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カテゴリ:音楽えかきむし( 108 )

大衆芸術をやっている作家は、何によって作品を評価されるのか。作品のクオリティか?ファンの情愛の深さか?ネームバリューのある評者の言説か?単に売上か?それとも…。タジ師匠の音楽を追いかけて、私はいつもこの疑問にぶつかって、自問します。というのも第40回グラミー賞で、師匠が最優秀コンテンポラリー・ブルース・アルバム賞を受賞した後、急に黒人ブルーズの伝統を引き継ぐミュージシャンとして評価され始めたからです。間違ってはいないですが、根拠がいかがわしい。グラミー賞という角砂糖に群がるアリを連想しました。受賞をしていない音楽には価値はないのでしょうかね。

1993年にタジ師匠は、ソウルやブルーズの有名作品のカバーを中心としたアルバムDancing The Blues』を発表。当時はその手の懐古的な趣のアルバムを作り売るのが流行っていたこともあって、正直言いまして「なんで?」と思ってしまった私でした。内容はもちろん良かった。意外なぐらいにストレートなカバーも、エタ・ジェイムズ(元気一杯の唄声!)やビル・ペイン&リッチー・ヘイワードらのゲスト陣との華やかな共演アルバムでした。1996年に『Phantom Blues』1997年に『Señor Blues』と三連作のシリーズになったぐらい、ノリノリの企画でした。

これまでの師匠のアルバムは、多様な音楽をグツグツ煮込んで、あのスモーキーな声とミシシッピ・ナショナル・スティールボディド・ギターの音色でまとめ上げたものが多かった。それに比べて、この三連作はコンパクトに仕上げてある分、シンプルでわかりやすかった。『Señor Blues』が第40回グラミー賞を受賞したことで、師匠をこの手のカバーミュージシャンだと勘違いする輩も多くて、もう情けない限りでした。Señor Blues』が受賞するなら、師匠はこれまで5〜6作は受賞してもおかしくないアルバムがあるのですから。音楽は何によって評価されるのかを、声を大にして問いたかったです。

しかしタジ師匠の偉いところは、賞に寄りかかったりしないところです。大衆音楽のメインストリームにどっぷり浸かってもおかしくない状況で、1998年Sacred Island(with The Hula Blues Band)』、2003年Hanapepe Dream』と、しっかりオルタナティヴなハワイアン作品を出している点です。これぞタジ師匠という面目躍如たる内容に、拍手喝采を送ったファンは多かったと思う。その後も2005年『Mkutano』、2008年『Maestro』と安定した製作活動を展開、共演アルバムやサントラを含めたら、一体何枚のアルバムが出ているのか?まさしく驚異の77歳です

師匠のスタート地点はブルーズだった。そこからリズム&ブルーズ、ブルーグラス、レゲエ、アフリカの伝統音楽、ジャズ、ケイジャン、カリビアンサウンド、ハワイアンなど、様々な音楽要素を取り込んで咀嚼消化し、血肉に変えて音楽活動を行ってきました。変化こそがタジ・マハールというミュージシャンの生命線だと言ってもいいでしょう。この特集では敢えて避けましたが、ライ・クーダーとの接点やお互いを意識し合ったようなアルバム製作合戦も、二人の大きな音楽スケールから見れば、小さな箱庭の中の出来事だったように思えます。両者が今作っている音楽作品の素晴らしさこそが、何よりも雄弁です。

最後にあるエピソードを。故ローラ・ニーロが生前のインタビューでこんなことを語っていました。彼女がまだ駆け出しだった十代後半の頃、ニューヨークのフォーク・ソサイエティのカフェでライブを行った時のこと。ステージに向かう階段が楽屋代わりだったそうで、ローラの一つ前の出番を待つ背中の大きな黒人ミュージシャンが、緊張のあまりギターを抱えてガタガタ震えていたそうです。「それが、あのタジ・マハールだったのよね(笑)
いつもユーモラスで余裕たっぷりのタジ師匠が!
もう50年以上も前の、ずいぶん昔の話です。

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この人には何かしら、知性を感じる。いろんなことを知っていて、たくさん経験して、数多くの出会いがあって。それらを何一つ無駄にしていない、そんな生き様を感じる。人が人生の中で会得できる品格とは、そういうものなのではないだろうか。



























タジ師匠のアルバムを聴くと、同じ曲を何度も録音し直して発表していることに気がつきます。コロンビアレコード時代は、契約上多くの作品を発表せねばならなかったようで、枚数稼ぎの苦肉の策だったのかもしれませんが、他社に移った後も同じことをやっている。これは推測ですが、曲の良さを十分に引き出せているかどうかに関して、師匠自身の納得がそうさせているのでは。コマーシャリズム最優先の音楽業界で、作品を何度も温め磨き発表し直す毅然とした姿勢に、私は痺れます。本来はそうであってこその作品だと、師匠は背中で語っているのです。

