六ペンス」はもっと前だったような…。新潮文庫やちくま文庫、岩波文庫には随分お世話になったものです。読書はまず楽しみありきです。それが学習に直結するなどという間違った考えは、わからんわけではないですが、勉強などというものとは別です。読書はあくまで喜びであって、苦痛なわけがない。そのあたりを私の親などは、完全に勘違いしていたな…。


モームの短編における最高の楽しみは、旅ものだと思います。それも南海もの。作品には、アジアや南洋の国々に対する蔑視も散見されます。いわゆる列強の植民地主義という視線が根底に流れているのです。只でさえ皮肉屋で辛辣なところもある語り手なのに、差別感情が籠っているとわかったら、嫌悪感を抱くと言われても仕方ないでしょうが、年表を見ると1900年あたりから作家活動が本格化してきたようで、時代性を鑑みても、当時のイギリス人作家の見識はかようなところが一般的だったのかもしれません。無知を軽んずるモームも、現代ではその「知」を問われてしまうわけです。100年以上の時間はだてではないのですね。


モームは人間の矛盾を暴く為に、様々な舞台を設定し、私たちを現場へ連れていってくれます。時には読者の覗き趣味をも満足させる事件を用意しています。鼻持ちならない高飛車な貴族に対しては、行間から嫌悪の情が流れてきます。軽妙洒脱な語り手として粋な計らいが待っている結末を隠しています。要するに心憎いエンタテナーなわけです。人間が本来養ってゆくべきイマジネーションを整えて差し出しているようなSNSに依存する方にこそ、モームが提示している人間模様の魅力を味わってほしいものです。紙に印刷された活字を読んで、場面場面の図を空想する。この愉しさは他に代えの利かない娯楽です。この野趣溢れる能力が人間から失われたら、それは知性も同時に失ったことになるでしょう。


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いつもこのブログでは、馬鹿の一つ憶えみたいに、絵に関することばかりを書いています。絵のことと、自分のことを文字にすると、素朴な息抜きになるからです。とは言ってもそればかりでは読んでいただく方も退屈だと思うので、今日は珍しく今夜の晩ご飯の画像を載っけます。って、たまたま写真に撮り甲斐のある大皿料理だったので、これは映さねばと思っただけなんですが(笑)。

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この量。若い頃なら一気に食べられたかもしれませんが、今晩は2/5ほど余りました。よって明日のお昼は天とじ丼です。それにしてもよく食べたなあ。天ぷらが御馳走だと実感するようになったのは、30代の半ばです。それまでは単なる揚げ物の一種に過ぎませんでした。天ぷらの魅力を教えてもらったのです。その人の言うようになぞるように味わうと、確かに美味しい。ああ、天ぷら。胸やけするけど、やっぱり天ぷら。


えび、いんげん、レンコン、にんじん、さつまいも、かぼちゃ、玉ねぎ、大葉、なすび。野菜がほとんどですが、天ぷらを狙って買いためていたわけでもないのに、冷蔵庫によくこれだけ上手く素材が揃っていたものです。極めつけが一昨日さんまを食べた時の、残り物の大根とスダチ。もうこれで決まり!役者が一気に集まっての天ぷら大会でした。旨かったなあ~。たまにはこんな投稿もいいもんだなあ〜(笑)。


明日の朝起きたら、きっと油で顔面テカテカですよ💦




















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なんでも書けば良いというものではないのですが、一度は書いてみたかった天下一品のラーメン。その説明をしたところで、結局は食べてみなはれ!というところに落ち着くので、天下一品(以下天一)についてみなさんがご存知であるということを前提に話を進めさせていただきます。 間違っても巷でよく見かける食レポではございませんので(笑)。

ネットで頻繁にラーメン屋さんのランキングをやっていますが、ずっと以前に見た地域別ラーメンランキングで、天一は京都府で堂々2位に入っていました。問題はそのコメント。絶賛激賞する人がいたかと思うと、5点満点で平気で1点を選ぶ人もいる。天一が病みつきになっているという人の隣に、とてもじゃないが食べれたものではないというコメントがある。この落差!これこそが天一のラーメンなのです。

私は30数年来の病みつき派です。食べる、インターバルをおいて、また無性に食べたくなる、そんな体になってしまいました。若い頃も、56歳になった今も。ところがそんな私も、以前風邪をこじらせた折に、精をつけようとでも考えたか、天一へ行ってこってりラーメンの大盛りを食べてしまい、帰宅してからモドすわクダすわで回復が大幅に遅れた時は、もう二度と食べたくないと思ったものでした。

