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待ちに待った秋が来ました。この夏は本当に厳しかった。普段は暑さをさほど苦にしないのですが、今年は秋が待ち通しかったところをみると、相当参っていたのかもしれません。何が違うといって、睡眠がぐっと穏やかに深くなりました。発汗が少なくなり夜中に目覚めることもなくなりました。些細なことですがうれしいものです。


朝からいきなり汗でベトベトというのはやっぱり気色悪い。クーラーに当たりっぱなしの一日は、何か不自然な気候の中で生きている気がして、体内に澱んだ水分が溜まっているみたいでした。汗も困る、クーラーも困る。我が儘ですが、それが本音でしたから、最近は快適で言うことなしです。


絵を描くという行為も、酷暑の影響を受けていたと思います。肘から手首までがいつも湿っているようで、紙にまで湿りが移りそうで、常時腕置き用のタオルが欠かせませんでした。椅子の座布団もお尻の熱でいつも熱かったです(笑)。パレットの絵の具はさっさと乾くし、筆洗の水もすぐに蒸発するし。


午後の日差しが眼の疲れを誘うのか、同じ作業をしていても、午前中は楽なことが午後には苦になることもありました。そして集中力。35°Cを越える日が長く続くと、どうやら持続力に翳りが出るようで、集中力が失われていることに原因があると思われます。きっと年齢もあるんだろうな。


この木曜日あたりからの温度や湿度だと、外気が絵を描く体に適しているのを感じます。丁度いい塩梅です。クーラーで同じ数値を設定しても、繊細なセンサーを多数積み込んでいる人体は、決して良しとしないのですね。来年の夏はどうしようか。今から考えても決して遅くはないと思う。


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このタイミングでアイズレーズの特集をしようと思ったのにはわけがあります。2006年にロナルド・アイズレーは逮捕されました。(長期にわたる脱税の罪による、らしい。)翌2007年より3年間の服役中には、持病を悪化させ独房内の病院に入院も。さすがにこのときは、もうこれでアイズレー・ブラザーズも終わりだと思ったものでした。アイズレー・ブラザーズとグループ名を名乗っていても、実質的には1985年あたりからはロナルドが一人でやっているようなものでしたから。


1983年に弟ら3人が謀反を起こしアイズレー・ジャスパー・アイズレーとしてCBSと単独で契約し、本家アイズレーズの3人と袂を分ちました。1986年に長兄オーケリーが心臓発作で死去、翌87年に次男ルドルフが聖職に就く為脱退、この場に及んでアイズレー・ブラザーズは完全にロナルド一人になってしまいました。この時期は彼の新妻アンジェラ・ウィンブッシュが作曲にレコーディングにツアーにと、甲斐甲斐しいサポートでアイズレーズの屋台骨を支えました。92年には分裂状態だった弟アーニーとマーヴィンが復帰。目出たく3人のアイズレーズとなったのでしたが…。


徐々に出番の少なくなったギターのアーニー、全く何もしていなかったマーヴィン。やっぱりロナルド=アイズレーズの図式は90年代〜21世紀になっても同じだったわけです。ま、ファンには周知の事実だったのですが。そして前述の逮捕収監の出来事があったわけですが、2010年4月に目出たく出所!さっそくツアーを開始したそうです。しかも今月28日にはニューアルバムまで控えている!こんな晴れがましいニュースを聞いてファンならどうして黙っていられましょうか!御年69歳で生涯現役宣言まで飛び出しました。アイズレー魂は死なず!


新作のタイトルは『Mr. I』。名義は遂にロナルド・アイズレー単独に。今まではあくまでもリード・ヴォーカリストとして老舗の看板を守ってきたロナルドが、ここへきてソロ・ヴォーカリストとして世に問うアルバム。いったいどんな内容なんだろう?たぶん、今までと全く同じだと思います(笑)。マンネリ、一本調子、大いに結構。それこそ4年間待ったに相応しい答えだと思う。あの声が聴ければそれだけでO.K.なのです。息を吸う音、吐く音、それだけでも聴く価値大アリ、これぞ大衆芸能の権化です。ああ、来週の火曜日が待ち遠しいなぁ〜!