1974年にタジ師匠は、後に繋がる一本の道筋を見つけた作品を発表しました。その名も『Mo' Roots』。レゲエをふんだんに取り入れた内容は、ここから続くカリブ海シリーズの幕開けとなりました。(管楽器奏者ルーディ・コスタの名が。)翌年の『Music Keeps Me Together』では、より広い視野を持った景色が拝めます。ベースに盟友レイ・フィッツパトリックが参加。このあたりのメンバーの集まり方はゾクゾクします。そしてデビュー以来間違いなく最高の作品『Satisfied 'N Tickled Too』を発表し、コロンビアレコードを去ることになります。

なんでもマネージャー(タジ師匠の実弟)の話によると、コロンビアレコードは師匠の音楽性とアルバムの売り方を全く分かっていなかったとのこと。確かに内容の良さに比べて、現存するチャート記録を見ると、首を傾げてしまいます。いくら力作秀作を連発しても、それに対する反応の無さに苛立ちを隠せなかったことでしょう。かくして師匠は契約満了を持ってワーナーブラザーズへ移籍することに。そして1976年についに大金字塔アルバム『Music Fa' Ya (Musica Para Ti)』を発表したのです。

私は初めて聴いたタジ師匠のアルバムが『Music Fa' Ya (Musica Para Ti)』でした。心が溶けてしまうようなメロディ、各楽器演奏の素晴らしさ、ゆったりしたリズム、師匠のスモーキーな唄。全てが完璧で、一発K.O.されましたよ。あまりの衝撃と満足感ゆえに、初聴きから数年間、師匠の他のアルバムを全く買わなかったぐらいです。今なお師匠の最高傑作であり、すべての音楽ファン必聴の一枚です。いくら褒めても褒め足りないな(笑)。ロバート・グリンリッジのスティールパンが効いており、この時点で最高のメンバーが出揃った感あります。

移籍して第一作目にこれだけのものを作った。それがセールス的に失敗だったと判断された。師匠の心中は穏やかではなかったことでしょう。翌1977年に映画サントラ『Brothers』(←これも珠玉の逸品があるある!)を挟んで、同年Evolution (The Latest)』を発表。ワーナーブラザーズの首脳陣は出来栄えは良くとも、とにかくセールスを成功させようと、あれこれ手(と口と金)を出したわけです。結局はこれも振るわず。相当なストレスを抱えたであろう師匠は、ここから実に10年もの間、リーダーアルバムを出さなかったぐらいです。

1987年に久々のアルバム『Taj』が発表されました。今もそれほど評価はされていませんが、ライブ活動はしっかりやっていたようで、唄や演奏のクオリティは全く落ちていない。フランス政府による水爆実験に対する告発ソングも盛り込まれており、正常な地球人としての意識には一切ブレがありませんでした。90年代に入り『Like Never Before』を経て、師匠は古いソウルやブルーズを現代流に解釈した作品と、後に居を構える地の音楽であるハワイアンミュージックに接近した作品との、二車線走行を走り出すことになります。結果的にこれが吉と出ました。



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これまた裏ジャケ「『Music Fa' Ya (Musica Para Ti)』のメンバー写真。タジ師匠の創作クオリティが絶頂だった時期に、よくぞこれだけのメンバーが集まってくれたものだ。師匠の頭の中に流れている音楽を、外に引っ張り出しすことに長けた音楽家ばかり。誰一人欠けても、あのサウンドと精神的な余裕は生まれなかっただろう。






























米国ブラックミュージックの世界。裾野は広く、歴史は長く、底は深く、水脈は無数。二十代の後半になって、私は古いソウルやリズム&ブルーズを好んで聴くようになりました。当時の(1980年代の)ロックやポップスにはどうしても馴染めなかったし、ラップやヒップホップに心酔するほど私の耳は若くなかった。何が一番心地いい音楽なのかを探したら、それが古いブラックミュージックだった。オールディーズ・ファンといえば聞こえはいいですが、二十代にしてコンテンポラリーな音楽についてゆけなかったのです。

周回遅れのランナーみたいな音楽ファンだった私にとって、タジ・マハール師匠の音楽に出会ったことは大きかった。ただ単に古い音楽を繰り返し演っているだけのベテランではなく、過去のコモンストックを基に現在進行形のブラックミュージックを編んでいる、コンテンポラリーな作家だからです。この人の作品を聴いているだけで、今の世界の潮流となっている音楽のリスナーになったような気分がしたものです。最新型のフォルムも、最新鋭のエンジンもない車ですが、乗り心地は間違いなく最高級。そんな音楽を作り続けている師匠に「ブラボー!」の掛け声を捧げたいです。