20代の頃には、会社の上司と京都の吉祥院の天一へよく通いました。その人はやせ形のクダし易い体質で、天一へ行った翌日は必ず下痢で遅刻。課長さんから「あいつは腸が弱いんだから、行くならお前一人で行け!」とよくお目玉を食らったものです。遅刻の理由が天一にあると決めつけられるというのも凄い話です(笑)。体質的にあのスープを受け入れられない人もいるのですね。

ラーメンメインのチェーン展開をする量販店でありながら、未だにどこか得体に知れない闇ナベっぽいゲテモノ扱いを受ける天一(失礼!)。私はそこに、何でも見た目に洗練され、きれいに消毒されたものしか受け入れられない社会とは逆流する嗜好を見てしまいます。グロテスク、結構じゃないですか。ゲテモノ、大いにありです。キワモノ、なければおもしろくもなんともないじゃないですか。って、天一はごく普通のラーメン屋なんですが。

そんな天一ですから、伝説めいた話を幾つか聞いたことがあります。「こってり」の上をゆく「超こってり」なるメニューがあるとか(ネットで調べると、本当にあるそうです)、ラーメン鉢が転げてもスープがこぼれなかったとか(それに近いのを昔、物集女店で食べたことがあります)、スープの作り方を盗もうとして天一の本店のゴミを全部持って帰る輩がいたとか。

天一のラーメンを食べに行く時、ファンは「天一を食べに行く」と言います。間違っても「ラーメンを食べに行く」とは言わない。天一とはチェーン店名ではなく、もはや天一という食べ物を意味しています。そしてあのこってりスープ。「天一のスープは噛める」とは、ある有名な天一ジャンキーが発した名言です。天一の近くに引っ越して、毎晩寝る前に食べていたら、ひと月で7kg太って、医者からドクターストップがかかったというブログの主もいました。 全くどいつもこいつも、愛しいじゃないか!

吉野屋の牛丼も王将のギョーザもそうですが、かような食べ物には、お客を一種の慢性中毒症状に陥らせることを計算している節があります。時々メチャクチャに食べたくなる。そういうサイクルにお客を誘い込んでからが商売の始まりなのでしょう。独身時代が長かった私のような男は、まさに餌食に打ってつけです。

全然天一を褒めていないまま終ってしまいそうですが、私は今も北白川という言葉を見たり聞いたりすると、発作的に天一が食べたくなります。あのラーメン鉢に似た配色のお鉢を見ると、あたかもこってりスープが入っているような錯覚陥ります。本店がまだ野暮ったい店だった頃、真冬に並んで食べたあの味。洗練なんかどうでもいい。デオドラント?どっか余所へ行ってくれ!ああ、こんな文字を並べていると、近場の天一へ駆けつけたくなります。さ、それでは禁断症状が出ないうちに、今日あたり、ボチボチ食べに行くか。


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NHKの連続テレビ小説『ひよっこ』を見ています。1960年代の東京を舞台に、集団就職で上京した“金の卵” ヒロイン・谷田部みね子の成長物語です。とあるコラムに泣き所満載のドラマと書いてありましたが、この二日は評価通り泣きました(笑)。「どこに泣くところなんかあるんだ?」と思う人もいるでしょう。私にとってのキーワードは<社員寮>です。


高度経済成長期の活力ある市井の人々を核に据え、健気な生活を追うドラマは平成の世に受け入れられやすいのか、連ドラでも映画でもよく引っかかるネタです。『ひよっこ』はまさにそのもの。懐かしさ一杯に見ている人もいるでしょうが、私がターン・オンしたのは親元を離れて就職に出て社員寮に入るという設定です。


時代は違えど、私も大学を出て就職したときの住まいは会社の寮でした。入った当時は70人ぐらいいたと思う。5年までは在寮できたのですが、なぜか6年目を過ぎた人もいました。右も左もわからず世慣れしていない男は、職場でも寮でも戸惑ってばかりでした。テレビの中のみね子の波打つ心情は、まるで昨日の自分のようです。


会社の上司は「寮住まいは半人前」だとか「出稼ぎ労働者の格安ドヤ」だとかもう言いたい放題でしたが(笑)、実際のところ寮生活は楽しかったのです。会社で嫌なことあっても、毎日同じような環境の仲間と話せることで、随分救われたものです。休みの日も一緒に出かけたりして、ほとんどドラマと同じようなものでした。


若い人が親元から職場に通うのと、寮生活を送るのとでは、過ごした時間の根っこに残るものが多少違うと思う。私が過ごした5年間の寮生活が、そのまま自宅での生活に入れ替わっていたら、『ひよっこ』を見ていて、今こんなに胸がいっぱいになりはしないでしょう。寮での毎日には、喜怒哀楽や感情の起伏が目一杯詰まっていましたから。