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今年6月8日にマーヴィン・アイズレーが死去しました。糖尿病を患い両足を切断していたなんて…まだ56歳でした。貴方のダイナミックで粘ついた骨太ベースが大好きでしたよ。天国でヴァーノンとオーケリーに会ったらよろしく伝えて下さいな。
アイズレー・ブラザーズという名前を聞いて、人はどんな曲を連想するのか。初期のロックンロールバリバリのダンスサウンド。60年代に入っての胸が騒ぐ傑作R&Bの数々。典型的なモータウン節で鳴らしたヒット曲。羅針盤が独自のファンク路線を指したTーNECK時代。これまでの3人に弟と従兄弟を加え6人編成のバンドと化した黄金期。そして分裂後の模索期。メローに活路を見出した新規安定路線。そして…今。長い芸歴には数多いアップ&ダウン、ハイ&ロウがありましたが、今回はカバーという視点からもの申してみたいと考えます。


アイズレーズ自身が他人の曲のカヴァーを積極的に行った時期は71年〜74年に集中しています。ジェームズ・テイラーやキャロル・キング、スティーヴン・スティルスにトッド・ラングレンなど、ロック・フィールドのミュージシャンの曲を積極的に取り上げています。反対にアイズレーズがロック系・ポップ系のミュージシャンにカヴァーされたものとなると、実はこれも多いのです。ビートルズ「ツイスト&シャウト」とルル「シャウト」はその古典みたいなものです。両方とも元気溌剌、いいよねえ〜若いって(笑)。


おもしろいのはアイズレーズがロックアーティストのカヴァーをしなくなった直後から、ロックサイドからのカヴァーが増えていること。その時期の有名どころには、アヴェレージ・ホワイト・バンド「ワーク・トゥ・ドゥ」、ロッド・ステュアート「ディス・オールド・ハート・オブ・マイン」、ドゥービー・ブラザーズ「テイク・ミー・イン・ユァ・アームズ」などがあります。特にドゥービーとは縁があるようで、「リッスン・トゥ・ザ・ミュージック」をアイズレーズが特異なアレンジでカヴァー、後年ドゥービーはライヴにて同曲をアイズレーヴァージョンまんまでコピー演奏しています。ジャケットも『明日への銃撃』と『ドゥービー天国』はよく似ている!


一番似ているのはギターによるグルーヴ作り。トミー・ジョンストンのリズム・ギターに影響を受けたとおぼしきアーニー・アイズレーはいち早くその解析につとめ、75年『ヒート・イズ・オン』では早くも鮮やかなドゥービー・サウンドのエッセンスを手に入れています。たぶんアイズレーズにとって最も魅力的に映ったのが、当時西海岸を爆走していたトミー・ジョンストン時代の野性味溢れるドゥービーズ・ギターだったのでしょう。目のつけどころがいいです、ホント。しかも安易な外部委託に走らないあたりにコスト意識もあったりして。


おそらくアイズレー側にしてみたら、売れに売れていたロックとそのお客をまるごと取り込んでしまえという目論みがあったはずです。評論家筋は魂を売った音楽などと叩いたようですが、私は全くそうは思わないですね。むしろ雑食性が盛んになればなるほどパワフルになってゆく黒人音楽の歴史に適った方向性であると思う。71年〜74年のアイズレーが私は一番好きです。70年代後半は、中には格好悪いハードロックやディスコの波を受けた曲もあったりで、ちょいと厳しいものはあります。念のため。どうぞいい時期の彼らを楽しんで下さい。