タジ師匠は(正直言って、意外にも)ブルーズミュージシャンとしてキャリアをスタートさせています。1968年の1stアルバム『Taj Mahal』は、スリーピー・ジョン・エステスのブルーズのカバーなどが収められたものですが、若いせいか、余計な力が入ってぎこちない。この作品でタジ師匠を見限ったリスナーもいたと思う。しかしそれは大きな間違いです。この後から師匠はゆっくりと舵を切り始めたのです。次作『The Natch'l Blues』(アール・パーマー参加!)では自作が増え、いわゆる黒人ブルーズミュージシャンの括りからはみ出してゆく萌芽が見受けられます。

3rdアルバム『Giant Step/De Ole Folks At Home』は素晴らしい作品。何度聴いたかわからない。決して忘れられないギタリスト、ジェシ・エド・デイヴィスを擁するバンド編成のものと、タジ師匠の弾き語りパーフォーマンスとが収められています。重要なのは後者。かつて存在した黒人芸能の姿をスタジオで再現したものになっています。(古いミュージックピクニックの写真を裏ジャケットに配した意味を考えてしまう。)このように、表現者としてのタジ師匠にファンが敬意を抱くのは、現代社会に対する問題意識が常に高いことにあり!

ベイエリア音楽界の主、ビル・グラハムが深く関わったであろうライブ『The Real Thing』は、1971年発売当時の緩くも熱気に満ちた空気と、進歩的なタジ師匠の音楽性&娯楽性とがブレンドされた一枚。ほぼ同じメンバーでスタジオ録音をしたのが1972年『Happy Just To Be Like I Am』。原曲を自由自在にアレンジしたカバー曲や、出自をテーマに据えた塩っ辛い自作曲などで固めた力作。ギターにホーシャル・ライトが加わり、師匠を取り巻く最強の布陣への第一歩が始まったと思っております。


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件の『ディ・オール・フォークス・アット・ホーム』サイドのジャケット画像。白い聴衆の前で黒い音楽一座がミュージックショーを披露する。これを見るのと見ていないのとでは、奏でる音楽の印象が異なる。師匠がバンジョーを多用するのは、ここに出処がありそうだ。

























昨年の10月にHさんからメールをもらった。パーティのお誘いだった。その文面の最後に、絵の打診が書いてあった。AMI☆TAME15年ぶりのCDのジャケット画を描いてもらいたい、AMI☆TAMEたっての希望だ、と。描く、絶対描く。即決し、即二人に連絡を取った。するとほどなくしてメールでアルバムジャケットのコンセプトとアイデアが送られてきた。いきなり思いっきりの長文で「ココがこうで、こっちはこんな風に」といちいち具体的に(笑)。翌月本人さんたちにあったときに言ったぐらいだ。「そこまで見えてるんやったら、自分らで描きなはれ!」


ニューアルバムはアナログLPダブルジャケット仕様にしたいとのこと。表ジャケット、裏ジャケットは大体の線で把握、問題は見開き面。やたらに人が多い。レコードならわかりまっせ、しかしこれはCDですわ、小さい画面にそんだけ押し込んで、誰が誰かわかるんかいな?しかも会ったことも見たことも無い人仰山いてはるがな。きわめつけは納期までの日取りが結構短い。わちゃ〜、これは厳しい作業になりそうやな…。こういうときの私の勘は、ほぼ外れない。すでに身の危険を感じていた。


それからは連日AMI☆TAMEの二人と、メールと電話でやり取りをした。ジャケットに載せる人物や小物の画像がビシバシ届く。並行して二人はブックレットの文字原稿、歌詞の許諾作業、そして何よりもレコーディングがあり、私の絵と合わせて、12月はCD全部の作業が完全に同時進行して動いていた。難航したのは予想通り見開きの絵。12月の後半、ラフの確認の最中に、絵の中の登場人物が変わり始めた。「手前の人が消えて、その代わりに奥の人が前に出てきて、ええっと、それからいなかった人も加えて…」あんた、それ、言うてることが〇〇出版社と同じやないか!(笑)


12月20日からの一週間は、寝ても覚めても絵描き机の上でAMI☆TAMEと一緒だった。デザインを頼んだNさんに無理を言って年末年始に機動力を発揮してもらい、なんとか年が明けて1月3日に帰省中だったAMI☆TAMEと会って校正作業。これが会っても全然久しぶりという感じがしない。毎日机の上で会ってたわな。CD制作会社さんの理解もあって、16ページのブックレットも、ジャケットの表裏も、見開きの絵もなんとか色校正に間に合った。(CDの盤面印刷だけがカンプ確認。)後はしっかりチェックして、うまく事が運ぶのを見守るばかり。


