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大衆芸術をやっている作家は、何によって作品を評価されるのか。作品のクオリティか?ファンの情愛の深さか?ネームバリューのある評者の言説か?単に売上か?それとも…。タジ師匠の音楽を追いかけて、私はいつもこの疑問にぶつかって、自問します。というのも第40回グラミー賞で、師匠が最優秀コンテンポラリー・ブルース・アルバム賞を受賞した後、急に黒人ブルーズの伝統を引き継ぐミュージシャンとして評価され始めたからです。間違ってはいないですが、根拠がいかがわしい。グラミー賞という角砂糖に群がるアリを連想しました。受賞をしていない音楽には価値はないのでしょうかね。

1993年にタジ師匠は、ソウルやブルーズの有名作品のカバーを中心としたアルバムDancing The Blues』を発表。当時はその手の懐古的な趣のアルバムを作り売るのが流行っていたこともあって、正直言いまして「なんで?」と思ってしまった私でした。内容はもちろん良かった。意外なぐらいにストレートなカバーも、エタ・ジェイムズ(元気一杯の唄声!)やビル・ペイン&リッチー・ヘイワードらのゲスト陣との華やかな共演アルバムでした。1996年に『Phantom Blues』1997年に『Señor Blues』と三連作のシリーズになったぐらい、ノリノリの企画でした。

これまでの師匠のアルバムは、多様な音楽をグツグツ煮込んで、あのスモーキーな声とミシシッピ・ナショナル・スティールボディド・ギターの音色でまとめ上げたものが多かった。それに比べて、この三連作はコンパクトに仕上げてある分、シンプルでわかりやすかった。『Señor Blues』が第40回グラミー賞を受賞したことで、師匠をこの手のカバーミュージシャンだと勘違いする輩も多くて、もう情けない限りでした。Señor Blues』が受賞するなら、師匠はこれまで5〜6作は受賞してもおかしくないアルバムがあるのですから。音楽は何によって評価されるのかを、声を大にして問いたかったです。

しかしタジ師匠の偉いところは、賞に寄りかかったりしないところです。大衆音楽のメインストリームにどっぷり浸かってもおかしくない状況で、1998年Sacred Island(with The Hula Blues Band)』、2003年Hanapepe Dream』と、しっかりオルタナティヴなハワイアン作品を出している点です。これぞタジ師匠という面目躍如たる内容に、拍手喝采を送ったファンは多かったと思う。その後も2005年『Mkutano』、2008年『Maestro』と安定した製作活動を展開、共演アルバムやサントラを含めたら、一体何枚のアルバムが出ているのか?まさしく驚異の77歳です

師匠のスタート地点はブルーズだった。そこからリズム&ブルーズ、ブルーグラス、レゲエ、アフリカの伝統音楽、ジャズ、ケイジャン、カリビアンサウンド、ハワイアンなど、様々な音楽要素を取り込んで咀嚼消化し、血肉に変えて音楽活動を行ってきました。変化こそがタジ・マハールというミュージシャンの生命線だと言ってもいいでしょう。この特集では敢えて避けましたが、ライ・クーダーとの接点やお互いを意識し合ったようなアルバム製作合戦も、二人の大きな音楽スケールから見れば、小さな箱庭の中の出来事だったように思えます。両者が今作っている音楽作品の素晴らしさこそが、何よりも雄弁です。

最後にあるエピソードを。故ローラ・ニーロが生前のインタビューでこんなことを語っていました。彼女がまだ駆け出しだった十代後半の頃、ニューヨークのフォーク・ソサイエティのカフェでライブを行った時のこと。ステージに向かう階段が楽屋代わりだったそうで、ローラの一つ前の出番を待つ背中の大きな黒人ミュージシャンが、緊張のあまりギターを抱えてガタガタ震えていたそうです。「それが、あのタジ・マハールだったのよね(笑)
いつもユーモラスで余裕たっぷりのタジ師匠が!
もう50年以上も前の、ずいぶん昔の話です。

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この人には何かしら、知性を感じる。いろんなことを知っていて、たくさん経験して、数多くの出会いがあって。それらを何一つ無駄にしていない、そんな生き様を感じる。人が人生の中で会得できる品格とは、そういうものなのではないだろうか。



























