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カテゴリ:絵のこと( 857 )

この夏が始まる直前に、部屋着(というより作業着)をユニクロで仕入れて使っています。絵の具を使う際には、遠慮は無用とばかりに、着用しているものがよく絵の具だらけになります。今回買ったものも、知らないうちになぜか股間に赤い絵の具が付いています。おかしいなあ。誰が勝手に付けたんだろう(笑)?

夏場の作業着はまだいいんです。冬のものは袖がもう哀れです。ユニクロで買ったヒートテック、どれもこれも全部右手の袖や肘が絵の具だらけで、見るも無残です。荒っぽく使っているわけではないのですが、絵の具でカピカピになった衣類を見ると、すまねぇなあと思います。

絵の具の中でもアクリル絵の具は厄介です。一度付くと、なかなか取れない。生地によっては簡単に取れるものもありますが、私の持っているヒートテックは古いタイプのも多くて、絵の具の染み入り具合がいいのか、何度洗濯をしても取れないので諦めました。まあその方が、汚したっていいやと、リラックスして使えるし。

絵の具が服に付くぐらいは、使っていれば普通にあることです。もう随分前のことですが、午前中に気張って作業を進めて、自分でも納得の行くところまでできたので、服を着替えて食事&買い物がてら外出をしたことがありました。お昼は王将で食べ、スーパーで買い物をして、そのあと喫茶店にてコーヒーで一息。

家へ戻って、さあ、午後も気張るぞと洗面所へ手を洗いに行った時、鏡を見てびっくり!口元の右下辺りから右の頬を通って、右目の真横辺りまで、緑色のアクリル絵の具で、派手にフェイスペインティングされていたのです。誰が描いた?あ、私か…。絵の具と筆をどう使ったらこんなことになるんだろう。

この顔で外出して、王将でカウンターに座ったのか。スーパーのレジの人、なんて思っただろうな。そういえば喫茶店では、誰も近寄って来なかったような気が…。あのやらかしは、今も思い出すだけで赤面してしまう。同じようなことを何度もやっていないかどうか、時々不安になりますよ。


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大阪府教育庁が主催するオーサービジット事業という企画が毎年あります。数名の児童書作家を大阪府下の小学校に招いて、あらかじめ著作を読んでもらった上で、その著者と会うという企画です。この催しに昨年度は光栄にも参加させていただき、大阪府下の児童たちにお会いすることができました。うれしかったし、楽しかったなあ。

昨年度で私の役目はおしまいだと思っていたのですが、驚いたことに今年も声をかけていただき、令和元年のオーサービジット事業のメンバーに加えてもらいました。二年続けての作家さんはあまりいないと思います。しかも私の場合、課題の作品が昨年と同じ『ミカちゃんのひだりて』なので、少々恥ずかしい気がしています。ま、黙ってりゃわからないだろう(笑)。

選出された作家さんの本を大阪府下の小学校の生徒さんが読んで、是非うちの学校来てほしい!となったら、招待状を作成してくれるのです。昨年は4通いただきました。その中から一つの学校を選んで、日取りを決めて訪問するという段取りです。来てほしいというリクエスト、たくさんあればいいな。ゼロだったら辛いな〜(笑)。大阪府の小学校のみんな、よろしく頼むぜ♪


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選んでもらってこんなことを言うのもなんですが、このチラシのセンス、ちょっとどないかなりません?伝えるべきことがちゃんと伝わるように整理しないと。大阪府教育庁の美的感覚を侮られます。


