1月の末にAMI☆TAME BAND来阪。待ちに待ったCDのお披露目である。早く実物を見たい、そう思ってライブの日を指折り楽しみにしていた。ちょうどその週の頭に某小学校へ授業に行った。その二日後から強烈な下痢が!どうも怪しいウィルスを学校で頂戴したようで、肛門さんが全く締まりなく、動けば出る状態が続く。全く止まらない。このままライブへ行ったら、AMI☆TAMEもお客もまみれてしまう。ううっ、この大事な時に!(泪)。かくして精根を尽くしたCDの晴れ姿を見ることもなく、私は寂しく便座の人となっていた。嗚呼、真冬の小学校、恐るべし!


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ジャケットの原画画像。ハードな作業ほど最中の実感が残らない。この4枚の絵にブックレットのカット、表ジャケットの文字、ドタバタしたことだけが鮮明で、創作のほとんどはぼんやりしている。

添付されている画像の無断転用・使用を禁止いたします。






















例えば誰もが知っているような名曲のカヴァーを聴いたとする。原曲のイメージが強ければ強いほど、カヴァーする側のオリジナルを越えるハードルは高くなる。ライブでお客が揃って唄えるような曲ならなおさらだ。AMI☆TAMEのライブのセットリストはカヴァーが中心で、主に70年代のアメリカンロックやソウルミュージックがよく取り上げられる。それらをどの曲も、完全にAMI☆TAMEの曲にしてしまう。(これができる人は、なかなかいない。オリジナルの影響から抜け出せないのだと思う。)そのことを感じたのは、演奏中に別な絵が見えたからだ。


カヴァー曲においてAMI☆TAMEは歌詞に唄われる内容を咀嚼・消化して、自分たちの脚色で演じ変えている。その結果、メロディもアレンジもテンポもオリジナルと大きく違わないのに、聴いて呼び起こされる映像が全く違ったものになって浮かんで来ることがある。シンガー、ギタリストとしてのスケールや技量はもちろん、二人の表現者として最も素晴らしい点は、自分たちが解釈した素材を唄い演奏することで、私的な情景描写をお客に見せられることだと思う。それが日本詞であっても英詞であっても。


私が絵を描くことが好きで、どちらかと言うと見えやすい人かもしれないから、そのように感じるのだろうか。ただライブのような微妙な感性のやり取りがある場で、AMI☆TAMEは作品が伝わることをかなり重要視しているのは間違いないと思う。演目、流れ、唄の言葉、間合い、トーク等、全てが伝わって彼ら独自の共鳴が生まれる。毎回セットリストを組み直して本番に臨む姿を見ていると、自分が安直なアイデアやお手軽な手癖で絵を描いてはいないか?とを問われているように感じることがある。


唄・演奏はもちろんだが、私はステージマナーが素晴らしいと思う。二人がライブ会場入りをする時から、もう接客は始まっている。お客さんに声をかけ、あちこちでコミュニケーションをとる。ステージに上がると、お客と同じ目線、同等の立ち位置で伝える。そして場を真正面から背負って、最初から最後まで丁寧に演じる。決して逃げない。そこに表現者としての気概を見て取る。AMI☆TAMEと共演する人をたくさん見てきたが、共演者側がその後どんどん上手くなる例がいくつもある。二人の影響力の大きさは、客席のあちこちに感じられるほどだ。


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2014年のツアーチラシ『BACK TO OSAKALAND』の絵。絵もツアータイトルも、TOWER OF POWER 1974年の傑作『BACK TO OAKLAND』のパロディで、個人的にはマイ・フェイバリット・AMI☆TAMEツアーチラシになった。お客さんの評判はも一つだったが(笑)、ずっと温めていたアイデアを描くことができて満足だった。この時は4公演中3つに行って、財布がすっからかんになった。





















今年1月のクィーン以来、ひさしぶりの音楽ネタです。気がつけばもう6月。そこで今回は、今月中旬に関西ツアーを控えているAMI☆TAME(アミタメ)さんにスポットを当てて、三回連続で取り上げてみたいと思います。と、その前にまずはAMI☆TAME『関西ダイナマイトCDツアー2019』ツアー日程の知らせを。日取りと場所をチェックして、是非いらしてくださいませ!

