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カテゴリ:絵のこと( 852 )

思い出したように掲載している<えかきむし蔵出し画像>。
今回の作品の中に「カッコーの巣の上で、チーフはいったいどこへ行った」というタイトルのものがあります。『カッコーの巣の上で』とは1975年のアメリカ映画で、本国でも日本でも大いに話題になりヒットしたので、ご存知の方も多いと思います。(作品説明は省きます。)ラストシーンで、ジャック・ニコルスンが演じるマクマーフィーを窒息死させたチーフ(ウィル・サンプソン)が水飲み台を持ち上げて窓にぶつけて壊し、精神病院から脱走してゆきます。若い時分は、このラストに、自由を求める人間の意志を見て頷いたものです。
数年前に久方ぶりにこの映画を鑑賞しました。そして思った。チーフはあの後、いったいどこへ行ったんだ?おそらく彼は、どこへも行っていないのではないかと。彼は逃げたのではなく、一回りして、戻ってきたのではないかと。
初見から40年ほど経って、映画を通して見える世の中が大きく変わってしまった。そんなことを感じた作品でした。

梅雨時の蔵出し画像41回目です。


「イソギンチャクたち」
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「グニャセン」
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「大山からの帰り道」
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「皺だらけの金網」
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「ブーチーのグラサン」
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「作品展2」
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「青い門」
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「書物で知り 行動で学ぶ」
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「フルチン(フリチン)」
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「掛け布団」
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「池には金魚が」
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「木漏れ日」
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「カッコーの巣の上で、チーフはいったいどこへ行った」
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「奥穂高の流れ星」


「お弁当箱散らかった」
添付されている画像の無断転用・使用を禁止いたします。






















何某かの締め切りがあると、それをクリアしないうちは大きな気晴らしは難しいです。かといって、締め切りや納期にだけ沿って生きていたら、自分の生活やリズムなんか簡単に狂ってしまう。どこかで効果的な息抜きを入れ、うまくやりくりして生きてゆかないと。

SNSを見ていると、なんとも羨ましい休日やOFF会などの気分展開模様を目にします。鮮やかな画像と弾ける文字で楽園気分が伝わります。私も一度くらい、その手の内容で、当ブログを更新してみたいものです。でもそんな機会もあるでなし、それでは上げようもないか(笑)。

先日のこと。私の住んでいる市が発行する広報誌の、リレーエッセーのコーナーに寄稿掲載をしてもらいました。名前や顔写真が載っているので、ローカルながら見た人からは反響があるに違いないと思っていました。これはこれでいい気分転換になるぞと決めつけていましたよ、私は。

その広報誌は6月末に各戸に配布されたのですが、びっくりするぐらいに反応がない。無風。初老のおっさんがたまたま広報誌に載った、そんなところでした。トホホ…。気分転換を期待していたのに、これではいつもとなんら変わらぬ同じ日常じゃないか。

しかし考えてみれば、その寄稿も締め切りを乗り越えて提出したものでした。文章を書き、タイトル文字を作り、誌面に載せる画像を用意して、自分で気晴らしの素を作って仕込んでいたわけです。それが蓋を開けてみれば空振りに終わったとあっては、虚しすぎる!せめてサイトぐらい見ておくれ(笑)。https://www.city.toyonaka.osaka.jp/joho/kouhou/kouhou/koho_pdf/07.files/13_P44_P45.pdf


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貼り貼りして作ったタイトル文字。
夜中までかかって、気張って作ったのになあ。
ああ、やがて哀しき気晴らし工作💦




























大人になったら仕事に時間を費やして日々を送ることになります。仕事のことを書こうと思ったのは、先日会社勤めの人から仕事話を聞かされ、思うところがあったからです。「自分で問題解決をする気概が全くない人がいて…」とのこと。まあ、珍しい話じゃないですよね(笑)。そんな、いわゆる愚痴を聞いて、ふと私は20年ほど前の自分のことを思い出しました。私が会社勤めと絵本の仕事の二本立てをやっていた頃のことを。

初めての絵本の仕事は、言われたことだけをやっていたらいい、そんな仕事なわけがなかった!矢継ぎばやにアイデアを求められ、見えるようにして、きつい判断を下されました。絵本制作がやりたいことではあっても、そのやり方には不満がいっぱいあった。しかし私は従うしかなく、その枠内であってもわずかな創造性を駆使して、提案し協議しぶつかり、最終的に出版に漕ぎ着けたことを色濃く記憶しています。