そういえば去年の個展に、当時の同期入社した友人が来てくれました。彼も寮の仲間で、今や勤続三十数年のベテラン社員になっていました。もう数年経てば定年なんですね。びっくりしてしまいます。なんでもこの春に同期の出世頭が、遂に会社役員になったそうです。話しを聞いて懐かしいのを通り越して、ちょっとしたSF映画のストーリーを追いかけているような気持ちでしたよ。


『ひよっこ』のみね子が寮を出るとき、彼女はどんな気持ちでいるのか、今から楽しみです。そのとき、私はきっと自分が寮を出たときの春の情景を想い出すんだろうな。   

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先日の日曜日は、大阪の伝統芸能である人形浄瑠璃、文楽を堪能した一日となりました。私は文楽に詳しいものではないのですが、観に行くと楽しいので、たまに国立文楽劇場へ足を運びます。これまでは一部(午前開始の部)か、二部(夕方開始の部)のどちらかを観てきましたが、今回は初めて一日で両方共を観る「通し」というのを体験しました。


始まりは午前11時。幕間の休憩が30分と、今回の呼び物である豊竹英太夫さんの第六代豊竹呂太夫襲名披露口上前に10分休憩があって、終わったのがだいたい午後3時半。二部の開始は午後4時。一部と同様に幕間休憩が30分あって、終わったのが午後8時半ぐらいだったかなあ。おおよそ8時間弱の間、ずっと演目を観ていたことになります!


文楽は人形のお芝居を観、三味線の音色を楽しみ、太夫の義太夫節に聞き惚れる総合芸術なので、見所が多いと感じます。8時間弱の間じっとしていられるのは、きっとそのおかげです。しかし席が一部二部とも、舞台に向かって左端だったので、同じ方向に首を曲げていたため、最後はちょっと首が痛くなりましたよ(笑)。


文楽の魅力を語れるといいのですが、私は奥の深さまでとても忍び寄れない上っ面のファンなので、以前読んだ新聞記事を紹介させてもらって、勘弁してもらいますね(笑)。何年ほど前だったか、道頓堀のくいだおれ太郎がお役御免になったとき、その存在は一躍脚光を浴びました。まさに人間以上の扱いでした。


同じ頃の話しです。1985年の阪神タイガース優勝のどんちゃん騒ぎの中、悪ふざけをしたファンがケンタッキーフライドチキンのカーネル・サンダースの人形を道頓堀川に放り投げた事がありましたが、その人形が引き上げられたことが、ちょっとした事件として扱われました。憶えておられる方も多いでしょう。


この二つは出来事には共通点があります。どちらも人形が主役である事。そしてどちらも道頓堀界隈の出来事であること。これを偶然と片付けるなかれ、と新聞記事は伝えていました。二つの出来事の根っこには、人形浄瑠璃文楽の伝統がこの地域に深く根ざしていることと、決して無関係ではないと。千日前を歩くと、いつもあの新聞記事の斬新な視点を想い出すのです。


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『人生フルーツ』という映画を観ました。新聞で記事を読んで面白そうだなと思ったのですが、たぶん観に行かないだろうなという気がしました。(そういう類いの映画が私にはあるのです。)ところが先日友人がこの映画に出会って、以前からいろいろ考えていたことと合致する内容が多かった旨をメールで送ってくれました。是非観るべきであると。読んでいるとどうしても観たくなってきて、唐突に出かけたわけです。友人は映画関係者ではないのですが、こちらの気持ちを湧き立たせるに充分な情報を与えてくれたのですね。こんないいサポーターを持ったなんて、『人生フルーツ』は幸運な映画です。


以下は『人生フルーツ』の公式サイト(http://life-is-fruity.com/)の作品解説からです。


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愛知県春日井市の高蔵寺ニュータウンの一隅。雑木林に囲まれた一軒の平屋。それは建築家の津端修一さんが、師であるアントニン・レーモンドの自邸に倣って建てた家。四季折々、キッチンガーデンを彩る70種の野菜と50種の果実が、妻・英子さんの手で美味しいごちそうに変わります。刺繍や編み物から機織りまで、何でもこなす英子さん。ふたりは、たがいの名を「さん付け」で呼び合います。長年連れ添った夫婦の暮らしは、細やかな気遣いと工夫に満ちていました。そう、「家は、暮らしの宝石箱でなくてはいけない」とは、モダニズムの巨匠ル・コルビュジエの言葉です。