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6月13日(木)
神戸三宮『からすのはーもにか』
AMI☆TAME
※神戸市中央区山手通2-12-10 マンションリーベ1F
※TEL:078-251-7771
※http://www.karasu-bar.com
■時間:19:00/オープン 1st/19:30〜 2nd/20:30〜
■チャージ:2500円(ドリンク別)

6月14日(金)
■場所:奈良『Jam Stock』
AMI☆TAME
※奈良県大和高田市築山赤坂町210-1 赤坂マンション1F-5
※TEL:0745-52-4626
※近畿日本鉄道大阪線築山駅
※HP:http://www.sapporobeer.jp/gourmet/0000006298/
※facebook:https://www.facebook.com/pages/Bar-jam/364830863626567
■時間:19:00/オープン 19:30/スタート
■チャージ:2500円(+1ドリンクオーダー)

6月15日(土)
■場所:大阪福島『THIRD STONE 福島店』
AMI☆TAME & Funky Papa OAリュウト
※大阪市福島区福島8-8-3ランドマーク福島B1-2
※TEL: 電話設置完了するまで 08032527577までお願いします。
※JR環状線 福島駅 徒歩3分JR東西線 新福島駅 徒歩3分
※http://www.3rd-stone.jp/
■時間:18:00オープン / 18:40スタート
■チャージ:3000円(ドリンク別)

6月16日(日)
■場所:西宮『Flapper House』
AMI☆TAME祭り!出演多数
※兵庫県西宮市馬場町5-5
※TEL:0798-20-1497
※阪神西宮駅えびす口下車 南口から南へ徒歩3分
※http://r.goope.jp/flapper-house
■時間:17:00/オープン 18:00/スタート
■チャージ:2500円(ドリンク別)
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AMI☆TAMEさんは、アミさんとタメさんの夫婦による、シンガー&ギタリストのデュエットコンビです。主に神奈川県や東京都で活動し、合間を縫って北海道から九州までをツアーで回っています。二人ともキャリアは長く、その芸歴をここで書き出すと、あっという間にこの回が終わってしまうので、そのあたりの情報はH.P. (http://amitame.jpmusic.net/index.html)を参照してください。いつかは音楽の連載で取り上げてみたいものだと思ってたAMI☆TAMEさんですが、ツアーはあるわ、ニューアルバムも出たわ、TAMEさん還暦だわ、これだけ重なる今が一番ふさわしい時期なのではないでしょうか。それでは <絵に描いたAMI☆TAME>第一回始まり始まり。


2008年9月。それまでの三ヶ月間、全く休みのないハードスケジュールの仕事を終え、得意先さんへ最後の納品をした日の午後のこと。虚脱感一杯で喫茶店に入り、厳しかった日程を予定帳で振り返っていたら、なんとその日はライブのお誘いをもらっていた。すっかり忘れていた。う〜ん、どうしようかなあ。寝不足で頭はぼんやりしているし。散々迷った挙句、仕事終わりの気分転換のつもりで行くことに決めた。お誘いの主はHさん。出演者はAMI☆TAME★CHOOとある。誰?知らんな。


実はそれまで、Hさんから何度も「是非ライブへ来てくれ!」と声をかけてもらっていた。しかし行っていなかった。そんな不義理も胸の中にあった。残暑の残る尼崎の某所。AMI☆TAME★CHOOなる三人組のライブはサム・クックの「ワンダフルワールド」から始まった。イントロのコーラスを聴いて「お…」、二曲目CSN&Yの「ティーチ・ユァ・チルドレン」で背筋硬直、三曲目エルトン・ジョン「グッバイ・イエロー・ブリックロード」で、完全に後悔。「しもた、もっと早く来るべきやった!なんで誰も教えてくれへ…あ、何回も言われてたんや、俺…ああ!」。ここで教訓を:人の言うことも、たまには聞いた方がいい。


AMI☆TAMEに盟友CHOOさんを交えたこのトリオは、とにかく強力だった。ステージの進行と共に気分は高揚するのに、これまで彼らの音楽に接する機会を逃してきたかと思うと苛立ちもする。相反する心中が決壊したのは、ラストで唄われたグラディス・ナイト&ザ・ピップスの「さよならは悲しい言葉」。普通、この演目はありえない。唯一無比のオリジナルを向こうにして、たった三人、楽器はギター二本だけで、あの溺れるような恋愛情景を物の見事に演じてしまうのだから、心底参った。これで泣かなんだらいつ泣くねん!