同時期に会社でやっていた仕事では、先の話と全く同じような「気概のない人」と一緒に物事を進めていました。なぜ大人のやる気を起こすことにまで気を配って仕事をせねばならないのか、私は内心大いに怒り狂っていました。絵本の仕事で出版社から私に求められる姿勢と、会社で目の前にいる社員さんの労働姿勢とがあまりに乖離しすぎて、自分の中で分裂しそうでした。あれはしんどかった。しんどいながらに考えた。

仕事をするとき、大人は自分を使って、自分を開発し、自分を発見していかないと。気概とか意欲とか前向きとかいうものは、受け身のままでは見つけられない。生きがい?そんなの、到底無理!自分で考えず動かず、指示を待っているだけでは。そんな結論でした。間違っていなかったと思います。なぜなら絵を描き絵本を作ることの中で、受け身のままでできる仕事など何もなかったからです。生きがいを感じる仕事って、大抵そうじゃないでしょうか。

同じ仕事というワードに関して20年前に感じた大きな落差、狂うようなあの怒り。それをフリーで活動するようになってからは、感じることがなくなりました。自分の性に合っているのでしょう。一人であれこれやるのが。怒るのも喜ぶのも好きなだけ自由だし(笑)。少なくとも他人のやる気のなさは仕事の守備範囲外です。さて、件の気概のない社員さんですが、その人に何か掴んでもらうには、絵本を作る仕事をしてもらうのが一番いいのではないかと、私は話の相手にお勧めしました。


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ある社会や集団、組織から展望を持って自発的に脱する際に「卒業」という言葉を用いる事があります。「卒業」が意味するところは何なのでしょうか。「ここで学べることはしっかり学んだ」「次のステップへ上がるには環境を変えることが必要だ」「個のベクトルに従って生きると、いつまでも同じ場所にはいられない」等々。私の解釈が的確かどうかは疑わしいのですが、今まで自分が所属したところから出てゆくにあたって、割と未練なく去る印象があります。将来に対する明るい見通しを胸の内に持っているからでしょう。「卒業」の先に待っているのは、全てが船出です。私が文字通り学校から「卒業」したときも、その先にあったのは進学であったり就職であったりしました。後ろを振り返る前に、未来に繋がる予感に惹かれたものです。


「卒業」は聞き様によれば、今までの活動を見限った、過去を上から見下ろしたような傲慢さとして使うこともあります。その根底には、不本意から本意への変身願望があるような気がします。冒険心に満ちた若者は機会を見つけては「卒業」してゆきます。「卒業」を繰り返すことで本当に化けてゆく人もいれば、「仮卒業」を繰り返すだけで本意からどんどん遠ざかってしまう人もいるのでしょう。内なる「卒業」の瞬間がわかるのは唯一本人だけで、実際に決定し自分を先へ押し出すのも、本人にのみ可能です。学校の「卒業」のような形式的規範に則った団体行動ではなく、人生で自己を真っ当に生かしたい願いから生まれた「卒業」が理想だと思います。そのせいでしょうか、人の老いは「卒業」しないことから始まるような気がしてなりません。


(*日記No.727 2014年7月24日掲載のリメイクです。)  


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一番最近の卒業って、フルマラソンかなぁ。10年やったけど、もう二度と戻るところではない気がする。





















先日のこと。朝ご飯を食べながら朝刊をひろげていたら、第15回大阪こども「本の帯創作コンクール」の全面広告ページがありました。「へぇ〜」と思って見ると『ミカちゃんのひだりて』の書影が出ていたので「えっ?」読んでみると「本の帯創作コンクール」の課題図書に『ミカちゃん〜』が選ばれていた!ありがたいことです。日頃のアンテナが鈍いのか、私、新聞を読むまで全く知りませんでした。