何年か前に、f.b.にお墓の掃除のことを書いたことがあります。こんな内容でした。

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実家のお墓は山の中腹にある。街中にあるお墓と違って、田舎の墓地なので、獰猛な蚊や蜂がうようよ。最近では熊も出るらしい。プラスこの暑さ。毎年お盆前のお墓掃除とお盆のお墓参りには、万全の準備で臨まないと痛い目に遭う。今どきのピカピカの墓石ではなくて、苔満載の古〜いお墓である。雑草もタフで、除草剤を撒いてもそう簡単には枯れない。しかも近場に水がないので、山のふもとの水道までバケツ二つを抱えて何往復もするから、立派なトレーニングだわ、これは。今年も汗をかきかき、なんとか役目を終えた。帰りに飲んだイオン水は、ちょっと草の味がした。
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今年も同じように行ってきました。ヤブ蚊に悩まされ、尋常でない汗をかき、雑草と格闘してなんとか終えました。お墓に覆い被さるような雑木の枝を、毎年少しづつ切っていたのですが、今回幹から枝分かれしたところをバッサリ切り落としたら、随分空間がひらけた気がしました。これで落ち葉も減るだろうな。

いつもと同じことを繰り返しているようですが、様子が少しずつ変わってきていることもあります。山の道中にある荒れ果てた無縁仏の数が毎年増えてゆくのです。事情もあるだろうし、確かに不便な場所にあるお墓なのですが。幼い頃から通い慣れた山道と自然の中で、年に一回だけの掃除をするぐらいのことは、まだ私にはできそうです。

お墓の手入れをして守ることを避けるのが、今の風潮のようです。便利便利で全て良し、そこからはみ出る墓掃除、敢えてせずとも生きられる、と。確かに、墓掃除はスマホではできないだろう。そんなことを考えて下山していたら、明らかに業者さんと見られる一行が、ある区画のお墓掃除を一手に引き受けて行なっていました。墓掃除の代行業務でした。知らなかった。現実にいろんなことが変わってきているのですね。


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その日外出先でお昼を食べようと思って、出先近所の商店街をウロウロしていたら、自然派カフェを売りにしたこじんまりしたお店があったのです。揚げ物料理が続いていたので、油っぽい食事は外したかった。暑かったこともあって迷わず入りました。自然派ですから間違いないと思って。

お店の中は木の風合いを生かした作りで、ロハス趣味全開で。クーラーも程よく効いて快適な空間です。カウンター席に座って日替わりランチを注文。夏バテする前にしっかり食べて栄養を摂らないと。お盆に載って出てきた小皿料理とご飯、味噌汁、それにメイン料理のお皿。ああ、やっとお昼にありつける。

一口味噌汁を飲んで?となったのです。これ、エラく味噌濃いな。自然派テイストは薄味と決めてかかっていたので、少し驚きました。もう一口飲む。いや、ちょっと、これ、濃すぎるで。かわなわんな。玄米ご飯を食べて、次はメインの豚肉と野菜の塩炒めを。ううっ、塩の量多過ぎやて、これ!

具材の量に対して塩が無茶に多い。こんなん塩味と違う、塩責めや。この店、大丈夫かいな。頼むで、しかし。そう思ってマカロニのサラダを。うぐっ、カ、カレー辛い!お、おい、どんだけカレー粉をまぶしとるんじゃ。辛口どころやないぞ、これ。飯を食べないと、濃い味付けばかりで、舌と喉がおかしなる。

自然派で食材の原産地にもこだわったお店やいうのはわかるけど、味付けが全然自然派やあらへんがな。人に厳し過ぎるで。食べてる最中から、どんだけ水飲まなあかんねん。勘弁してくれや、もう。我慢して食べてるけど、後で喉が滅茶苦茶乾くやろなあ。今は真夏やで。殺生やわ、こんなん。

最後にデザートで抹茶プリンを。これはなんぼ何でも大丈、う!ううっ、ちょ、ちょっと、これ、お砂糖どんだけ入れてはるんですか?なんで、こんな甘せなあかんの?この店の持ち味か?普通はないんか?虐待とどう違うんや?どこが自然派やねん、出てくるもん全部体に悪いやないか!