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1996年『ミッション・トゥ・プリーズ』。当時売れっ子の若手連中R・ケリー、ベビー・フェイス、キース・スウェットらが腕を競い合うように楽曲を上納。御大ロナルド・アイズレーがよっしゃよっしゃ!と唄い上げる美味しい殿様アルバム。今のアイズレーズの源泉がここにある。
今回の音楽えかきむしは、昔から死ぬほど好きなアイズレー・ブラザーズ。まずは朗報から。11月10日からアイズレー・ブラザーズの紙ジャケットが順次リイシュー登場!ソウル・ファンはもとより、ロック・ファンからも評価の高いTーNECK時代を総括する最重要リイシューシリーズといえます。これを機会に、今までアイズレーと縁のなかった貴方、是非とも天然小豆でネットリ仕上げた極甘音楽お汁粉をご賞味あれ。味は私が保障します!

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11月10日発売

THE ISLEY BROTHERS T-Neck Years
■完全生産限定盤
■紙ジャケット仕様
■一部2010年リマスタリング
■ダブル解説(鈴木啓志氏+α)・歌詞対訳付き
■全タイトル購入者特典(応募全員プレゼント)
*こちらはメーカー応募特典となります。
詳しくはメーカーHPをご覧下さい。

【第1回発売:11/10発売・5タイトル】
*T-Neck初期 1969〜1973年、Buddha Recordsがディストリビューション。
○イッツ・アワ・シング It’s Our Thing[1969]
○ザ・ブラザーズ:アイズレー The Brothers: ISLEY [1969]
○ゲット・イントゥ・サムシング Get Into Something [1971]
○ギヴィン・イット・バック Givin’ It Back [1971]
○ブラザー・ブラザー・ブラザー Brother, Brother, Brother [1972]
各\1,995(税込)

【第2回発売:11/24発売・6タイトル】
*1973〜1978年、6人体制による黄金期。CBSがディストリビューション。
○3+3(スリー・プラス・スリー)3+3 [1973]…Bonus Track 1曲収録
○リヴ・イット・アップ Live It Up [1974]…Bonus Track 1曲収録
○ヒート・イズ・オン The Heat Is On [1975]…Bonus Track 1曲収録
○ハーヴェスト・フォー・ザ・ワールド Harvest For The World [1976]…Bonus Track 1曲収録
○明日への銃撃 Go For Your Guns [1977]
○ショウダウン Sowdown [1978]
各\1,995(税込)

【第3回発売:12/22発売予定・6タイトル】
*1979〜1983年、CBSからの離脱、そしてグループの分裂。
○ウィナー・テイクス・オール Winner Takes All [1979]
○ゴー・オール・ザ・ウェイ Go All The Way [1980]
○グランド・スラム Grand Slam [1981]
○インサイド・ユー Inside You [1982]
○ビッグ・スリル The Real Deal [1983]
○シルクの似合う夜 Between The Sheets [1983]
各\1,995(税込)

*1月以降も、「アイズレー・ジャスパー・アイズレー」などの作品を番外編としてリリース予定。

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上記のアルバム、レコードかCDで全部手元にあるのですが、この強力ラインナップを見ただけで、未だに胸が熱くなります、未だに手に汗握ります、未だに頭に血が上ります、未だに喉が渇きます。気になるのは第2回発売のうち4枚にBonus Trackが収録されていること。残念ながら買う気はありません。誰かBonus Trackだけまとめて焼いてくれ!虫のいい話しでした。たぶん契約の関係でCD化が遅れていた69年の『イッツ・アワ・シング』と80年の『ゴー・オール・ザ・ウェイ 』が数年前に目出たく世に出たのをきっかけに、このたびのお運びになったものと推測します。


しかしこうしてみると凄いですな。15年の間に17枚ものオリジナル・アルバムを出しています。実にコンスタントな創作活動です。(もちろんライブやジミ・ヘンドリックスとの編集ものやベストは含まずです。)しかもアイズレーは70年代前半から2万人クラスのスタジアム級のツアーを毎年行っていました。当時は黒人ミュージシャンでスタジアムクラスのコンサートツアーができるタレントは極一部に限られていました。ノセノセイケイケ時代のアイズレー、見たかったなあ〜。私が見たのは96年のブルーノートでしたが、それでも充分素晴らしかったですから。