耳の奥までガツ〜ンとやられ、ライブの余韻に浸っていたら、Hさんがやってきた。「どや、ええやろ?そやから来い言うてたんや」そう勝ち誇ったように言われても。「よかったんやったら、絵に描けよ!」え?なんで絵描かなあかんねん?まあ、しかし、Hさんは何度も私を誘ってくれていたし、不義理に対するお詫びの意味もあって、AMI☆TAME★CHOOの絵を二枚描いて渡した。翌2009年に再び三人が来阪した折、ライブの告知チラシに使われていたのがそのときの絵だった。それを見たとき思わず口走ってしまった。「こんなん使うんやったら、新しいの、描いたのに!」。それを聞いたHさん「ほな、描いてもらおか」。それから10年、未だにチラシの絵は続いている。

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フレディのソロはともかく、ブライアン・メイが本田美奈子のバックアップをやり出すなど、80年代半ばのクイーンは私にはもうわけがわからなかった。ライブエイドにも批判的だったせいもあって、あのイベントさえまともに見てはいなかった。今回の映画で、出演する折の舞台裏事情は作品のへそであり、それを知ることによって(今頃になって)あのパーフォーマンスの見方そのものが変わったのは事実です。YouTubeで何度も見ました。ただ映画でもそうでしたが、実録を見ても涙が出るところまではいきませんでした。私にとってクイーンは、すでに切実ではなかったというのが本当のところかもしれないです。

映画によって、フレディ・マーキュリーの変貌はくっきりと輪郭化され、彼の人間像がシャープになって伝わってきました。本当に才能のある男だったと思います。声を楽器のように操り、唄は滅法上手い。作曲能力はさらに上をゆく。観客だけでなく、周囲の人に見られることでエネルギーを貯め爆発させることができた、典型的なエンタテーナー体質の芸術家だったのでしょう。理解しがたい衣装(悪趣味!)、頑固でわがままな発言、影響をすぐに作品化するわかりやすさ。今になってみると思い当たる節がいろいろあるのです。もし彼が生きていたら、この映画を見てなんと評価したでしょうか。聞いてみたい気がします。

2012年ロンドンオリンピックの派手な閉会式に、ブライアン・メイとロジャー・テイラーがクイーンを名乗って登場したシーン。あの場面にジョン・ディーコンはいなかった。社会的な病気で表舞台に出て来ないそうですが、不動のメンバーからフレディが世を去り、バンドに固執するだけの情熱を保たなかったような気がします。かつて「ユア・マイ・ベスト・フレンド」で、フレディがエレクトリック・ピアノを弾くことを拒否した際に(音色が大嫌いだという理由で)、ディーコンは素人同然の妻に鍵盤の演奏を教えてもらってレコーディングしたエピソードがあります。両者の強情で意地を譲らない様が浮かんできて、オールドファンの胸は熱くなります。

私がクイーンのファンであった時間は短かったですが、濃密に聴き込んだ音楽が体内に真空パックされていたことが、『ボヘミアン・ラプソディ』を見たことで確認できました。あの日、隣の席の同年輩ぐらいのおっさんは、途中から咽び泣いていました。彼もきっと胸の奥にしまっていた何かが蘇ってきたのでしょう。泣きもせず、感動したとも思えなかった私は、クイーンの音楽とそういう付き合いをしてきたのだと納得していました。1975年は随分遠い。あの時に戻って、もう一度『シアー・ハート・アタック』にレコード針を落としてみたい?いやいや、結構です。クイーンとの一回限りの出会い、それだけは堪能したと言えますから。


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着物を着せられていたのはフレディだけじゃなかったのか。洋楽雑誌編集部のいいようにされて、ちょっと気の毒だった頃の一枚。こういうのをファンが喜ぶと説得されたのだろうか。後の女装MTVもそうですが、ユーモアなのかシリアスなのか、よくわからない人たちでした。





















「ボヘミアン・ラプソディ」のミュージックビデオはショックだった。今見るとなんということはないのですが、その頃はロックミュージシャンの動く映像自体が珍しく、シングル曲のプロモーション用として実に効果的なものでした。(コーラスパートと連動する画像!)あれにやられたファンは多かったと思う。それに反して「ユア・マイ・ベスト・フレンド」のそれは、なんとも凡庸でした。曲が良かっただけにもったいなかった。次作『華麗なるレース』は日本でやたら売れました。私も好きでした。いろんなジャンルの曲が入っていて、この辺りから私はジョン・ディーコンの作品が好みだと認識し始めました。

尊敬するミュージシャンの名前を聞かれたら、その頃のミュージシャンはビートルズやスティーヴィー・ワンダーなどを挙げていました。(ロジャー・テイラーは熱烈なボンゾ信者でしたね。)そんな中でフレディ・マーキュリーは、なんとライザ・ミネリ!だと公言していました。なんじゃい、それは?と思っていましたが、2018年を通過した今、そのハマり具合に頷いてしまいます。70年代にアメリカ発のメジャーミュージカルをやらせたら、彼女以上の主役はいなかったと思う。太い歌声と歌唱力、重いがキレのあるダンス、そして演技力。ステージでのフレディの独特な動きと見せ方は、このミュージカル女優の影響下にあったのでしょう。