斯くして、二度と来る事は無いと思いながら、ニコニコのんびり笑顔の店員さんにランチ代1000円をお支払いして、自然派カフェを出たのです。帰り道、予想通り喉が渇きに乾いて、自販機で二回水分補給をする羽目に。誰ですか、自然派だから間違いないなんて。ええ加減な。まあ、今日のとこはこの辺で勘弁しといたろ💦



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大阪なんばにある絵本カフェholoholoさんが、この7月いっぱいでお店を閉じられます。絵本好きの人、喫茶好きの人、スウィーツ好きの人、ライブ好きの人、何よりholoholo好きの人にとってはなかなか堪える月末です。公式サイトにその旨を掲載されていますので、初めて知ったという人は確認してみてください。ガセネタではありませんから(笑)。

私も喪失感を感じます。初めてholoholoさんへ行ったのは2010年9月でした。2009年末に『おこのみやき』(文・ひぐちともこ 絵・中川洋典 解放出版社)という絵本が出版され、大阪市や吹田市の本屋さんで巡回形式の原画展がありました。その中の一つがholoholoさんでした。確か、出版社の編集者さんがお店の方と知り合いだったような、、、。まあ、そんな仕事絡みの?理由で訪れた場所だったのです。

お店で店長さんやスタッフの方々とお会いしたとき、このお店は続くと直感しました。店内での接客や調理といった働く姿が凛としていました。私が大っ嫌いな、客とのダラダラした馴れ合い営業が全くない店だったのです。そのことがとても素敵だった。原画展がきっかけだったとしても、遅かれ早かれ私はholoholoさんへ吸い寄せられていたと思います。マナーの行き届いた細やかな接客と美味しい食事は、とても魅力的でしたから。特にオムライスは一押し!私にとっては、絵本カフェというよりオムライスカフェだったかも(笑)。

holoholoさんで印象深いのは、何といってもワークショップをさせてもらったことです。(調べてみたら計6回も!)お店のスタッフの皆さんが肩のこらない雰囲気を作ってくださったおかげで、やる側にとっては居心地のいい作業場のノリで取り組めました。特に旗作りのイベントはその時期の自分の出版物販売と合わせて、隔年行事として私の中に組み込まれていました。出来上がった旗はお店の天井から吊り下げてもらい、2年間holoholoさんの店内を賑やかにざわつかせてくれました。いい想い出です。

個展をやれば足繁く通ってくださり、絵本が出れば買っていただく、ふらっとお店へ寄れば、最高の笑顔で迎えてもらえる、なんば方面に足を向けて寝れないぐらい私はholoholoさんのお世話になっていたのです。絵本カフェholoholoさんが11年間に渡って愛されてきた理由がそこにあります。効率優先・合理主義・拝金思想が跋扈する今の世の中で、作法や風紀の乱れに一切染まらず、人間的家族的な温もりのある実直な姿勢を貫いた。だから失うとわかって、こんなにありがたみを実感するのでしょう。このお店と出逢って、私は絵本を描いていて本当によかったなと思いました。


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思い出したように掲載している<えかきむし蔵出し画像>。
今回の作品の中に「カッコーの巣の上で、チーフはいったいどこへ行った」というタイトルのものがあります。『カッコーの巣の上で』とは1975年のアメリカ映画で、本国でも日本でも大いに話題になりヒットしたので、ご存知の方も多いと思います。(作品説明は省きます。)ラストシーンで、ジャック・ニコルスンが演じるマクマーフィーを窒息死させたチーフ(ウィル・サンプソン)が水飲み台を持ち上げて窓にぶつけて壊し、精神病院から脱走してゆきます。若い時分は、このラストに、自由を求める人間の意志を見て頷いたものです。
数年前に久方ぶりにこの映画を鑑賞しました。そして思った。チーフはあの後、いったいどこへ行ったんだ?おそらく彼は、どこへも行っていないのではないかと。彼は逃げたのではなく、一回りして、戻ってきたのではないかと。
初見から40年ほど経って、映画を通して見える世の中が大きく変わってしまった。そんなことを感じた作品でした。

梅雨時の蔵出し画像41回目です。


「イソギンチャクたち」
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「グニャセン」
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「大山からの帰り道」
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「皺だらけの金網」
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「ブーチーのグラサン」
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「作品展2」
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「青い門」
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「書物で知り 行動で学ぶ」
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「フルチン(フリチン)」
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「掛け布団」
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「池には金魚が」
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「木漏れ日」
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「カッコーの巣の上で、チーフはいったいどこへ行った」
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「奥穂高の流れ星」