本の帯創作コンクールの名前は知っていましたが、内容についてはまるで、、、というのが本当のところです。今回初めて新聞やサイトで詳しいところを知りました。応募は2部門あり、課題図書部門は低学年(1・2年生)の部、中学年(3・4年生)の部、高学年(5・6年生)の部が対象。自由図書部門は小学生全学年対象とのこと。課題図書はそれぞれの学年に6作づつ計18作品が選定されています。(詳しくは下記サイトをどうぞ。)

http://www.osaka-books.ne.jp/index.php?c=4-5


読書感想文を書くのが嫌いな人も、本の帯を作ることで、感想文とは違ったアプローチをしてくれるのではないか。主催者側のそんな意図も浮かんできそうですが、何にしろ読書推進を目的とされる企画なので、たくさんの応募者があることを願っております。そしてできれば『ミカちゃんのひだりて』を購読していただき、ネタにしてもらえれば言うことなしです(笑)。


今年の初めに当ブログで書いたことなのですが、子どもの本離れを憂う声はずっと以前からありました。帯のコンクールも、そのことに対する行政や、教育関係者・書店業界からのアクションであり、そのことになんら異議はありません。問題は別なところ、つまり子どもたちが実際に目にしている大人にあります。暇さえあればスマートフォンにのめり込んで、読書から遠く離れて行ってしまった人たち。まず「本の帯創作コンクール」に参加すべきなのは、そんな大人たちではないかと思うのですが。


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知り合いの絵本作家、おざわよしひささんの絵本デビュー作『おばけ おばけ おばけ !! 』が発売になりました。私も早速手に入れて読んでみました。な、なんじゃ、こりゃ?いたずら好きな子どもが何かをしでかすたびに、不気味なおばけがグニャグニャ飛び出してくる。怪談絵本に多い怖いがらせ演出は取っ払って、いたずら→おばけの反復攻撃!まさにタイトルにふさわしいおばけ満載、おばけ三昧の一冊になりました。おざわさんが和風の妖怪好きなのは知っていましたが、デビュー作で来るとは予想もしなかったな。

もともと筆(ペン、鉛筆を含む)と紙のタッチ数が多い画風のおざわさんですが、今回の作品は本人としたら幾分抑え気味に描いたのではないでしょうか。本の判型が大きいこともあって、見開き一画面を密集する空間と抜けの空間とにうまく描き分けています。ページが進むにしたがって、徐々に濃く密にグロく展開し、反復するうちに現実と異界との落差がなくなってくる。つまり本当に怖いのは、序盤の画面左側に集中している部屋の散らかり具合とか、父親の寝顔の静けさといった、ごく当たり前の日常風景なのだと思う。こういうのを描かせたら、この人は本当にうまい。

『おばけ おばけ おばけ !! 』が成功している理由のひとつに、紙の選択があると思う。キャンソンかマーメイドだと推測するのですが、紙の表面の凹凸をわざと浮かび上がらせるように色鉛筆を使っている箇所と、絵の具の薄塗りでそれを消している箇所が混在していて、その効果が抜群です。色合いも含めて塗りが統一されているから、読者は紙の凹凸を記号として、ひたすら読み進んで行けるのではないでしょうか。タッチ数を少なくして一冊を仕上げること、これは本作を遂行する上で難題だったと思いますが、紙の特性を味方につけて乗り越えたと感じました。

2011年3月に三重県津市であった大規模な絵本原画展「みえの絵本作家展」で、私はおざわさんとご一緒させていただきました。「靴は泥だらけであるべきだ」を座右の銘とされている通り、寡黙でストイック、辛抱強さ、粘り強さ、芯の強さを持っている作り手さんだと感じていました。(私の真逆ですわ。)その後、結婚をはじめとした生活環境の変化はあっても、絵本を出版することへの情熱は変わらなかった。それだけにこのデビュー作は、同業者として胸が熱くなる思いです。これでおざわさんの肩の荷が少しは軽くなることを願っております。

『おばけおばけおばけ !! 』(岩崎書店)は、一般書店ならびにウェブ上で¥1,300(税別)にて絶賛発売中です。これからの夏の怪談シーズンに向けて、是非とも購入されることをお勧めします!