かつて日本住宅公団のエースだった修一さんは、阿佐ヶ谷住宅や多摩平団地などの都市計画に携わってきました。1960年代、風の通り道となる雑木林を残し、自然との共生を目指したニュータウンを計画。けれど、経済優先の時代はそれを許さず、完成したのは理想とはほど遠い無機質な大規模団地。修一さんは、それまでの仕事から距離を置き、自ら手がけたニュータウンに土地を買い、家を建て、雑木林を育てはじめましたーー。あれから50年、ふたりはコツコツ、ゆっくりと時をためてきました。そして、90歳になった修一さんに新たな仕事の依頼がやってきます。


 本作は東海テレビドキュメンタリー劇場第10弾。ナレーションをつとめるのは女優・樹木希林。ふたりの来し方と暮らしから、この国がある時代に諦めてしまった本当の豊かさへの深い思索の旅が、ゆっくりとはじまります。

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お二人の生き方が丁寧だと思いました。そしてできれば私も、そのようにありたいと感じる生活です。共感する人はきっと多いでしょう。『人生フルーツ』は単館ロードショーながら、ヒット中とのことです。関西では十三の第七藝術劇場で上映中です。興味のある方は是非どうぞ。


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1991年3月から1997年4月までの6年間を、私は尼崎市で暮らしました。その間には例に漏れず1995年1月の阪神淡路大震災にも遭い、当時住んでいたボロ屋は見事に大破しました。今もその頃の暮らしを、懐かしく思い出すことがあります。私が住んでいた塚口から王中のある立花までは、距離にして約3kmほど、自転車で20分もあれば通えるところにありました。当時の王中は、今の場所から3軒ほど北にあって、厨房周りのカウンター席がメインでした。まだネットが充分に流通していない頃に、3kmも離れたこのお店を何故知っていたかというと、王中のすぐ近くに、知る人ぞ知るアーティストたちの共同アトリエがあったからです。

一度そのアトリエを覗きに行った際に、そのまま王中へ連れて行ってもらいました。その頃私は、会社に通いながら、夜や休日を絵に費やす生活をしていました。正直に言うと、創作活動という意味に置いては、かなり狭い人付き合いしかなかった。一線で活動する創り手たちと同席して話しを聞くだけで、私の枯渇した心にどれほどの潤いがあったことか。そんな作家たちの身勝手な会話を、厨房の中からニコニコしながら聞いていたのが、店主の中島さんでした。ああ、ここはいいお店だなあと、素直に思えました。

その後、音楽バンドの活動をしている友人繋がりで、再び王中の名前が耳に入ってきました。彼らは生まれも育ちも尼崎、まさにネイティブのアマガサキンチューで、十代の頃から音楽活動をやってきた人たちでした。裏日本の寂れた港街から出てきた根無し草のような私とは全く違う、地元と付かず離れずの人間関係を、ずっと継続してきた人たちでした。そんな彼らから名前の出るお店が王中だったのです。同じ地元で音楽活動をし、人生の先輩として少し先を生きている中島さんを、彼らはどこか憧れを持って見ている気配が感じられたものです。まるで、野球部の中学生が、甲子園に出ている高校生を見るような眼差しでした。

2008年の秋に、とあるライブの打ち上げに加えてもらって、私は王中にいました。その日も例の如く、夜な夜な宴会が繰り広げられていたわけです。そのとき何かの話題の拍子で、厨房の中島さんから「俺も絵に描いてほしい」という言葉が飛び出しました。そのことが私の耳にずっと残っていました。実は以前王中のH.P.に、お店の絵が掲載されていました。誰が描いたものかは知らなかったですが、とてもいい絵でした。それを見て「あ、俺も描きたい」と思っていたのです。もう10年以上も前の話しです。意は合致した!描くぞ、そう思ってから更に何年も経ちました。

結局絵が出来上ったのは、2014年の6月。随分遅くなりましたが、中島さんと、奥さんのみゆきさんは、たいそう喜んでくださいました。いろんな創り手がいた、あの共同アトリエはもう今はありません。私が一人で悶々と絵を描いていた塚口のボロ屋は、駐車場に変わりました。尼崎でバンド活動をしていた若手は今や50代後半、いろんなところへ散らばってゆきました。しかし王中へ行けば、全ては元のまま戻ってくる気がするのです。王中の席につくと、知らない過去の話しも、ついこのあいだの出来事のように共有されます。お客さんたちは、広東料理と一緒に、自分の見た夢を注文するのです。だから、出来あがった料理は、あんなに美味しいのです。

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