タジ師匠のアルバムを聴くと、同じ曲を何度も録音し直して発表していることに気がつきます。コロンビアレコード時代は、契約上多くの作品を発表せねばならなかったようで、枚数稼ぎの苦肉の策だったのかもしれませんが、他社に移った後も同じことをやっている。これは推測ですが、曲の良さを十分に引き出せているかどうかに関して、師匠自身の納得がそうさせているのでは。コマーシャリズム最優先の音楽業界で、作品を何度も温め磨き発表し直す毅然とした姿勢に、私は痺れます。本来はそうであってこその作品だと、師匠は背中で語っているのです。

1974年にタジ師匠は、後に繋がる一本の道筋を見つけた作品を発表しました。その名も『Mo' Roots』。レゲエをふんだんに取り入れた内容は、ここから続くカリブ海シリーズの幕開けとなりました。(管楽器奏者ルーディ・コスタの名が。)翌年の『Music Keeps Me Together』では、より広い視野を持った景色が拝めます。ベースに盟友レイ・フィッツパトリックが参加。このあたりのメンバーの集まり方はゾクゾクします。そしてデビュー以来間違いなく最高の作品『Satisfied 'N Tickled Too』を発表し、コロンビアレコードを去ることになります。

なんでもマネージャー(タジ師匠の実弟)の話によると、コロンビアレコードは師匠の音楽性とアルバムの売り方を全く分かっていなかったとのこと。確かに内容の良さに比べて、現存するチャート記録を見ると、首を傾げてしまいます。いくら力作秀作を連発しても、それに対する反応の無さに苛立ちを隠せなかったことでしょう。かくして師匠は契約満了を持ってワーナーブラザーズへ移籍することに。そして1976年についに大金字塔アルバム『Music Fa' Ya (Musica Para Ti)』を発表したのです。

私は初めて聴いたタジ師匠のアルバムが『Music Fa' Ya (Musica Para Ti)』でした。心が溶けてしまうようなメロディ、各楽器演奏の素晴らしさ、ゆったりしたリズム、師匠のスモーキーな唄。全てが完璧で、一発K.O.されましたよ。あまりの衝撃と満足感ゆえに、初聴きから数年間、師匠の他のアルバムを全く買わなかったぐらいです。今なお師匠の最高傑作であり、すべての音楽ファン必聴の一枚です。いくら褒めても褒め足りないな(笑)。ロバート・グリンリッジのスティールパンが効いており、この時点で最高のメンバーが出揃った感あります。

移籍して第一作目にこれだけのものを作った。それがセールス的に失敗だったと判断された。師匠の心中は穏やかではなかったことでしょう。翌1977年に映画サントラ『Brothers』(←これも珠玉の逸品があるある!)を挟んで、同年Evolution (The Latest)』を発表。ワーナーブラザーズの首脳陣は出来栄えは良くとも、とにかくセールスを成功させようと、あれこれ手(と口と金)を出したわけです。結局はこれも振るわず。相当なストレスを抱えたであろう師匠は、ここから実に10年もの間、リーダーアルバムを出さなかったぐらいです。

1987年に久々のアルバム『Taj』が発表されました。今もそれほど評価はされていませんが、ライブ活動はしっかりやっていたようで、唄や演奏のクオリティは全く落ちていない。フランス政府による水爆実験に対する告発ソングも盛り込まれており、正常な地球人としての意識には一切ブレがありませんでした。90年代に入り『Like Never Before』を経て、師匠は古いソウルやブルーズを現代流に解釈した作品と、後に居を構える地の音楽であるハワイアンミュージックに接近した作品との、二車線走行を走り出すことになります。結果的にこれが吉と出ました。



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これまた裏ジャケ「『Music Fa' Ya (Musica Para Ti)』のメンバー写真。タジ師匠の創作クオリティが絶頂だった時期に、よくぞこれだけのメンバーが集まってくれたものだ。師匠の頭の中に流れている音楽を、外に引っ張り出しすことに長けた音楽家ばかり。誰一人欠けても、あのサウンドと精神的な余裕は生まれなかっただろう。