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子どもの目、ちょいとイってます…






















日中にベランダの掃除を気張ったせいか、腰のあたりが重いです。この分だと今晩はよく眠れそう。
これは私の感覚なのですが、いい眠りを享受したいなら、寝る直前にパソコンを眺めるべきではないと思います(テレビも同様に)。あの発光物体の刺激+情報の刺激を浴びた後、脳は幾ばくかの興奮状態にあるわけで、そのまま簡単に睡眠へ移行できるほどに、私らの脳は切り替え上手ではないと思う。良質の睡眠は助走段階から整えておかないと、簡単にはやって来ないのではないかと考えます。
それと、疲れを積極的にゲットすることも、無視できない方法だと思えます。今日のベランダ掃除はなかなかの重労働だったので、いい助走になるに違いないと踏んでいます。あとはこのパソコンを消して眠くなるのを待つだけです。
というわけで、蔵出し画像40回目です。


「南西諸島」

               
「絵本の中の島」

             
「プール」


        
「位相5」

                 
「ごちそう」

 
「トンネルを抜けると入江だった」
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「万華鏡2」
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「夜道」
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「East L.A.」
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「電線の街」
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「native woman」

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「ケルン」
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「ツチノコ人形と月夜」
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「おかかのおにぎり」
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「北へ向かう」
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長らくのご無沙汰でした。<ロッテ歌のアルバム>の玉置宏さんみたいですが、読者の皆様、お元気でしょうか?健康だけが取り柄の私は、いつもと同じように、朝6時に起きて夜12時に寝て、その間に絵を描いたり食べたり運動したりして、何も変わることにない日々を過ごしています。ブログの更新が途絶えていた理由は、単に野暮用と締め切りが重なって身動きが取れなかったから、だと思います。それでも、書く気になれば書けたでしょうに。更新が今日まで後回しになったのは、気の入り方が弱かったのです。要はやる気が足らなかったのです。

丸十年以上当ブログを続けてきて、こんなに間が空いたことはなかったです。いったん離れたら、離れた状態が常態化してしまいました。好きでやっているだけに、括りの弱さが露呈して、それでしばらく放置のままになったのです。丸々23日間も不在だなんて、嘘みたい。その分、これからの更新を密にしたいものです。

今週は夏の前触れがやってくるそうで、日中は強い日照りが続く模様です。今日からぼちぼち夏支度をしようと思っています。一日ではできないので、少しずつ進めないと。毎年この時期には長い夏の暑さを恐れて、支度に追われます。一体いつからこんなに夏を怖がるようになったのか。

お昼ご飯の後、消化を兼ねて、読書をしています。これが目下のところ、最上級の至福の時間。読みたい本は常時5冊ほど貯まっているので、物語の海で遊ばせてくれる相手は心配いりません。問題は時間かな。先日とある本屋さんで店員さんとお話しした際に「読書する人口が減っているのは、言い方を変えれば、読書が時間の奪い合いで他の娯楽に負けているということだ」という発言を聞くことができました。なるほど。定まった時間の割り振りが、人から読書を遠ざけているという説は、妙に納得のいくものでした。

今日はこの辺にしておきます。一度にドサっと書いたら、また間が空いてしまう(笑)。

 
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たまに人の所作を眺めていて「あ、この人、嬉しそうにやってるなあ」と感じることがあります。遊びでも仕事でも何でも。表情でわかる?声でわかる?物腰でわかる?うん、そうそう。高揚するときには、人は何かしらを漂わせる生き物なのでしょう。それが見ているこちらの口や耳や鼻の穴から、体内へ入ってくるんじゃないでしょうか。好きで好きでしょうがないの部類になると、知らないうちに周囲を巻き込んで触発したりしますから、楽しむという感情は薬物のような作用を含んでいるのかもしれないな。


突発的に心の火が燃え上がるような楽しさは、なにしろ勢いが違う。若い頃はそんな引火がなければ、本当の喜びには到達できないと思っていました。さすがに今は、そこまで極端なことは頻繁にはないと考えます。むしろしっかり準備をして、気持ちを整えて、計画に沿って達成できる喜びを望んでいます。その中で、予測通りと予測外が混じり合った過程に身を置くわけです。結果が期待したものでなくとも、某か充実した時間が過ごせれば、おそらく次の局面へ向かう姿勢も背筋がキリッと伸びたものになっていることでしょう。