私がクイーンから離れるきっかけになったのは、77年の『世界に捧ぐ』でした。これもよく聴いたレコードでした。四頭体制ともいうべき内容で、もともと個性的だったメンバーの主張が作品に色濃く現れており、かっちりしたソロワークが集まったような印象を持ちました。クイーンとしか言いようのない世界、つまりフレディ・マーキュリーの押しの強い美学とブライアン・メイ和音のギターが一歩後退した気がしました。ステージではフレディが相変わらず体にピタッと張り付いた衣装で、バレリーナのように動き回っていましたが。

『ジャズ』や『ライブ・キラーズ』『ザ・ゲーム』『ホット・スペース』のあたりまでは、アルバム一枚をしっかり聴いていました。映画ではこの時期をうまく整理できていなかったと思う。私が離れかけた頃だっただけに、もっと突っ込んで時間を取って見せてほしかった。そして時代は1980年代真っ只中へ。80年代の金ピカロックサウンドにどうしても馴染めなかった私は、60年代のロックやソウル、それに民族音楽などを聴いて逃避迷走していました。日本でもクイーン人気もひと段落という頃です。まさかバンド内で内紛が起こっていたなどとは、思いもよらなかった。


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芸能の世界で図抜けた才能を発揮する人は、同時に深い依存症も併せ持つことが多い。この人の芸能生活の激しい浮き沈みは、そこらへんのロックスターの綱渡り人生どころではない。フレディがライザに憧れたのは、彼女の光だったか、影だったか、それとも闇だったのか。


























クイーンが映画になる。そのことを知った時、「懐メロ映画で、あの世代の人間が当時へ戻りたいだけなんじゃないのか」内心そんな風に批判的に思っていました。いざ封切られると、人気・評価はうなぎ登り!大いに評判を高めていました。「誰が見に行くか、そんなもん」と決めていた私も、得意の手のひら返しでさっさとシネコンへ足を運んだのでした。小林克也が自身の番組の中で「2018年はクイーンの年だった」と言うぐらいに大当たりになった映画『ボヘミアン・ラプソディ』。この映画に接したことで、私はクイーンをどのように聴いていたのかを振り返ってみたくなりました。久しぶりの音楽ネタです。今年は1975年のような気がしてきました(笑)。

映画『ボヘミアン・ラプソディ』はクイーンというよりは、フレディ・マーキュリーの生涯を描いた映画でした。時系列におかしいところがあったり、一部演出についてゆけないところや、脚本に腑に落ちない箇所があるのをやいやい突つくのは、野暮というものだと思う。そんなことよりも、マイノリティー差別を描く切り口によって、あのバンドの内実や深みが浮かび上がったことに意味がありました。今の時代は映画といえど、この視座がなければ、表現は大きな欠落に直面すると感じます。そして何よりもクイーンは、舞台裏の複雑な事情によって名を残したのではなく、作品によって評価をされた。そのことがよくわかる映画でした。

私はクイーンが日本で爆発的な人気があった真っ只中で、彼らの新譜を聴いていた世代です。中学生の頃に御多分に洩れず、ラジオの深夜放送で「輝ける7つの海」が流れてきて体の向きを変えた一人です。最初に買ったのはセカンド。「オウガ・バトル」や「ファーザー・トゥ・サン」が好きでした。一番熱を上げたのは次の『シアー・ハート・アタック』でした。A面三曲目から始める「テニメント・ファンスター」〜「フリック・オブ・ザ・リスト」〜「谷間の百合」この三連打こそが私のクイーンでした。(ひねくれているかなあ。)ドラマティック、メロディアス、緩急自在、まさに最高に贅沢な音楽で、本当によく聴いたものです。この時期はブライアン・メイとフレディ・マーキュリーの双頭体制だったイメージがあります。

しかし、多く女性ファンが殺到する洋楽タレント扱いの報道を見るたび、クイーンが好きだなどとはおいそれと言えなかったというのも、当時の男性のロックファンの正直な心境だったと思う。実際にクイーンを小馬鹿にする友人もいました。彼らの多くは、クイーンをちゃんと聴いていたとは言えなかった。ニヒルな音楽評論家のなぞりをやっていただけでした。件の『オペラ座の夜』は出てすぐに買いましたね。中学のクラスでも何人かがこのアルバムを買って持っていました。「ボヘミアン・ラプソディ」がシングルカットされたと知って、なんでこの曲なんだろう?「預言者の歌」か「39」だろうに。そんなことを思った記憶があります。今となっては小っ恥ずかしい見立てですが、もう時効でしょうか(笑)。