「お弁当箱散らかった」
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何某かの締め切りがあると、それをクリアしないうちは大きな気晴らしは難しいです。かといって、締め切りや納期にだけ沿って生きていたら、自分の生活やリズムなんか簡単に狂ってしまう。どこかで効果的な息抜きを入れ、うまくやりくりして生きてゆかないと。

SNSを見ていると、なんとも羨ましい休日やOFF会などの気分展開模様を目にします。鮮やかな画像と弾ける文字で楽園気分が伝わります。私も一度くらい、その手の内容で、当ブログを更新してみたいものです。でもそんな機会もあるでなし、それでは上げようもないか(笑)。

先日のこと。私の住んでいる市が発行する広報誌の、リレーエッセーのコーナーに寄稿掲載をしてもらいました。名前や顔写真が載っているので、ローカルながら見た人からは反響があるに違いないと思っていました。これはこれでいい気分転換になるぞと決めつけていましたよ、私は。

その広報誌は6月末に各戸に配布されたのですが、びっくりするぐらいに反応がない。無風。初老のおっさんがたまたま広報誌に載った、そんなところでした。トホホ…。気分転換を期待していたのに、これではいつもとなんら変わらぬ同じ日常じゃないか。

しかし考えてみれば、その寄稿も締め切りを乗り越えて提出したものでした。文章を書き、タイトル文字を作り、誌面に載せる画像を用意して、自分で気晴らしの素を作って仕込んでいたわけです。それが蓋を開けてみれば空振りに終わったとあっては、虚しすぎる!せめてサイトぐらい見ておくれ(笑)。https://www.city.toyonaka.osaka.jp/joho/kouhou/kouhou/koho_pdf/07.files/13_P44_P45.pdf


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貼り貼りして作ったタイトル文字。
夜中までかかって、気張って作ったのになあ。
ああ、やがて哀しき気晴らし工作💦




























大人になったら仕事に時間を費やして日々を送ることになります。仕事のことを書こうと思ったのは、先日会社勤めの人から仕事話を聞かされ、思うところがあったからです。「自分で問題解決をする気概が全くない人がいて…」とのこと。まあ、珍しい話じゃないですよね(笑)。そんな、いわゆる愚痴を聞いて、ふと私は20年ほど前の自分のことを思い出しました。私が会社勤めと絵本の仕事の二本立てをやっていた頃のことを。

初めての絵本の仕事は、言われたことだけをやっていたらいい、そんな仕事なわけがなかった!矢継ぎばやにアイデアを求められ、見えるようにして、きつい判断を下されました。絵本制作がやりたいことではあっても、そのやり方には不満がいっぱいあった。しかし私は従うしかなく、その枠内であってもわずかな創造性を駆使して、提案し協議しぶつかり、最終的に出版に漕ぎ着けたことを色濃く記憶しています。

同時期に会社でやっていた仕事では、先の話と全く同じような「気概のない人」と一緒に物事を進めていました。なぜ大人のやる気を起こすことにまで気を配って仕事をせねばならないのか、私は内心大いに怒り狂っていました。絵本の仕事で出版社から私に求められる姿勢と、会社で目の前にいる社員さんの労働姿勢とがあまりに乖離しすぎて、自分の中で分裂しそうでした。あれはしんどかった。しんどいながらに考えた。

仕事をするとき、大人は自分を使って、自分を開発し、自分を発見していかないと。気概とか意欲とか前向きとかいうものは、受け身のままでは見つけられない。生きがい?そんなの、到底無理!自分で考えず動かず、指示を待っているだけでは。そんな結論でした。間違っていなかったと思います。なぜなら絵を描き絵本を作ることの中で、受け身のままでできる仕事など何もなかったからです。生きがいを感じる仕事って、大抵そうじゃないでしょうか。