初めての方にお薦めするのは…正直、気が引けるんです、そういうの。なぜなら全てのアイズレーを愛しているので。そりゃあ、『ゴー・オール・ザ・ウェイ』なんか駄作ですわ、はっきり云って。(←前言撤回いたします。『ゴー・オール・ザ・ウェイ』は決して駄作なんかではありません。これはアイズレーズが当時のディスコブームに沸いた音楽業界の荒波に沈まずに乗り切ることができたのは、この作品があったからです。特にクリス・ジャスパーの力は大きかった。私はそのことがわかっていませんでした。全曲が素晴らしい!2021年12月15日記)しかしそれも込みでのアイズレー愛なのです。濃すぎるとか、いなたいとか、顔が怖いとか、二番煎じが多いとか、知らない人はあれこれ言ってくれますが、ロナルド・アイズレーの唄を一節聴けば、きっと自分が間違っていたと気づくでしょう。なんといっても彼のマイクは天国に繋がっています。だからお客は皆昇天するのです。実際に見たんですから!


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隠れた凄盤『グランド・スラム』。音の作りが驚く程丁寧でセンシティヴ。よい曲も多い。フィレス的な感触を81年に再現している。なぜに誰も評価しないんだろうか。
内緒ですよ。実は私、そうはない散髪屋さんに通っているんです。腕がいい?ま、普通です。安い?カット&洗髪&ひげ剃り&ミニマッサージで3000円ですから、ま、普通ですわ。近くにある?歩いて5〜6分なので、ま、普通ですわな。なんだ、普通だらけじゃないか!ではいったい何がスペシャルなのか?というと、この店主であるおやじの顔・姿が最高なのです。


今住んでいるところに引っ越してきて、もう13年になりますが、始めの頃はそれまで住んでいた街が恋しくて、意味もなく通い慣れたお風呂屋さんやお食事処へ無理をして行ってました。遠いのに。散髪屋もそうでした。他のお客さんのつまらないウダ話しと競馬中継を聞きながらウトウトするひとときが好きだったのです。しかしそうばかりも云ってられません。


新しい地域に馴染む努力も必要だろうと、お気に入りの散髪屋さんを捜し始めたのはいいけれど、ないんだなあ、これが。私は決して難しい注文などしない人なので、要はお店の雰囲気や相性が大事なのです。10件以上コロコロと店を変えてみたもの、どうもしっくりこない。何かが足りない。何かが不要だ。そう思ってある日立ち寄った散髪屋さんで私は一目惚れしてしまったのです。


その店主の美意識が即座に私を捉えました。小さな体に大きなもじゃもじゃ頭、鼻と口の間には不似合いなくらい立派なカイゼル髭、又下の長いスラックスを胸の下あたりまでおもいっきり引き上げて、やたら襟の大きなカッターシャツにヘンテコな蝶ネクタイ。カッターはもちろんズボンの中に入れています(笑)。黒いエナメルのとんがった靴はいい感じで萎れていて…


話すと、とても庶民的、いや、事実庶民なのです。どこの肉屋は安いだの、あのコンビニはいつか潰れるだの、下らないこと甚だしい!初めてだったせいか、クドいぐらいに洗髪するわ、サービスというマッサージのおかげで肩は凝るわ、こんな迷惑な、しかし私が望んだ通りの散髪屋は他にはありませんでした。以来その店に通い続けて、今ではお土産に砂糖菓子をいただくことも。


散髪屋は直に体に触られるサービス業なので、腕前や通い慣れも重要なポイントではありますが、そのお店の場合はそれらは二番目以降の理由にすぎません。最優先されるべきは店主の姿です。こんな美味しい素材を、私が描かなければ一体誰が描くんだ?そんな使命感に煽られて、二ヶ月に一度、惚れ惚れするオヤジの理髪屋人生の末席に腰をかけさせてもらっているのです。この話し、内緒ですよ…。


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