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初期のクイーンはこの人だった。少女漫画から飛び出てきたようなルックスとスタイルで、病弱なインテリミュージシャンのイメージがあった。相当な頑固者だと最近知ったが、あのフレディと張り合っていたのだから、それも理解できる。映画冒頭の20世紀フォックスのタイトルジングルが流れてきた時、ニヤリとしたあなたはブライアンのギターを通過した一人だね。



















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この夏は地震に大雨、台風酷暑と、何もしていなくても厳しいなあと感じる毎日です。そんなバテバテの日々にダレた人にはもってこいライブのお知らせです。来月中旬に、毎年恒例のアミタメさんの関西ツアーが始まります。今回は9月14日〜17日までの4日間で4ヶ所のライブです。詳しいスケジュールは下記の通りです。

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9月14日(金)
奈良県大和高田『Jam Stock』AMI☆TAME

■場所:奈良『Jam Stock』
※奈良県大和高田市築山赤坂町210-1 赤坂マンション1F-5
※TEL 0745-52-4626
※近畿日本鉄道大阪線築山駅
※HP:http://www.sapporobeer.jp/gourmet/0000006298/
※facebook:https://www.facebook.com/pages/Bar-jam/364830863626567
■時間:19:00/オープン 19:30/スタート
■チャージ:2500円(+1ドリンクオーダー)

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9月15日(土)
阪神尼崎『bar&cafe kettle』AMI☆TAME

■場所:Bar&cafe kettle
※尼崎市建家町95
※TEL 06-6413-1328
※【アクセス:阪神尼崎駅 西へ徒歩約10分】
※HP https://www.facebook.com/Barcafe-kettle-1595994177326776/
■投げ銭!
■時間: 18::00/オープン 19:00/スタート
■O.A 
CHIBO with Zonbie
尼音人

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9月16日(日)
大阪寺田町『Bar & Live Otis Blue』AMI☆TAME、信太ボーイズ

■場所:大阪寺田町『Bar & Live Otis Blue』
※大阪府大阪市阿倍野区天王寺町北1-1-4
※TEL:06-6713-1302
※【アクセス:大阪環状線「寺田町駅」南口を出て、徒歩20秒です。青い看板が目印です!!天王寺からは徒歩10分】
※HP:http://otisblue.on.omisenomikata.jp/
■時間: 18::00/オープン 19:00/スタート
■出演:AMI☆TAME、信太ボーイズ
■チャージ:2500円

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9月17日(月・祝)

西宮『AKANE chan』AMI☆TAME

■場所:西宮『AKANE chan』
※兵庫県西宮市戸田町6-30
※TEL:0798-23-4050
■時間:19:00/スタート
■チャージ:2500円
※ご予約のみとなりますので、お早めにご予約お願い致します!

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多分まだ夏が図太く居座っている頃合いかもしれませんが、そんなことに惑わされず、迷うことなくいらしてください。まいど同じことを書いていますが、アミタメさんのライブにおける質は私が保証します。実は私が初めて彼らのライブを観たのが、ちょうど10年前のことです。それまで何度も友人から誘われていたのに、用はあるやらなんやら言って行かなかったのです。ある時流石に断れなくなって、「しゃあないなあ、一回だけでも観といたろか、、、」と(高飛車に!)思って行ったのです。オープニングはサム・クックの「ワンダフルワールド」。その出だし30秒で、私は彼らの音楽に接してこなかったことを激しく後悔しました。「ああ!なんで、今まで聴いてなかったんや!なんで誰も教えてくれ、、、あ、教えてもうてたんや、、しもた、、俺や、俺のミスやないか!」あれからもう10年が経ちました。その間、アミタメさん関連のライブは多分20回前後通いました。今この文を読んでいて、まだアミタメさんのライブに接したことのないあなた、私と同じミスをしてはいけない。悪いことは言いません、来なさい。一度のライブを見逃すことは、その時にしか飲めないおいしい水を失うことです。本当においしい音楽の水は、積み重なって後に残ってゆく。私の井戸には、アミタメさんの水はまだ10年分しか溜まっていないですが、それは貴重な生活飲料となって枯れることなく毎日を潤してくれていますから。ライブ会場でご一緒できることを心より願っております。

毎年アミタメさんの関西ツアーのチラシのイラストを描かせてもらっていますが、諸事情がありまして💦、残念ながら新作というわけにはいきませんでした。代わりに、昨年の4月に大阪のTwin Reverbでのライブで描いたクロッキーを、今回のツアーチラシに使いました。あの時、描いておいてよかった!(笑)

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これが元絵だっ!