同じ仕事というワードに関して20年前に感じた大きな落差、狂うようなあの怒り。それをフリーで活動するようになってからは、感じることがなくなりました。自分の性に合っているのでしょう。一人であれこれやるのが。怒るのも喜ぶのも好きなだけ自由だし(笑)。少なくとも他人のやる気のなさは仕事の守備範囲外です。さて、件の気概のない社員さんですが、その人に何か掴んでもらうには、絵本を作る仕事をしてもらうのが一番いいのではないかと、私は話の相手にお勧めしました。


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ある社会や集団、組織から展望を持って自発的に脱する際に「卒業」という言葉を用いる事があります。「卒業」が意味するところは何なのでしょうか。「ここで学べることはしっかり学んだ」「次のステップへ上がるには環境を変えることが必要だ」「個のベクトルに従って生きると、いつまでも同じ場所にはいられない」等々。私の解釈が的確かどうかは疑わしいのですが、今まで自分が所属したところから出てゆくにあたって、割と未練なく去る印象があります。将来に対する明るい見通しを胸の内に持っているからでしょう。「卒業」の先に待っているのは、全てが船出です。私が文字通り学校から「卒業」したときも、その先にあったのは進学であったり就職であったりしました。後ろを振り返る前に、未来に繋がる予感に惹かれたものです。


「卒業」は聞き様によれば、今までの活動を見限った、過去を上から見下ろしたような傲慢さとして使うこともあります。その根底には、不本意から本意への変身願望があるような気がします。冒険心に満ちた若者は機会を見つけては「卒業」してゆきます。「卒業」を繰り返すことで本当に化けてゆく人もいれば、「仮卒業」を繰り返すだけで本意からどんどん遠ざかってしまう人もいるのでしょう。内なる「卒業」の瞬間がわかるのは唯一本人だけで、実際に決定し自分を先へ押し出すのも、本人にのみ可能です。学校の「卒業」のような形式的規範に則った団体行動ではなく、人生で自己を真っ当に生かしたい願いから生まれた「卒業」が理想だと思います。そのせいでしょうか、人の老いは「卒業」しないことから始まるような気がしてなりません。


(*日記No.727 2014年7月24日掲載のリメイクです。)  


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一番最近の卒業って、フルマラソンかなぁ。10年やったけど、もう二度と戻るところではない気がする。





















先日のこと。朝ご飯を食べながら朝刊をひろげていたら、第15回大阪こども「本の帯創作コンクール」の全面広告ページがありました。「へぇ〜」と思って見ると『ミカちゃんのひだりて』の書影が出ていたので「えっ?」読んでみると「本の帯創作コンクール」の課題図書に『ミカちゃん〜』が選ばれていた!ありがたいことです。日頃のアンテナが鈍いのか、私、新聞を読むまで全く知りませんでした。


本の帯創作コンクールの名前は知っていましたが、内容についてはまるで、、、というのが本当のところです。今回初めて新聞やサイトで詳しいところを知りました。応募は2部門あり、課題図書部門は低学年(1・2年生)の部、中学年(3・4年生)の部、高学年(5・6年生)の部が対象。自由図書部門は小学生全学年対象とのこと。課題図書はそれぞれの学年に6作づつ計18作品が選定されています。(詳しくは下記サイトをどうぞ。)

http://www.osaka-books.ne.jp/index.php?c=4-5


読書感想文を書くのが嫌いな人も、本の帯を作ることで、感想文とは違ったアプローチをしてくれるのではないか。主催者側のそんな意図も浮かんできそうですが、何にしろ読書推進を目的とされる企画なので、たくさんの応募者があることを願っております。そしてできれば『ミカちゃんのひだりて』を購読していただき、ネタにしてもらえれば言うことなしです(笑)。


今年の初めに当ブログで書いたことなのですが、子どもの本離れを憂う声はずっと以前からありました。帯のコンクールも、そのことに対する行政や、教育関係者・書店業界からのアクションであり、そのことになんら異議はありません。問題は別なところ、つまり子どもたちが実際に目にしている大人にあります。暇さえあればスマートフォンにのめり込んで、読書から遠く離れて行ってしまった人たち。まず「本の帯創作コンクール」に参加すべきなのは、そんな大人たちではないかと思うのですが。


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