私は朝起きたときに、今日は何で楽しむのですか?と自問する癖があります。そうしないと、身体が前へ進んでゆかない質なのです(つまり寝床から起きれない!)。些末な出来事に煩悩を抱えていたとしても、行き先に何か楽しいことが待っていると考えただけで、全てO.K.になってしまうことが多い多い!先々の不安を始終実感していないと落ち着かない、といった類いの悲観論者によく出会います。現代的な風潮というよりも、昔からそういう人たちは絶えず周囲にいました。そしてよく皮肉られたものです。「毎日楽しそうで、結構なことだ」なんて。


困難に耐える力は、確かに人を強くすると思います。それと同じぐらいに、楽しみを見つける継続力は、生活に張りや艶を自製させます。楽しむことは弛緩の上だけではなく、大いなる緊張の上にも生み出されます。楽しみ尽くした後には、感情は柔軟性に富んだ繊細な筋肉のようになっているのではないでしょうか。再び喜びに浸れることを目標に、目の前のひとつひとつをこなしてゆく。そんな反復の強靱性を、楽しむ力は養ってくれると感じます。そして楽しむことは、人から学べる最初の教えでもあったと、今思い出しました。

(*日記No.708 2014513日掲載のリメイクです。)


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一昨日、個展『えかきむしの世界』は無事終了いたしました。お越し下さった皆さん、どうもありがとうございました。天候にも恵まれ、毎日笑い声の絶えない展覧会になりました。たくさんの出会いがあり、まだ自分の中で十分な消化ができた気がしないです。明日あたり、間違って会場のYosugaさんへふらっと行ってしまいそうです(笑)。それぐらい居心地のいい、人の出入りが多いナイスな空間でした。

いつもの新作オンリーの個展と違い、今回は旧作メインの内容だったのでD.M.は作らず、広報はフェイスブック、ブログ、ツイッターといったSNSと、地元の人への口コミだけ。にもかかわらず連日たくさんのお客さんが来てくださり、盛況のうちに幕となりました。このことはいかにお客さんの反応が良かったかを物語っています。それと同時に良質の発信者となって二次観覧者を呼び込んでくださったのです。なんとありがたいことだろう。

この10年ほどの間、私の個展の場になっているのは、大阪の西中島南方にある海月文庫さんです。ここを起点に、合間であちこち展示をさせてもらっているのですが、今回の個展は今まで味わったことのない感覚を体験できました。会場のYosugaさんが立地する大阪市生野区猪飼野の街の風土と、オーナーであるAさんのビジョンによるものだと思います。

今から1600年もの大昔より、朝鮮半島の文化的先進者を迎え学んできた土地であり、今日も多くの在日朝鮮民族と日本人が共栄共存する街、猪飼野。歴史的政治的な対立、差別や偏見の中で生きてきた街、猪飼野。YosugaオーナーのAさんは、小学校教師を30数年されてきて、キャリア最後の学校が猪飼野にあり、この地で教育につながる様々な支援活動に身を投じて来られた人です。

Aさんが教職を退かれる前から、私は聞いていました。地域の子どもたちを真ん中に据えて、いろんな人が様々な発表や発信、議論、集いが持てる場を作りたいと。確かに理想的ではありますが、云うは易し行うは難しです。そう若くもないAさんに(失礼!)本当にできるのだろうか。私は正直に申しまして半信半疑だったです。そして昨年の5月、まちの拠り所〜Yosuga〜は走り出しました。

4月17日からの一週間の個展期間中、毎日Yosugaさんに通って、私は感嘆しました。ビジョンが現実に目の前に姿を現している。子どもや街の人が頻繁に顔を出してくれる。支援活動のミーティングが自然発生する。問題意識は共有され、企画のアイデアが泉のように生まれる。大きなお金に頼らず、知恵と協力で少しでも前に進む。子どもたちの将来のために、今できることをやってゆく。私がギャラリーで毎日目にしたのは、そういう光景でした。

無事個展が終わった今、どういう理由で自分がYosugaさんで展覧会をやったのかが、おぼろげながらわかってきました。それを言葉で表すのは難しいですし、Aさんが私に望んでおられことを、今回の個展でできたかどうかもわかりません。ただ、実感として言えることがあります。Yosugaさんでの私の個展は、トーナメント制ではなく、リーグ戦になるということです。

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画像は、まちの拠り所〜Yosuga〜さんのフェイスブックよりお借りました。